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#3448 日銀保有の国債を政府債務と相殺すればゼロ? Nov. 3, 2016 [95.増え続ける国債残高]

 ときどき面白いトピックスがあるので、朝の10分間のNHKラジオ番組「社会の見方・わたしの意見」を聞いている。6時42分頃から始まるのでベッドの中、今朝(11/3)は森永卓郎氏の番だった。
 かれは日本のB/S(貸借対照表)を取り上げていた。1100兆円の政府の借金があっても、債権債務を相殺すれば債務超過にはなっていないから健全だというのである。この人はまともなことを言うこともあるのだが、ときにこういうめちゃくちゃなことも言うので、聞き手としては要注意である。
 政府の債務(国債)の増加は国民の債権の増加だから、相殺すればゼロ、いくら国債を発行しても問題ないと主張する人は巷にうようよいる。複式簿記の基本を知らぬたわごとである。

 かれはアナリストを自認しているようだが、元々は経済学者。日本の経済学者は世界中の株式会社が採用している簿記の基本的知識すらないケースがよくある、経済のインフラ技術である複式簿記を知らずしてよく経済が語れるなと思う。今回の主張もそういう類の論だ。

(具体例を二つ挙げておこう。会計基準が変更されただけで、日本の上場株の1/3以上が外資の手に渡った。株式の評価基準が原価法のままだったら、日本の上場株がこれほど大量に外資の手に渡ることはなかっただろう。株価もこんなに高くはなっていないだろう。東芝やソニーがこんなに巨額の赤字を出すことは無かっただろうし、シャープが外資の手に渡ることもあるいは防ぎえたかも知れぬ。
 原子力発電に関する常識を外れた会計基準も原発が生き延びるために役に立っている。事故に対する積立をちゃんとやるような義務を課していたら、東京電力が原発に手を出すことは無かっただろう。コストが高すぎて割に合わないことがはっきりするからである。)

 日銀は370兆円の国債を保有しているが、これを政府の借金と相殺したらどうなるか?日銀は370兆円の損失を損益計算書に計上することになる。平成27年3月期の日銀の純資産は3.5兆円しかないから366.5兆円の債務超過になる。(H27年3月期の日銀B/Sは#3382参照)
 主要国際通貨のひとつである円への信任が失われ、金融市場で円投売りが起き、どれほどの円安になるか誰にも予測できない。中央銀行が債務超過で経営破綻するのである。
 この相殺を簿記取引として見ると、日銀は債権(資産)の減少と損失の発生、政府側は債務の減少と収益の発生となる。根室高校商業科の生徒なら1年生の4月に習う事項だ。
 「債権と債務を相殺すれば問題が無い」論にはあきれてものが言えない。全世界の株式会社が採用している簿記の基礎知識もありませんと公言しているようなもの。

 ネットを検索すれば、この手の戯言を発信しているアナリストや経済学者、中小企業診断士がいる。聞くも愚かな論である。
 
 そうした立論が愚論であるとすれば、これだけ膨らんだ既発行国債はどうやって返済するのか?すでに返済できっこない規模なのである。財務省はそんなこと(返済)はとっくに放棄している。実にイージーな別途の方法があるからだ。物価を10倍にすれば借金は実質1/10にできる、そういうことになるのだろう。つまり国民の負担で贖(あがなう)うことになる。
 政府と日銀は血眼になって通貨発行量を増やしてみたがインフレが起きなかった、日本は縄文時代以来はじめての長期的人口縮小、経済規模の縮小期に入っていて資金需要が無いからだ。

 簡単な話だ。10倍のインフレが起きれば、国民が持っている預金の実質的価値は1/10となる。5000万円の預金が実質500万円になってしまう。年金受給額もいまの計算方式では1/10になる。
 他に、預金封鎖による財産没収という手段も政府はもってる。論より証拠、日本では過去2回預金封鎖が起きている。戦後の預金封鎖では「第二封鎖預金」が切捨てになった。そういうことを政府(財務省)は平気でやるのである。

*預金封鎖 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%90%E9%87%91%E5%B0%81%E9%8E%96
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日本では1944年日本国債の発行残高が国内総生産の2倍に達したために償還が不可能となり[3]、財産税の新設と共に実施された。
また1946年第二次世界大戦後のインフレの中、幣原内閣において新円切替が施行されると同時に実施された。この封鎖は封鎖預金と呼ばれ、第一封鎖預金と第二封鎖預金に分けられ、引き出しが完全にできなくなるのではなく、預金者による引き出し通貨量の制限や給与の一部が強制的に預金させられるなど、利用条件が設けられた。封鎖預金からの新円での引き出し可能な月額は、世帯主で300円、世帯員は1人各100円であった。1946年の国家公務員大卒初任給が540円であり、それを元に現在の貨幣価値に換算すると、世帯主が約12万〜15万、世帯員が1人各4万弱まで引き出せる。学校の授業料は旧円での支払いが認められていたが、生活費には新円を使うこととなった[4]。最終的に第二封鎖預金は切り捨てられる形となった。
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 借金は返さなければならないものである。政府の借金(国債)と日銀保有の国債を相殺すればいくら国債を発行してもかまわないという説は、トンデモナイ説である。たとえ話をひとつ書けばだれでも理屈は呑み込める。

