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#3092 芍薬(しゃくやく)の花:町の写真家「浜ちゃん」  July 25, 2015 [22. 人物シリーズ]

 「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合のよう」と詠われた芍薬の花が数日前から咲いている。
 ①のほうは右上に芍薬の花が写っているが、ピンボケである。ケイタイのピントは中央の被写体にあわせられるようだ。構図が拙くてもピントを合わせるためには写したいオブジェクトを真ん中にもってくるしかない。
 ②の写真は中央に芍薬の花が写っているが、手ブレしたのだろう。シャッター速度が遅い。真ん中にもって来たのではちっとも面白くないので、少し後ろに下がって、盛りを過ぎて萎垂(しおた)れたハマナスの花を右上に入れた。左下にはタツタナデシコの花が群生している。露出オーバになっているが、マニュアルカメラだと露出をアンダー気味に調整できる、頭の中でそうしてもらいたい。
 アナログの露出補正機能のついた一眼レフカメラが懐かしい。絞り優先かシャッター速度優先かなんて、撮影条件で判断したのはもう四十数年前のこと。
 高校1年生東京オリンピックの年の12月頃に、オヤジが写真の現像器と引き伸ばし機を買ってくれた。カラー写真が主流になる数年前のことだった。6畳間の自分の部屋に遮光カーテンを取り付けて、引き伸ばしをするのはなかなか楽しい時間だった。
 オヤジは戦後まもなくの頃、根室にあった中村写真館に集まる写真愛好家のメンバーの一人であった。いまも梅ヶ枝町にある光陽堂の創業者もその中のお一人。
 引き伸ばしをやってみたいなんてオヤジに一度も言った覚えはないが、息子が中学時代からカメラを楽しそうにいじっているのを眺めていたオヤジは、高校生になったら機材を一式買い与えてみようと思ったのだろう。
 店番をしていてお客さんが切れたときに、突然に「そこまでいくぞ!」と声をかけ、写真屋の中へ入っていくと、息子に内緒で注文してあった道具が一式そろえられていた。扱い方をその場で習って、機材を持ち帰った。当時で地元の高卒の初任給の2か月分くらいの価格だった。決して安いものではなかった。根室高校写真部には古い機材が一つあるだけ、個人で写真現像機材を持っているのは写真部員ですらもいなかった。何度かやっているときに、「やらせろ」といって、一度だけ自分で引き伸ばしたことがあった。オヤジがわたしに教えたことはなかった。運輸大臣賞を採ったことのある地元写真屋の主が引き伸ばし技術を教えてくれた。
 オヤジは結婚するときに、大事にしていた二眼レフカメラを処分した。昭和22年、極秘の落下傘部隊に所属し、右腕複雑骨折の後遺症で右腕がすこし不自由だった。結婚を機に「写真道楽」をやめたのだと思う。

 数年前に急逝した光陽堂の主(娘婿)の「浜ちゃん」の写真が好みだった。林を撮った一枚の写真が記憶にあるが、光と陰が深いところでバランスする重厚な印象のものだった。木漏れ日が何本も光の帯となって林を貫通していた。シャープでありながどっしりとした重厚な存在感のある一枚、あの瞬間のシャッターチャンスを待つのにどれくらい粘ったのだろう、風景を切り撮るという作業に執念を感じた。「光陽堂浜崎」でググれば写真画像がでてくるかもしれない、以前は出てきた。最後に話したのは夏、金刀比羅神社の例大祭の日だった。200mmか300mmのズームレンズで緑町2丁目交差点で各祭典区を写していた。「浜ちゃんいいカメラだな」、「ebisuさん、中古になるけどこれ買わないか?(もっといいやつがほしい)」、そう言って微笑んだ。デジタルカメラは高性能なものがすぐに出る。
 胃癌切除後、始めて東京へ旅行する日の朝の新聞を開いたら、逝去の折込が挟まっていた。3月下旬のことだった。逝くのが早かった、早すぎるよと心の中でつぶやいて、飛行機の中で冥福を祈った。死に顔は見ていないから、写真家のあいつはいまでも記憶の中に生きている。
 


<写真-1>
DSC00552.JPG



<写真-2>
DSC00553.JPG


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