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#4020 プラスの連鎖反応 Jun. 16, 2019 [62. 授業風景]

 よく降る雨だな、一日中降っている。あしたも雨と風が強くなるという。2日ほど前に東京を覆っていた雨雲が北上して通り過ぎていくようだ。午後7時現在気圧が987.5hPaまで下がってきている。

 根室高校と柏陵中学校と啓雲中の前期中間テストが今週終わっている。

  昨年11月から来ている中2の生徒がbe動詞と一般動詞の区別がなかなかつかないのでdoやdoesをbe動詞と一緒に使うミスが多発する。何度も繰り返し教えているが、やっているときはよくても、試験ではたくさんミスを出していた。市販の問題集ではらちが明かないので、この生徒用に問題をつくって試してみることにする。英文の音読だけはよくなった。
 部活が忙しいので家庭勉強の時間がなかなかとれない生徒である。だから、教えてその場でできても、翌週にはまた同じことを繰り返し教えなければならない羽目になる。毎日2時間は勉強してほしいが、部活で疲れて寝るのが早い、10時ころには寝てしまう。体力のない生徒がきつい部活をやると、この生徒のように学業に大きく影響する。このままでは1年たってもあまり成績が変わらない可能性が高い。課題は生活パターンを変えることだ。しばらく様子を見ることになるが、家庭学習をしない生徒は学力が上がらないので休塾勧告をすることになる。入塾時に生徒と保護者あてに「個別指導塾の上手な利用のしかた」という文書でどういう場合に休塾勧告するかあらかじめ通知してある。#3947のURLを末尾に貼り付けておくので興味のある方はお読みいただきたい。
 休まずにきちんと来て、一生懸命に勉強する生徒に休塾勧告することはない。生活習慣を変えられるまで辛抱強く待つのも教育だからね。何年間もやってきた生活習慣がおいそれと簡単に変えられないことは当たり前、しかし変える意思がなければアウトだ。塾へ来ても成績が上がらなければお金と時間の無駄。

 昨年4月から来ている中3の生徒Aさんは家で全然勉強しない、夜中の2時過ぎまでスマホをやっている状態だったので、母親と相談して学校からかえってきたら10時まで取り上げてもらうようにした。ところが1週間足らずでもとに戻ってしまった。Aさんは部活をやっているので塾も休みがちだった。部活で疲れて月に2回ほど休むのが普通の状態。他にピアノも習っているので忙しい。でも家で勉強しなければ、塾へ来たってほとんど効果はない。
 同じ部活で同級生の女の子Bさんが5月から入塾し、下がり続けている成績に歯止めを掛けたくてせっせと塾にきて勉強し始めた。つられて塾に来る回数が増えたAさんは試験前に勉強に熱が入り質問の内容が違ってきた。五月は二人とも13回来ている。月8回の個別指導だが、成績の上がらない生徒は短期間回数を増やして対応している。Aさんは塾に来始めてから1年2か月、ようやく数学の点数がガッツリ上がった。78点とれて本人は自信がついてますますやる気になっている。数学にも英語にもアレルギーがあったのでそれを外すのに1年かかった。英語はまだ駄目だが、「to不定詞」が全然わからないと、学校の先生にプリントをもらってきて自主的に勉強するように変わった。これにはびっくりした。裏も表もないあっけらかんとした性格、スマホ使用時間や家で勉強した時間を訊くと嘘は言わない、正直で面白い生徒だ。もう一人のBさんは塾へ通い始めて一月半、まだ下げ止まったとは言えないが、いまのペースでやっていれば、9月の学力テスト総合Aでは結果が出るだろう。
 塾で困るのは、テストの点数の虚偽報告だが、たまにいる。塾の先生をだましたって生徒には何の得もない。10年くらい前に得点ん通知票をもってこない生徒がいた。素直でまじめな生徒だったから、科目当たり10~15点も増やして報告しているとは思わなかった。こういうときは嘘をつかなきゃならない事情がその生徒にはあるということ。なるほどそういうことで悩んで嘘をついていたのかと、そこまで理解できれば次のステップをどうすればいいのか見えてくる。11月下旬に三者面談したときにお母さんが得点通知票をもってきた。そのあと大車輪で勉強して何とか根室高校へ入学したが、ほんとうに危なかった、心臓に悪い。高校へ入学してからはしっかり勉強したようで、成績は中の上で卒業した。中学時代はインチキしたけど、本来は努力できる素直でまじめな生徒だった。こういう生徒を見放してはいけないのだとあらためて思う。

 12月から来ている高校1年生Cさんが、思ったよりも数学の点数がとれて、クラスがアップした、もちろん本人は喜んでいる。中3の1学期の範囲の因数分解や無理数の計算のところがガタガタだったので、そこにパッチを当てるのに大わらわだった。
 4月から来始めたもう一人の高校1年生Dさんはクラスダウン、二人は同じクラスになった。模試が29日にあるので、クラスが下がったほうの生徒には来れる日はドンドンおいでと伝えてある。中3のときは数学が大の苦手だったと、中学時代の定期テストの数学の点数を報告してくれた。早く言ってくれたら別対応できた。確認しなかったわたしが悪い。いま計算分野を固めておかないと、二次関数にはいると長患いとなるから、看過できない。

