#5033 宮部みゆき『桜ほうさら』を読む Aug. 15, 2023 [44. 本を読む]
宮部みゆきは好きな時代小説作家の一人である。怪奇物も一つ読んだ気がする。
標記の小説は2013年4月3日に初版2刷りで読んだ。古里の町にUターンして20年間住んでいたときだから、リライアブルで購入したのだろう。そのころには老舗の最後の本屋「伊沢書店」が店じまいをしていた。
宮部みゆきは、なんとなく親近感のわく小説家である。その理由がなんなのか、この本を再度読み直して理由の一端がわかった気がする。
彼女の祖父は川並職人で、木場で働いていた。山で切った材木をいかだに汲んで木場まで流す筏職人、それを受け取り等級別に仕分けする川並職人。お父さんも職人だそうだ。娘の彼女は都立隅田高校を卒業して社会人となっている。裁判所速記官試験に挑戦し不合格、その後、中根速記学校へ通って速記1級に合格しているから、相当な頑張り屋さんだ。法律事務所で和文タイプライターの職に5年間就いている。その間に小説を書き始めた。縛らう句の間は法律事務所のOLと作家という「二足の草鞋」を履いていた。
宮部みゆきはお父さんやお爺さんから落語や講談の怪談話をよく聞かされて育った。彼女はわたしよりも11歳下だ。山本周五郎のファンだったようだ。どうりでそういうテイストが彼女の小説にはある。
小説を数本書いて売れ出してから、法律事務所をやめて、作家一本で仕事してきている。そういう点ではサラリーマン生活をしたことのある東野圭吾に少し似ている。仕事をしている人の背景がよく書けるということだ。
いつものことながら、小説を読みながら、この作家はどうやってこの本を書いたのか気になるのである。詳細なプロットを書き出し、大きな紙に張り付けて整理してから執筆し始めるタイプなのか、原稿用紙に使い慣れた万年筆でスラスラ書き始めるのか、思いつくままパソコンのキーボードを叩いて編集して執筆していくタイプなのか、気になるのである。
この小説の主人公は現在の千葉県中央部「上総の国」の小藩である「搗根(とうがね)藩」の古橋笙之介という若者が主人公の物語だ。小納戸役の父が賄賂を受け取っていると取引業者「波野千(はのせん)」から訴えられ、賄賂を要求する書きつけが証拠として突きつけられる。その手跡はどうみても自分の書いた文字で、自分が書いた文書にしか見えないのだが、覚えがない。結局、笙之介の父は切腹して果てる。
気性の異なる母親里江の親類の江戸留守居役坂崎重秀の計らいで戸へ出て、手跡を完璧に真似ることのできる代書屋を探す。笙之介は性格が父親の宗右衛門に似ており、父親が賄賂を受け取るはずがないので、偽文書を作った犯人を捜すために、自身も貸本業の村田屋から写本の仕事をもらい、仕事をしつつ、探りを入れる。
坂崎は不忍池の畔に「川扇」という小料理屋に梨枝という美人の愛人を囲っている。切れ者の江戸留守居役でお家大事のために八面六臂のご活躍だが、門閥の関係上、家老にはなれないので、それなりの煩悶はある。家老の家の長男に生まれれば、将来はバカでも家老だ。次男三男はスペアで飼い殺し。
笙之介は次男で、長男の勝之助は剣術と出世欲が強く、兄弟でありながらソリが合わぬ。笙之介が住むのは深川は北永堀町にある富勘長屋、材木商で地主の福富屋がいくつも所有する長屋の一つである。勘右衛門はその長屋の差配であり、住民から「富勘」と呼ばれている。そこにはさまざまな職人とその子供たちがその日暮らしで命をつないでいる。笙之介は代書屋を始めた。
深川佐賀町にある書き物問屋(兄の興兵衛)と貸し本業を営む(治兵衛)の村田屋を中心にその得意先のいくつかのお店(たな)が出てくる。神田伊勢町の高級瀬戸物を扱う「加野屋」、「三河屋」の商いは何だったか、その三河屋で、娘のかどわかし事件が起きるが、それが狂言であることを笙之介が見破る。
貸本屋は売れる本を選って写本造って売上を増やす。墨や紙を使うから、筆や墨・硯を商う日本橋通り四丁目の勝文堂というお店もでてくる。深川を中心にさまざまな商いの網目と人間模様が描かれている。具体的でリアルだ。