 あなたが住宅ローンを3000万円抱えているとしよう、銀行は貸付金という債権をもっている。これを相殺処理すれば、あなたの借金が無くなると主張しているようなものだ。相殺処理があったとしよう、実際にはあなたは3000万円得をし、銀行には3000万円の損失が発生する。
 どれくらいばかげた論か、この例で理解できるだろう。どれほどもっともらしく見えようとも、たとえノーベル経済学賞受賞者が言おうとも、インチキ学説はどこまでいってもインチキ。


<自民党国会議員の皆さんへ>
 このように、アベノミクスに浮かれていたらとんでもないことになります。何のために国会議員になったのですか。世のため人のためという初志がどの議員にもあったはずです。
 自分の利害損得は脇にひとまずおいて考えてみてください、あなたたちの子どもや孫のためにいま何をするべきかを。いま国会議員なのですから、どれほどの不利益を被ろうがまっすぐに初志を貫かれたらどうですか?
 全員が生活のために国会議員をやっているなら、反逆者や反骨の人は一人も出てこないでしょう。そのときはもうしかたがありません、国民の財産で贖うことになります。


*#3382 日銀B/S : 発行銀行券勘定を負債区分に計上するのは間違い July 31, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-07-31


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コメント 5

tsuguo-kodera

 論や良し。もう遅すぎだし、国債を発行した時からこのインフレ作戦が指導したと私は昔から思っていました。
 ここに至れば、他に手はないのでは。そうなるでしょう。戦争債権も半端ではありませんでした。全部紙切れでした。
 確か母の実家には、何万円の債権がありましたよ。再現でしょう。仕方ない。私は黙してあの世に行けばよい。
by tsuguo-kodera (2016-11-04 18:06) 

ebisu

koderaさん

「もう遅すぎ」というのは同感です。手遅れです。中学生のときにお袋が「軍票」を燃やしているのを見ました。なに燃やしているのと訊いたら、お金だったんだよ、戦地へ言っている兵隊さんのために生活費を倹約して給料を貯めて買ったんだと言ってました。兄が兵隊で満州へ行ってましたから、応援のつもりだったのでしょう。ソ連が侵攻してきたときに戦って戦死しています。思いが詰まっていたので戦後十数年焼却できなかったのです。

「国債を発行したときからインフレ作戦が始動した」のかどうかわたしにはわかりませんが、すくなくともある時期からは大蔵省は国債の返済を放棄したのでしょう。
あとは破綻へ導くだけ。

もう止められないのはわかっていますが、わたしは、国会議員の中に国債増発に敢然と意義を唱える人たちが少数でよいから出てきて欲しいと願っているのです。
国債増発に反対する国会議員が、与党の中から一人も出てこないなんて醜悪すぎます。
後世の人々からみてどう見えるかという視点をもってもらいたいと思っているのです。
by ebisu (2016-11-04 23:35) 

tsuguo-kodera

 旧円の1円を新円の1円に政府は交換。戦争債も同じ利率。庭中にあった鉄の灯篭や噴水もすべて供出。鉄兜に化けたのでしょう。何万と言う債権の束でした。これも記念のためにドイツに送ったはずでした。
 金物も円もほとんどすべて供出したそうです。金物で天井裏に残したのは日本刀5振りだけ。お腹の子の私にも割り当てがあったそう。それをもたした特攻させると母は思っていたそうです。私も頂き、趣味の友人に差し上げました。名刀だと喜ばれたので十分でした。
 なお、敗戦まで日本には最新戦闘機が1000機隠されていて、本土決戦ではB29を全部叩き落せると町の顔役は言っていたそうです。父も信じていたそうです。神風も吹くと、父も信じていたそうです。教育は怖い。
 226事件で父の小学校同級生はすべて中国で戦死。弾除けとおとりの作戦で。全員だそうです。病弱で数学の勉強しかしていなかった父も徴兵審査の時、志願したそうです。
 でも身体検査官はお国のためになるのは兵隊になるだけではない、と諭してくれたそうです。そんなわけで空襲警報の中でできた子が私なのです。刀も用意されていたのです。生まれたのが奇跡に近いのです。
 当時、役立たないと思われた木造の、今となれば国宝級かもしれない仏像や五重塔や川越の山車の模型は蔵二つにたくさんありました。私は探検するのが田舎に行く楽しみの一つでした。今は私の記憶に残っているだけです。
 この数々の伝統工芸はどうなったと思いますか。何と義理の母がドイツに帰国した時、船便ですべて送ったそうです。古典楽器数点もです。でも、ドイツには届かなかったそうです。どこかに胡散霧消したのです。今は昔の住居後ももたくさんあった土地も不動産もすべて教会所有になったはず。全部寄付。カトリックに。
 私は10年ほど前にドイツに遊びに行きました。お返しに家族を日本に招待しました。そのとき、私は叔父とも仲良くできる、仲たがいを解消したほうが良いかもと言いました。お互いに間違っていると父の意見を伝えたかったからです。お墓を姉に管理させていたからです。ここから意見の衝突ばかりになりました。
 その行き違いから絶縁になりました。私は些細なことと思っていたのですが、キリスト教徒は違いました。カトリックと仏教徒は全く違う考え方をするのだと私は良く分かりました。
 だから今はカトリックもプロテスタントも怖い。他の宗教もすべて怖い。そもそも最初はすべて新興宗教から始まったから。迫害されていたからでしょう。
 仏教も同じで怖い。浄土真宗も三代目から怖い。怖くないのは親鸞だけではと私は思っているのです。彼は勉強だけ、書物だけだったのでは。すべて禁止されていたからです。
 現世の幸せや来世の幸せを願うのが間違いのもとなのでは。結局、我欲につながるから。私は死者を思い出すだけ。馬鹿だった祖母や父母、叔父たちその嫁さん、皆さん良い人でした。でも喧嘩ばかりでした。楽しかったことを思い出してあげるのが私のすべき供養だと思っているのです。
 ですからアーメンも法華経も南無阿弥陀仏も嫌いなのです。伊勢先生とはお互いに、先に行けたら思い出しましょう。私は何時までも伊勢先生を忘れません。息をしなくなるまでですが。(笑)
by tsuguo-kodera (2016-11-05 06:55) 

