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#5011 永井荷風著『腕くらべ』 Jul. 10, 2023 [44. 本を読む]

 連日30度を超えている、今日の東京は35度の予報が出された。九州は連日のごとく線状降水帯に見舞われ、河川が氾濫している。気候は穏やかなものではなくなったようにみえる。

 昨年引っ越すときまでに10年間ほどかけて半分ほど本の処分をしたが、『荷風小説傑作集四 腕くらべ』(昭和25年、六興出版社)は棄てられず、もってきた。

 この小説は新橋藝者駒代が主人公の作品で、花柳界がよく書けている。荷風の父親は大実業家で、落語や歌舞伎に親しみ、そして花柳界でもよく遊んだようだ。新橋藝者と一時期結婚している。
 駒代は新橋藝者になりたての17,8の頃、保険会社の係長である吉岡と男女の関係を持つ。その後吉岡は洋行し、駒代は秋田の富豪に身請けされ嫁ぐが、亭主がほどなく亡くなり、言葉も通じない田舎で孤立し、生きるために新橋藝者に舞い戻る。25歳になったときに、吉岡と偶然に再会し、頻繁に宴席に呼ばれ、ヤケボックリに火がついてしまう。吉岡から身請け話がでるがなかなか頷けない。駒代は将来が不安なのだ。走行しているうちに、女形の歌舞伎役者と出遭い、馴染みになる。駒代は歌舞伎役者に惚れてしまい、女房に収まろうと算段する。あるとき、横浜の骨董商からお座敷がかかり、こちらとも男女の縁ができてしまう。男3人を手玉にとって弄ぶが、吉岡にそれがバレ、歌舞伎役者には別の女ができ、嫌いなタイプの海坊主の骨董商の座敷へ10日に一度ほどお呼びがかかって断れない。お金への執着があるからだが、そこを見抜いて、いたぶるように弄ぶのが海坊主の正体。

 注意しなければならないのは、荷風の時代は性風俗が日本古来の残滓があるということ。緩いのです。決まったスポンサーのついた芸子でも、歌舞伎役者との浮気ぐらいは、スポンサーの旦那もとやかく言わない。それが粋ってもの。芸子にそういうチャンスをつくって泳がせてやる、そういう余裕がありました。ただし、本気になってはいけないというのがルールでした。本気になったら、スポンサーをやっている理由がなくなるので、切れるということになります。縁の切れ目は金の切れ目なんです。それとわかるシーンが何度も出てきます。

 色と欲が飛び交う、人間って百年たっても千年たっても変わらないものだと思う。

 置き屋の女将がの脳出血で急逝し、亭主の呉山は男手では置屋を切り回せないので、店の整理を始める。駒代の証文・公正証書を調べるうちに、天涯孤独の彼女の人生を気の毒に思う。本気になって惚れた歌舞伎役者に袖にされて、どこか田舎で働く決意を固めたときに、置屋の亭主の呉山が、駒代にある提案をする。呉山は講釈師で、落語や講釈が衰退していく中で、もう一度寄席に出てみようかという気になっている。

 落ちがとってもいい。荷風が名人芸を見せてくれる、読後感は爽やか、暑い夏に是非お読みあれ!

<余談:語彙と生まれ・育ち>
 着物や着物にまつわる付属品や小間物の描写がふんだんに出てくるが、こういうものを書ける小説家はもういない。呉服屋さんが読むととっても勉強になるかもしれない。
 荷風は歴史的仮名遣いで原稿を書いているので、現代仮名に直していない版で読んだ方がいい。漢字も、たとえば「藝者」と表記しているが、これを「芸者」と書き直したら、漢字にまとわりついている味が薄れてしまう。常用漢字への書き換えたものでは読みたくない。副詞の「ちょっと」は「鳥渡」と漢字表記しているが、こんな表記は中学校の教科書では出てこない。
 「何もかも知らないあの時分には藝者というものがなんとなく凄艶に見えた」p.8なんて表現も味がある。
 新橋藝者に対して柳橋藝者が出てくるが、柳橋は電車の駅でいうとJRの浅草橋駅付近である。新橋は言うまでもない、銀座の隣である。「京橋⇒銀座⇒新橋」、銀座7丁目の「ライオン」でよくビールを飲んだ。込んでいるから相席になる。男二人で行くと、女二人の客と相席になることがあり、なかなか楽しい。
 地図で場所を確認しながら小説を読むのも愉しい。日本橋人形町で仕事していたことがあり、浜町公園まで10分くらいだった。そこから隅田川沿いに歩いて1㎞のあたりが、柳橋である。日本橋芳町の小路を昼間歩いていると、三味線の音が聞こえてくることがよくあった。四十数年前はあの辺りにはまだ下町の情緒が残っていた。「よし梅」まだある。老舗が多い。

 荷風はたいへんな金持ちの家に生まれて育ったので、この小説に出てくるサラリーマンはまるっきり現実味がない。サラリーマンがどういうものかわかっていなかったのだろう。いくら明治期でも、保険会社の40歳前のたかが係長が、芸者を身請けして家をもたせるなんてことはできるはずもないが、荷風はそんなことには無頓着だ。親の財産を使って十代のころから花柳界で十分な経験を積んでいるので、これ以上ないくらいに詳しい。場数を踏んでいるから、自在に筆が走る。
 東野圭吾はサラリーマンを生活感を持ってよく書ける稀な小説家だ。


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 同じものがないので、別の出版社のものを紹介します。
腕くらべ 断腸亭雑稾 (荷風全集 第12巻)

腕くらべ 断腸亭雑稾 (荷風全集 第12巻)

  • 作者: 永井 荷風
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/04/24
  • メディア: 単行本

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