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世界チャンピオン小林先生と道元:教育の本質 [22. 人物シリーズ]

2,007年12月31日   ebisu-blog#039
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―教育の本質― 小林先生と道元禅師 

小林先生?what is he?

【ビリヤードと勉強法】
 私はビリヤードが大好きである。家がたまたま日本最東端のビリヤード場だったこともあり、小学校に入る前からビリヤードをやっていた。店の名前は「北球ビリヤード」という。親父が癌で亡くなる前に店を閉めたからとっくに存在しない。思い出として残るのみだ。三波春夫が根室で公演するたびに寄ってくれた。義理堅く浮ついたところのないきちっとした人だった。「ご主人」というふうに親父を呼ぶ人は三波春夫以外にはいない。一部の親しいお客さんは「○○さん」と苗字ではなく名前で呼んでいた。わたくしのほうは子供の頃、お客さんから「トシボー」と呼ばれていた。平成3年の夏に「トシ坊」と呼ぶ人がいるので、四十過ぎのわたしをそう呼ぶのは誰かと振り返ったら、歯科医のF先生(平成3年にお亡くなりになった。現在同じ場所で歯科医をしているのは息子さんである)だった。二十数年前には焼き肉店もやっていたので根室ではそちらのほうが馴染みが多いかもしれない。(釧路医師会病院の外科医G先生とともに)わたしの(消化器内科の)主治医であるO病院のO先生は中・高校生の頃に、親子で私どもの焼肉店を贔屓にしてくれた一人である。こちらも親子2代で診てもらっている、大事な先生である。
 ビリヤードは計算に左脳を、そしてイメージを作り上げて、そのイメージ通りに身体を使ってボールをコントロールする。イメージを扱う際に右脳を使っているので、知らない間にイメージをコントロールできるようになっていた。気がついたのは中学生のときだった。これは勉強にとても役に立った一つの授業につき2~3分間で完璧な復習が可能になる。実際に高校時代そのような勉強法を採り入れていた。
 
黒板に書かれた文字を記憶することで授業の細部を頭の中に再現できるようになっていた。ビリヤードのテーブルと黒板は同じ色のグリーンだし、手球の色はチョークと同じ白色である。偶然の一致だが、これが効果を大きくした。
 頭の中でいくらでもビリヤードを続けることができるほど、イメージを自在に創り上げ、維持できる。3か月分の授業なら、黒板をあたかもページをめくるように授業を再現できた。100%とはいえないが、90%そうしたことができれば試験対策には充分である。生徒会、そろばん塾の先生、店番と忙しい高校生活であった。夏休み・冬休み・春休みにまとめて一日8時間2週間集中的に勉強する以外には時間が取れなかった。にもかかわらず、高校時代に勉強で苦労したことはない。授業が終わった後2分間目をつぶって黒板の字を頭の中に再現しておくだけでよかった。通学帰りのバスの中で5分間好きな科目の授業を頭の中に思い出すだけで復習が終わった。これだけで毎日2~3時間の勉強時間量に匹敵していたように思う。
 しかし、この勉強法は大学受験には通用しなかった。金融機関に就職して公認会計士を目指すつもりで商業科を選択し、高校2年から公認会計士受験用の参考書を読み漁っていた。高校3年の秋までは、大学に行くつもりはまったくなかったのである。半年で間に合うはずがない。この勉強法が大学受験に役に立たなかったのは、この勉強法のせいではない。大学受験に必要な情報が高校の授業にはほとんどなかったからである。それと3年分を記憶することは無理があった。大学受験はまた勉強法が違う。今は自分が編み出した技術の有効な利用方法がわかるが、当時はどのようにやればよいのかわからなかった。KJ法のようなイメージ整理技術を使えば、記憶中心の科目は簡単に制覇できることがわかっている。大学院入試では一日8時間以上の集中学習トレーニングが役に立った。4週間で間に合った。
 右脳を使ったイメージ記憶は、プロの将棋指しも同じことをしているのだと思う。その辺りのことは別途書く機会があるだろう。

【ビリヤードの世界】
 小林先生も元々はビリヤード場の息子だったのではないだろうか。何度かスリークッションの世界チャンピオンになったことがある。日本でビリヤードの世界チャンピオン保持者は小林先生お一人である。
 町田正さん(彼も八王子にあるビリヤード場の息子だ、こちらはお父さんも知っている。プロのお父さんに教えてもらったことがあるからだ)がアーティステック・ビリヤード銀メダルに輝いたことがある。日本のボークラインというビリヤードゲームのチャンピオンであった頃、スリークッションの大台で、2度(6ゲーム)ボークライン教えていただいた。
 ビリヤードの世界には将棋界の羽生善治七冠王のような人がいる。ディリスだ。5種目を制覇し五冠王になったことがある