tsuguo-kodera

 文中に間違いが多々あります。肝心なところですので訂正します。義理の母ではなく、義理の叔母です。母の弟の、3人兄弟の長男の叔父の奥さんです。日本人になるのにいろいろな事件がありました。ヒットラーユルゲンとの女性版の生き残りの人。この人の生涯を書くだけで、凄い物語りができる人でした。文才があればです。私には望むべきもありません。
 とにかく何事にもとても厳格な人でした。帰国するまで、ジャパネシアンと日本をバカにしていました。日本はそんな国と現状でしょう。ドイツ人から見たら仕方ないと子供心に私も思っていました。
by tsuguo-kodera (2016-11-05 07:20) 

ebisu

koderaさん

適宜、頭の中で適切な漢字に変換して読んでいますので、漢字変換ミスはそれとわかるので心配要りません。

義理の母と義理の叔母はkoderaさんしかわからないことですから、訂正いただくとありがたいです。しかし、実害はありません。
お母さんの実家が川越の旧家であることは前に書かれていました。おじさんのお嫁さんがドイツ人、それもヒットラーユルゲンの生き残りのような人とは、レーベンスボルン計画で1930年代後半に生まれた人ですか?そりゃあ、本が一冊書けるでしょうね。歴史的証言として次の世代に残しておきたい情報です。
2.26事件に関わった兵隊たちはその後前線へ送られて殺されたという話は何かの本で読みましたが、お父さんの同級生が何人か連座してそういう目に遭われた、ただ本を読むのとはまた違った感情がわきました。

貴重品や金属供出、「最新戦闘機が1000機隠されている」というまことしやかなデマの流布、確認のしようが無い情報です。
宗教に端を発する家族の仲たがい、宗教は怖いですね。
わたしも距離を置いています。たんに知的興味の対象であるだけ。お釈迦様が自分の言説を信じろとは一言もおっしゃっていないので、その通りにしています。ただ受け止め凡夫の頭で理解するだけです。

次の世代のために、わたしたちが経験したこと、親の世代の経験を伝え聞いたこと、これらを記録として残しておきたい。経験していないがために国債をいくら増発しても日銀が買い取って相殺すれば問題が起きないなんて愚論がはびこるのです。「最新の戦闘機が1000機隠してある」というのと変わりませんね。

次の言葉には、さまざまなことを経験して70年間生きてきたkoderaさんの人生の智慧がつまっています。

>現世の幸せや来世の幸せを願うのが間違いのもとなのでは。
>結局、我欲につながるから。
>私は死者を思い出すだけ。
>馬鹿だった祖母や父母、叔父たちその嫁さん、皆さん良い人でした。でも喧嘩ばかりでした。
>楽しかったことを思い出してあげるのが私のすべき供養だと思っているのです。

思えば、お釈迦様は出家することで現世での幸福を棄てました。現世での幸福を願っている限り、執着が生まれ苦悩が生まれる、そう悟ったのです。

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気がついた漢字変換ミスを読者のために書いておきます。
2行目:「利率」⇒「比率」
3行目:「債権の束」⇒「債券の束」
中段のあたり:「胡散霧消」⇒「雲散霧消」
次の行:「住居後」⇒「住居跡」

漢字変換ミスはわたしもよくやるのです。いくら自分でチェックしてもあります。減らせはしますが、無くすることはできません。
読者の皆様、どうか寛容な心で、適切な漢字に置き換えてお読みください。
でも、ときに誤用や間違いもありますから、遠慮なくご指摘ください。
by ebisu (2016-11-05 10:44) 

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