 高2の生徒は6人いるが、EさんとFさんの二人は数学のクラスがアップした。あとの4人は最上位のクラスだから現状維持だ。下のクラスから這い上がった生徒Eさんは2017年12月から来ている。軽い部活とバイトに忙しい。バイトは慣れてくると雇用する側ができるだけたくさん仕事してほしくなる。売上が違うからだ。Eさんはバイトに入る日が増えて休みが多かったが、この2か月はちゃんと来て勉強したので、実績となって現れたのだろう。いい笑顔で点数の報告をしてくれた。もう一日多く来れたら、90点獲れただろう。成果が出ると教えているほうもうれしい。
 F君はもう一つランクアップすると最上位のクラスだから、さらに頑張ってほしい。大好きな夜釣りに行っても、塾は休むな。学校から家へ帰って、眠って塾をパスしてしまうことがある。
 一週間前から試験勉強を始めたトップの生徒は、平均点が90点を軽く超えている。定期テストの点数も学内順位も問題外で眼中にない、全国模試で3科目偏差値で80越えを狙っている。数Ⅱは満点取れるかどうかというところまでやっている。英語も長文読解になれたし、要求に応じて構文解説もしているから文法問題もスキルが上がっているだろう。高3の英語の教科書を読み終わったので、来週木曜日からハラリのSAPIENSを原書で読む。高校英語の教科書よりはいくぶん難易度が高いから最初の内はたいへんかもしれない。じきに慣れる。

 連鎖反応だろうか、家であまり勉強しない生徒が3人、成績がアップした。まあ結果オーライとしておこう。家でも勉強して次の試験でさらにいい結果が出せたらますますうれしい。高2の生徒は一人を除き英語が苦手だ、学校の宿題の長文問題をやるようになってきたが、教科書をもっと読み込まないといけない。英語の勉強に費やす時間がまだまだたりない。アレルギーは少し取れてきたように感じる。

 根室高校は金曜日から学校祭の準備期間に入った。7月14、15日までずっと続く。クラス対抗で催し物やパフォーマンスをやるから熱が入ってしまう。学校祭が最大の思い出という人が多い。困るのは、この期間、高校生たちの勉強がお留守になること。学校祭が終わると港まつり、花火大会、お盆(根室は7月)と続き、夏休みに入るころには金刀比羅神社の例大祭(8月9-11日)の稽古で忙しくなる。
 ようするに、6月初旬の前期中間テストが終わると、金刀比羅神社の例大祭まで、根室高校生はずっとお祭り気分で心ウキウキ、ほとんどの生徒が勉強に手がつかぬ。困ったもんじゃ。いつからクラス対抗で得点を競うようになったんかい?学校祭を盛り上げようと誰かが考えてやり方を変えたのだろうが、まさかこんなことになるとはおもわなかっただろう。卒業後の進路指導もしている学校の先生たちはまずいと思っているだろうね、意見を聞いてみたい。
  学校祭は別な能力を育てる場でもある。多視点的構想力共感価値実現力主体的革新力」の三つの能力である。
https://k-academy.jp/


*#3947 個別指導塾の上手な利用のしかた Mar. 8, 2019 
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08



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#4019 戦地からの便り:幼馴染 Jun. 16, 2019  [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 出征前に結婚式を挙げた新妻の元へ戦地の夫から手紙が届くと、姑が開封してみんなの前で読み上げるんだそうだ。新妻は恥ずかしくて顔も上げられぬ。そういう話を母から聞いたことがあった。

 小学校の3年間同級生だった「幼馴染の女の子」の母親が亡くなった、97歳だから大往生といってよい。
 小学生の頃は歳よりも幼い感じのする子、自転車に乗って一度だけ一緒に遊んだことがある。当時は自転車をもっている小学生は珍しく、同じクラスに自転車をもっていたのは二人だけだった。遊んだのは鳴海公園、夕陽がだいぶ傾いてきたのでちょっとの間、一緒に夕陽を眺めてさようならした。ほんとはもっと遊んでいたかった。内気な子だったのでそれっきり誘えなかった。(笑)
 オホーツクの海に近づいていく真っ赤な太陽とないまぜになった懐かしい思い出である。


 35年ぶりにふるさと根室へ戻ってきてから、誰かに誘われて小学校の担任だった鶴木先生を四十年ぶりに訪れた。同じクラスの十人ほどが集まって愉しく昔話をした。その日の夜のこと、幼馴染の話をしたら、母が笑って教えてくれたのが冒頭の話だ。
 数年間自宅で介護していたようだから、たいへんだっただろうが、心残りはないというに違いない。ご冥福を祈ります。



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