【ビリヤードは紳士のスポーツ:マナーが大切】
 日本の皇族はビリヤードを習う。ヨーロッパの貴族のたしなみの一つだからだ。子供の頃から個人チュータがついて、マナーを厳しく学ぶ。映画『ハスラー』は最下層の品のないビリヤードである。あのような映画でビリヤードが紹介されたことを残念に思う。もっとも大事なマナーが忘れ去られてしまった。
 皇族へは小林先生が教えていた。皇族の集まる“霞会館”といったかな、記憶があいまいであるが、そこで教えていたと小林先生は言っておられた。そのあと町田さんが引き継いだ。
 ちなみに昭和天皇のビリヤード教育係は、札幌駅前にあった「白馬」というビリヤードの経営者、吉岡先生である。実に品の良い方で、根室ではこの人の技を見たことのある人が多数いる。xxハイヤー社長のSさんもその一人だ。一度ゲームの相手をしたことがあった。いつものSさんらしくなく、まるで硬くなっていた。わたしは子供の頃から吉岡先生を知っている。小学生のときにプロになりたくて、「プロになりたい、なれるだろうか」と質問したことがある。
 ビリヤードについてはたくさん書くことがある。おいおい紹介してゆきたい。

【小林先生への質問】
 小林先生は新大久保駅前のビリヤードで支配人をしておられた。そこに私は一時期毎週のように通っていた。常連会のメンバーであったからだ。荒木さんという某大手予備校の数学の先生が常連会のリーダーであった。何度かディリスの「夏期講習」にヨーロッパまで通うほどビリヤードが好きな人である。小柴さんという元全日本アマチュア・チャンプもいた。
 わたしはキャロム系のビリヤードが好きで、図面でビリヤードの研究をしていた。ある配置のボールの処理の仕方がわからなくて、描いた図面を持参して先生に質問をした。そうしたらお弟子のボーイさん二人を呼んぶので、どうしたことかと訝ると、「君たちもこういう質問をしなさい」と訓戒を垂れる。あやや、申し訳ないことをしたと思ったが手遅れである。そのときはことさら丁寧に指導いただいた。

 ビリヤードは初級クラスの解説書は多数出ており、小林先生もNHK教育テレビで『ビリヤード入門』を担当されたときにテキストをお書きになっている。ところがセミプロクラスのテクニックの解説書がない。
 先生に書いたものありませんかとお聞きした。「ない」と即答である。「今後はお書きになる予定はございませんでしょうか」そう尋ねた。「ありません」という。
 「日本のビリヤードの技術水準を上げるにはセミプロクラスの解説書が必要だと思うのですが・・・」とご意見をお伺いした。「無理です、誤解が生じます。セミプロクラスの指導は本ではできません。実地に指導するしかありません」と言われた。
 本でテクニックを紹介すると、本を読んで一知半解の者がしたり顔に解説したり、批判をしたりする。ことの深いところまではけっして伝わることがない、だからセミプロレベルのテクニックの解説書は書かない。

【教育の本質に関わる事】
 小林先生がセミプロ用の解説書を書かない理由の中に、教育の本質がよく出ていると思う。教育の本質は人から人へのコミュニケーションの中に存在する。直接的なコミュニケーションを通じてしか容易に伝えれらないものなのだというのが、小林先生の言わんとしたことなのではないだろうか。
 
 思えば道元禅師も釈迦から達磨大師を経て、由緒正しき正伝の仏教を受け継いだことを誇りにしている。仏法も師から弟子へと伝えられ、受け継がれてきた。書いた物だけでは伝えられない何かがある。
 
年長の弟子懐奘の書いた『正法眼蔵随問記』は平易な文体で理解しやすいが、道元の書いた『正法眼蔵』は、いくら読んでも理解できたと感じることのできない書物である。思うに、漢文の素養がないだけでなく、命がけの修行、と只管打座をしなければ理解不能の書であるのだろう。

ある水準を超える教育は、本やパソコンでは不可能であるということか。たとえば文系の大学院で学者を大量生産することはできない。ひとりひとり手間隙をかけて育てるしかないのである。指導教官と院生の密度の濃いコミュニケーションの中で、手堅い学者として成長していくという側面はたしかにあるだろう。
 伝わるものの量や質は、時間の関数ではなさそうだ。「感化」という言葉で現されるなにものかだろうか。師から弟子へと「感染」して伝えられる何かがある。「対象への情念」もそのひとつだろうか?人は人生の中で気がつくつかないの差はあるが、そういう師に何人も巡りあうような気がする。) 

 ちなみに、わたしがビリヤードナンバーワンと確信している人がいる。根室の人である。西井さんという。元気の好い青年実業家だったことがある。プライバシーに関わるからこれ以上は書かない。彼のビリヤードは小林先生とはまた、まったくタイプが違う。天性の感覚のよさをもっていた。それが図抜けていた。東京でビリヤード修行をする機会があれば、世界チャンピオンになりえた人だったと思う。彼も根室高校時代からビリヤードにのめりこんでいた。私よりも15歳くらい年長だったと記憶する。キュウを構えた彼の写真が残っている。素質は構えに出てしまう。一流の構えである。アマチュアチャンピオンの小柴さんと何度か常連会でデッドヒートゲームしたことがある。彼もいい構えをしているが、西井さんとは比べ物にならない。わたしは構えを見ただけで、その人がどれほどの腕なのかが判断がつくほど、たくさんの人のゲームをみてきた。40代の終わりになって昔の写真を見ていて、あらためて西井さんの”構え”に驚いた。超一流の構えだった。


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