#3091 ハマナスの花と極楽:『蜘蛛の糸』と『徒然草』 July 24, 2015 [44. 本を読む]
ID:dogmn0
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7/25 朝10:20 追記:『徒然草』引用
7月24日は芥川龍之介の命日にあたる。1927年だから、1923年の関東大震災後の混乱が収まったあたりだろうか。福島第一原発の爆発から4年4ヶ月が経過したが、メルトダウンした核燃料がどうなっているのかすらいまだにわからない、事態はまったく収束の様子がない。原子炉の100~200m下を流れる地下水とメルトダウンした核燃料に汚染された水がまじり大規模な海洋汚染が生じるのだが、防ぐ手立てはなにもない。2011年3月11日に地獄の釜の蓋が開いたのだろう、地獄の底から得体の知れないものが這い出してくる。
ハマナスの強い香りが漂っていると、『蜘蛛の糸』の冒頭シーンを思い出す。お釈迦様が朝、蓮池の周りをお歩きになる長閑(のどか)な場面である。
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或る日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みな玉のようにまっ白で、その真ん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れております。極楽はちょうど朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちにお佇みになって、水の面を蔽っている蓮の間から、ふと下の様子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当たって居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の川や針の山の景色が、丁度池を覗き眼鏡を見るようにはっきりと見えるのでございます。
するとその地獄の底に、カンダタという男が一人・・・
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冒頭部分は誰もが力を入れて書く、この部分は、極楽の或る朝の何気ない景色の描写の中にすっと読者を引っ張り込む力がある。芥川は地獄の話をはじめるのに、極楽ののんびりした情景描写をさらりとやって、それをすんなりと地獄につなげる荒業を見せてくれる。読者にも蓮池の水を徹して、主人公のカンダタの姿が見える。
朝から鶯が啼いている。300mくらい離れたところに林があるので、そこでカッコーも啼く。玄関から庭に出ると、朝露にぬれたハマナスから強い香りが漂っていた、そう、まるで極楽のよう。
そのハマナスもすっかりしおれた。2週間ほど前に元気のよい盛りに撮った写真があるのでアップする。
八重のハマナスなので、花が大きい。女優でいうと米倉亮子さんかな、ネットで見たら来週40歳の誕生日だ。10年前の古いケイタイで撮っているので、ピンボケになっている(古いケイタイでも上手に撮ればピンボケはしません)。萎垂(しおた)れたハマナスではなく、盛りのハマナスの写真をアップするあたりは、まだまだ、『徒然草』第137段の心境にはなれていないようだ。心境がだいぶ近づいたと思っていたのだが・・・
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花は盛りに、つきは隈なきをのみ、みるものかは。雨に対(むか)ひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれ情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎(しを)れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月乃傾(かたぶ)くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊(こと)にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。いまは見所なし」など言ふめる。
万(よろず)の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女(おとこおんな)の情けも、ひとへに逢ひ見るをばものかは。逢はで止(や)みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。望月の隈なきを千里の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いとこころ深う青みたるようにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの、濡れたるようなる歯の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友がなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎に人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢより、立ち去り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(れんが)して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながらみることなし。 231-232頁
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3日ほど前から芍薬(しゃくやく)の花が咲き始めた。薄いピンクで縁取りした花が密集して咲いている。
<ポイント配分割合>
60% 30% 10%
(「根室情報」の比率を60⇒30%に、「日本経済」の比率を20⇒60%に変更しました。日本経済のジャンルでは8位に! 24日22時追記)
ハマナスの花と言えば森繁久彌ですね。私も歌えたはずですが、現実の花は知りませんでした。写真をありがとうございます。
先の記事と言い、この記事と言い、私の琴線に触れる文言がたくさんありました。そのため、またしょうもないコメントをしたくなりました。お許しあれ。
ハマナスと芍薬は花が似ているように感じました。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。牡丹の花も大好きです。蓮も好きですが。
素敵な女性は本当に百合の花のように美しく歩きます。和の歩き方のようですね。和服で美しく歩くと自然と和の動きになり、百合の花のように美しい歩き方になるのかも。その趣味と百合のような歩き方の女性を知っています。
先の記事ですが、生身の生活は泥だらけになるし、汚い部分に触れることになります。蓮は泥田に咲くからさらに真善美を感じて、仏様の池に咲くのでしょう。
現実は汚いものです。特に飢餓や飢え死に、はたまた穴倉で火炎放射器で焼かれる運命の傷病兵、蛆もわくでしょう。女子学生もその環境で命を落とすまで治療をしていたのでしょう。
彼女たちもまた傷病兵も、穴倉の臭いなどコイダメ以上の耐えられないものだったはず。でもどんな名人も文字ではその凄まじいい匂いは届けられません。
仮想の世界が広がるのは世界の宿命でしょう。名人の文学も歌も、美しい、汚くない世界は上手く表現できるのかも。下手な素人の仮想の世界が広がると、汚い現実に耐えられないのかも。
恋は盲目であるべきかも。愛の交換は不潔でも良いのかも。そうなのでしょう。生きる死ぬの世界なのだから。それが愛。
仮想の世界に浸るとまずます、不潔な現実の愛情に耐えられないのかもしれません。人を愛することは汚いことに耐えることです。
下の世話など今の仮想人間にできなくあるのかも。たとえ職業人でも汚い垂れ流しのボケた老人の下の世話ができない人が増えてくるのでしょう。
ロボットは人の仕事を奪うと言う議論があったやに思えますが、今の仮想の世界に浸る若者や子供が増えているから、仕方ない宿命なのかもしれません。
私はむしろどんどんロボットが人間の職業を奪ってほしいぼけ老人なのでしょう。すみません。
by tsuguo-kodera (2015-07-24 14:43)
知床の岬に ハマナスの咲くころ
思い出しておくれ おれたちのことを
飲んで騒いで 丘に登れば
はるか国後に 白夜は明ける
いい歌ですね。
沖縄戦の穴倉の中の臭い、体験した人は一生忘れられないでしょうね。
療養型病床群の病院では、長期入院の老人を介護しますが、糞便の処理は看護師さんたちではなく、ヘルパーさんの仕事です。
おむつ交換は臭いを伴うので、建物の構造と換気システムがだいじです。
外断熱構造の建物がいい。換気しても躯体コンクリートは冷えないので輻射熱でほんわり暖かい。夏は空気を入れ替えてもやはりコンクリート躯体は冷えたままですから、温度がそれほど上昇しません。
老人介護施設は外断熱の建物を推奨すれば、働いている人たちも、入院している患者さんもストレスが小さくできます。
by ebisu (2015-07-24 16:36)