桜の花の精のように美しいが、顔と体の半分に痣のある和田屋の娘「和香」に笙之介は惚れるのだが、小説の最後に来ても、「朱外(しゅがい=江戸の外)」へ移り住むことになった笙之介の元へ、和香がときどき訪ねていくと言わせているのみだ。たとえば、甲州なら2日がかりだ。そんな書きようでゆくゆくは一緒になるとほのめかすだけ。
宮部みゆきは独身のようだ。どうも恋愛に関しては貪欲ではなさそうで、そういうことが小説にも表れているように感じる。男女の生々しい性愛を書けるだけの経験を持ち合わせていないのかもしれぬ。江戸時代の性風俗を考えると、笙之介と和香はすぐにも性的な関係ができて、それからお互いの共通の興味である、書物の世界の語らいがあるのが自然なのだが、プラトニックなままでそこが描けない、なんとも歯がゆいのである。江戸時代の深川の町娘のように性に奔放な女流作家が同じテーマで書いたら、まったく違うものになったのではないかと、ふと思う。
人間関係や商売の関係がよく描けているのは、この作家の優れた部分だ。具体的でリアル、そして複雑な網の目が書きあげられているので、事前にプロットを書いて、それらを組み立てて書くのは不可能に感じた。つまり、風景や人物が降りてきて、勝手に暴れまわり始める、彼女は速記者にすぎないのではないかと思った。こういうスタイルは、夢枕獏がそうだ。彼は万年筆で原稿を書くのだろうが...
WiKiで宮部みゆきを検索したら、やはり詳細なプロットなしに、いきなりワープロ機能をつかって小説を書いているとあった。宮部みゆきは素晴らしい時代小説作家の一人だと思う。
ほかには「あやかし」というタイトルの小説を読んだはず。山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などの時代小説500冊ほどを、昨年11月に引っ越す前に処分したので、時代小説は数冊書棚にあるだけ。読みたくなったら図書館へ行けばいい。
にほんブログ村
標記の小説は2013年4月3日に初版2刷りで読んだ。古里の町にUターンして20年間住んでいたときだから、リライアブルで購入したのだろう。そのころには老舗の最後の本屋「伊沢書店」が店じまいをしていた。
宮部みゆきは、なんとなく親近感のわく小説家である。その理由がなんなのか、この本を再度読み直して理由の一端がわかった気がする。
彼女の祖父は川並職人で、木場で働いていた。山で切った材木をいかだに汲んで木場まで流す筏職人、それを受け取り等級別に仕分けする川並職人。お父さんも職人だそうだ。娘の彼女は都立隅田高校を卒業して社会人となっている。裁判所速記官試験に挑戦し不合格、その後、中根速記学校へ通って速記1級に合格しているから、相当な頑張り屋さんだ。法律事務所で和文タイプライターの職に5年間就いている。その間に小説を書き始めた。縛らう句の間は法律事務所のOLと作家という「二足の草鞋」を履いていた。
宮部みゆきはお父さんやお爺さんから落語や講談の怪談話をよく聞かされて育った。彼女はわたしよりも11歳下だ。山本周五郎のファンだったようだ。どうりでそういうテイストが彼女の小説にはある。
小説を数本書いて売れ出してから、法律事務所をやめて、作家一本で仕事してきている。そういう点ではサラリーマン生活をしたことのある東野圭吾に少し似ている。仕事をしている人の背景がよく書けるということだ。
いつものことながら、小説を読みながら、この作家はどうやってこの本を書いたのか気になるのである。詳細なプロットを書き出し、大きな紙に張り付けて整理してから執筆し始めるタイプなのか、原稿用紙に使い慣れた万年筆でスラスラ書き始めるのか、思いつくままパソコンのキーボードを叩いて編集して執筆していくタイプなのか、気になるのである。
