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常勤医数比較 中標津対根室 (北海道新聞より) [26. 地域医療・経済・財政]

   2,008年3月8日   ebisu-blog#126
  総閲覧数: 6487/103 days (3月8日11時55分)  

 中標津町率病院と根室市立病院との常勤医数の比較データを転載する。18対11.かたや「町立」、かたや「市立」病院である。なぜこのような格差ができたのか、考え込まざるを得ない。

 要因はひとつではないだろう。たぶんいくつもあるのだろう。夏暑く冬寒い内陸性の気候と年を通して海風の強い海洋性の気候のどちらがなじみやすいのかは、医師の出身地に多少の関係はあろう。酪農の町と漁師町との気風の違いもある。東京へのアクセスは圧倒的に中標津がよい。町の政治的伝統とも深く関わる部分もあるだろう。根室には飛行場が2箇所あったと聞く。建設途中で終わった牧の内の飛行場と一時期、予定地とされたホロムシリである。なぜ空港は中標津になってしまったのだろう。先見性の欠如が根室の政財界に蔓延していたことは疑い得ない。事情を知っている関係者たちも高齢化し、だんだん数が少なくなってきている。

 過去はともかくとして、現在はどうなのだろう?政治的先見性は根室によみがえっているだろうか。問題を先送りせずに、困難に正面から立ち向かう確固たる姿勢が市政に貫かれているだろうか。

 3月8日付北海道新聞朝刊(根室地域版)より・・・

 

 中標津病院長が定年

 常勤医数変わらず

【中標津】町立中標津病院で約24年間院長を務めた栗林弘院長(63歳)が3月31日付で定年退職する。町は後任を、同病院の外科医に内定しており、14日正式決定する。

 栗林院長は、美唄市出身で、北大医学部第一外科を卒業後、十勝管内の池田町立病院から1984年、院長として赴任した。

 町の規定により、定年を60歳から3年延長していた。

 町史によると町立病院は1953年設立。栗林氏は6代目の院長で、院長暦は過去最長だ。西沢雄一町長は「長い間、地域医療に貢献していただいた」と話し、感謝状などの贈呈も検討している。院長の代わりに北大から常勤医の瓦解が異動してくる予定で、同病院の4月からの常勤医体制は18人と変わらない。(内山岳志)

 

 前市長の藤原弘氏は道庁出身者だが、市長を2期務めても根室になんら愛着が湧かなかったのだろう、市長を辞めるや否や、さっさと札幌へ引っ越してしまった。あっさりしたものである。

 前市長すらこの体たらくでは、市立病院長や勤務医たちに根室に骨を埋めてくれとは言い難い。情けないとは思うが、短期間で次々交代して当然であるかもしれない。その一方で病気を抱えた患者は、病院の先生がしょっちゅう替わり、治療方針がその都度変わることに戸惑う。学校が第一義的には生徒のためにあるものであるのと同様に、病院は患者のために損座視するものであったはずだが、現実はなかなかそうは行かない。難しいものだ。

 まず、自分たちが問題を先送りしない、未来にツケを回さず、現在の苦境を正面から打開しようとする姿勢で諸問題に取り組むことが、周囲の共感と協力を呼ぶことになるのではないだろうか。

 職員組合が自治体病院に関する勉強会をやったらしいが、市立病院の具体的な財務諸表を使って学習してほしかった。2年で立派な病院が新築できるほどの赤字を垂れ流している事実に目をつぶるつもりはないのだろうが、全国的に自治体病院の経営が苦しいなどと一般論でお茶を濁すべきではない。自分たちの足元が火事になっている自覚をもち、住民一人当たり1万円の範囲内に赤字を縮小する具体案を検討すべきときだろう。自らの団体の利益を優先し、いつの間にか市民感覚から離れてしまってはいないだろうか。今一度冷静に考えて欲しい。公の利益が第一、自分たちの利益はその次、そう考えれば、患者も市民も共感できる。わたしも心からエールを送れる。

 


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