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#2006 Eさんの新刊書『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 July 10, 2012 [44. 本を読む]

     今日(7月10日)発売だが、昨日出版社の未知谷を通じてEさんから送られてきた。
     『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』(未知谷)

     じっくり読んでからブログでとりあげたい。彼の書いた本だから面白いに決まっている。(笑)

     彼からのメールにあった話だが、グーグルで「激烈な競争」というキーで検索すると、弊ブログの記事がヒットするとのこと。彼のメールを転載したものだが、2012年の高校生や大学生には毒を含んだきつい論だ。いま検索してみたら、最初のページのトップに弊ブログの記事のURLが載っている。
     生徒がブログニムオロ塾を読んでいてあの文章を読んだとたんに「E先生だ」とわかったという。勘の鋭い学生がいるものだ。

     『明治廿五年九月のほととぎす』のラフカディオ・ハーンの章に「(四)中学校と師範学校」がある。ハーンが教えた松江中学校勤務時代のことを書いているが、生徒と先生の関係に私たち団塊世代と共通する精神がある。ダメな先生の授業はボイコット、内容のいい授業をする先生には肩入れする。Eさんも私もそういう中高生時代を経験している。そしてそういう精神はそこで切れてしまっていまの世代にあまり受け継がれていない。
    (もっとも市内のC中学校では数年前にある科目の三年生の授業ボイコット事件があったから、すこしは受け継がれているのかもしれない。学校はあわてて午後休校にして緊急の職員会議を開いたと当時の生徒が噂していた。原因は転任してきた教師の力量不足に受験まぎわの中3年生が怒り授業ボイコット。ハーンが聞いたらさもありなんと微笑んだかも知れぬ。)

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    「・・・校長も教員も、東京にある文部省の推薦によって、県庁が任命するのであるが、実際の上では、かれらはその能力と人格を生徒に認められて、はじめてそこに自分の地位を維持して行かれるのであって、もし能力と人格にかけるものがあるとわかった場合には、その教員は、一種の革命的運動によって放逐されることが、よくあるのである。」164㌻
    「この種の事件は、外国人教師の間で評判となっていたらしく、学生に厳格な態度で臨むイギリス人のなかにはこの風潮を批判して、イギリスのパブリック・スクールのように教師は鞭を持て、と横浜の英字新聞に書いたものもいたらしい。ところがハーンは別の見方をしている。」
    「私が今日まで観察したところでは・・・生徒が教員に反対するばあい、多くは生徒側にりくつがあるということなのだ。生徒たちが自分たちのきらいな教員を侮辱したり、あるいは教壇で妨害したりするようなことは、これはめったにない。ただ、かれらは、その教員が身を引くまで、あっさりと学校へ出ないのである。そういう場合の要求に、個人的感情が第二の原因になることは、時にはあるけれども、わたくしの知る限りでは、個人的感情が第一の主要原因になったことは、まずないといってよい。教師のすることが親切に欠けていたり、あるいは、もっと積極的に不愉快なことがあっても、その教員に教師としての実力があり、正しく公平な念があると信じられているうちは、生徒はその教師に信服し、尊敬を払っている。生徒というものは、教師のえこひいきや不公平を探ることにかけては、じつに敏感なものだ。その逆にまた、教師が思いやりのある、親切な人だというだけでは、その教師の知識不足と、知識を授ける手腕の不足の埋め合わせにはならないのだ。」
    「そしてハーンは近くの公立学校でこの種の事件が起きたときに聞いた生徒の言い分を紹介している。」165㌻
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     「激烈な競争」で展開されたEさんの論が面白いと思ったら、彼の著作も読んでみたらいい。明治と戦後の団塊世代の精神になぜ通底するものがあるのか、なぜ失われたのかを考えてみるべきだろう。伝統的な価値観のどの部分が崩れてしまったのか、それはどういう影響を今日に及ぼしているのかを考えなければならないとebisuは思う。
     前著の『明治廿五年九月のほととぎす―子規見参』も時代は幕末から明治の転換期だった、さまざまな才能が開花した面白い時代だから、彼の本を読み明治に興味をもつ高校生や大学生が増えることを願う。

      「福沢諭吉はその66年の生涯を江戸と明治を均等に、ほぼ33年ずつ生きた。偶然とはいえ、じつに器用に生きたものである。晩年の福沢はしばしば、みずからの人生をふりかえって「一生にして二生のごとし」と述べた」(プロローグ)とある。

     いま日本は幕末よりもはるかに大きな転換期を迎えている。縄文時代を含めて1.2万年の歴史で日本人がはじめて体験する人口縮小という現象だ。この時代を乗り切るために、日本人が列島で受け継いできた価値観がキーとなる。

    *#1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31 ...


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    *#1025 『明治廿 五年九月の ほととぎす 子規見参』 遠藤利國著 May 10, 2010 
     http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10

      #1030 『nationalism とpatriotism』 May 17, 2010
      
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-17


      #1362  『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む:パイオニア 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2

      #1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ Feb. 2, 2011 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02

      #1368 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (3) : 学問の楽しさ Feb. 3, 2011 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-03-1

     #1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-31

      #1972 "Not a mimute too soon" :掛詞 June 12, 2012 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-12-1

      #1993 掛詞(2) 子規は? July 1, 2012 
     
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-01-1

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    漫言翁 福沢諭吉―時事新報コラムに見る明治

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