この小説の主人公は現在の千葉県中央部「上総の国」の小藩である「搗根(とうがね)藩」の古橋笙之介という若者が主人公の物語だ。小納戸役の父が賄賂を受け取っていると取引業者「波野千(はのせん)」から訴えられ、賄賂を要求する書きつけが証拠として突きつけられる。その手跡はどうみても自分の書いた文字で、自分が書いた文書にしか見えないのだが、覚えがない。結局、笙之介の父は切腹して果てる。
気性の異なる母親里江の親類の江戸留守居役坂崎重秀の計らいで戸へ出て、手跡を完璧に真似ることのできる代書屋を探す。笙之介は性格が父親の宗右衛門に似ており、父親が賄賂を受け取るはずがないので、偽文書を作った犯人を捜すために、自身も貸本業の村田屋から写本の仕事をもらい、仕事をしつつ、探りを入れる。
坂崎は不忍池の畔に「川扇」という小料理屋に梨枝という美人の愛人を囲っている。切れ者の江戸留守居役でお家大事のために八面六臂のご活躍だが、門閥の関係上、家老にはなれないので、それなりの煩悶はある。家老の家の長男に生まれれば、将来はバカでも家老だ。次男三男はスペアで飼い殺し。
笙之介は次男で、長男の勝之助は剣術と出世欲が強く、兄弟でありながらソリが合わぬ。笙之介が住むのは深川は北永堀町にある富勘長屋、材木商で地主の福富屋がいくつも所有する長屋の一つである。勘右衛門はその長屋の差配であり、住民から「富勘」と呼ばれている。そこにはさまざまな職人とその子供たちがその日暮らしで命をつないでいる。笙之介は代書屋を始めた。
深川佐賀町にある書き物問屋(兄の興兵衛)と貸し本業を営む(治兵衛)の村田屋を中心にその得意先のいくつかのお店(たな)が出てくる。神田伊勢町の高級瀬戸物を扱う「加野屋」、「三河屋」の商いは何だったか、その三河屋で、娘のかどわかし事件が起きるが、それが狂言であることを笙之介が見破る。
貸本屋は売れる本を選って写本造って売上を増やす。墨や紙を使うから、筆や墨・硯を商う日本橋通り四丁目の勝文堂というお店もでてくる。深川を中心にさまざまな商いの網目と人間模様が描かれている。具体的でリアルだ。
桜の花の精のように美しいが、顔と体の半分に痣のある和田屋の娘「和香」に笙之介は惚れるのだが、小説の最後に来ても、「朱外(しゅがい=江戸の外)」へ移り住むことになった笙之介の元へ、和香がときどき訪ねていくと言わせているのみだ。たとえば、甲州なら2日がかりだ。そんな書きようでゆくゆくは一緒になるとほのめかすだけ。
宮部みゆきは独身のようだ。どうも恋愛に関しては貪欲ではなさそうで、そういうことが小説にも表れているように感じる。男女の生々しい性愛を書けるだけの経験を持ち合わせていないのかもしれぬ。江戸時代の性風俗を考えると、笙之介と和香はすぐにも性的な関係ができて、それからお互いの共通の興味である、書物の世界の語らいがあるのが自然なのだが、プラトニックなままでそこが描けない、なんとも歯がゆいのである。江戸時代の深川の町娘のように性に奔放な女流作家が同じテーマで書いたら、まったく違うものになったのではないかと、ふと思う。
人間関係や商売の関係がよく描けているのは、この作家の優れた部分だ。具体的でリアル、そして複雑な網の目が書きあげられているので、事前にプロットを書いて、それらを組み立てて書くのは不可能に感じた。つまり、風景や人物が降りてきて、勝手に暴れまわり始める、彼女は速記者にすぎないのではないかと思った。こういうスタイルは、夢枕獏がそうだ。彼は万年筆で原稿を書くのだろうが...
WiKiで宮部みゆきを検索したら、やはり詳細なプロットなしに、いきなりワープロ機能をつかって小説を書いているとあった。宮部みゆきは素晴らしい時代小説作家の一人だと思う。
ほかには「あやかし」というタイトルの小説を読んだはず。山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などの時代小説500冊ほどを、昨年11月に引っ越す前に処分したので、時代小説は数冊書棚にあるだけ。読みたくなったら図書館へ行けばいい。
にほんブログ村
2023-08-15 12:14
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0