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#1697 ブカツは高校メイン(2):勝ちにこだわってはいけない時期がある Oct.25, 2011 [73.ブカツ]

  指導段階論とでも命名しておこう。武道の指導には段階があるというのがTさんの主張である。とくに基礎作りの段階である小・中学校であまり勝ちにこだわると、体の発達段階を無視した過度な練習に陥りやすく、それは子供たちの身体の故障の原因ともなるから、指導する側はその辺りを充分注意しなければならない。
じつは勉強も一緒で、小中高の時代にパターン練習中心の受験勉強をやりすぎてはいけない強い副作用の現実を知らないから躍起になってできのよい小中高生にパターントレーニングを課して得点をあげようとする先生たちがいる。学校を卒業したらそんな勉強の癖は害になる。パターン練習で解決のできる現実の問題なんてほとんどないからだ。
 大きな責任を負うことになる40代以降に、任された目の前の問題をまったく解決できないことに気がついてパニックに陥るからで、それがうつ病の引き金になる。職責の大きさと自分の能力のアンバランスに押しつぶされるのだが、かわいそうなことになる。受験エキスパートほどそうなりやすい傾向がある。ニムオロ塾ではそういうことにならないような指導をしている。目の前を見てそして30年先をみて両方のバランスで指導している。注意すべきはK大やW大よりも上のクラスだ。
 ものごとを根っこから考えて納得しないと前に進めないタイプの人間がいる。パターン練習中心の受験勉強に拒絶反応を起こせば大学受験はたいへん不利になる。受験エリートの道からはそれてしまうが、それだからこそ大学受験に失敗するくらいの方が社会人となったときには強い思考の柔軟性を保持しているケースが多いから、どんな苦境でも粘り強く考え、直感的判断を間違えない人間がそういう集団から出てくる。)

 高校でちょっとやったことがあるだけだから私は柔道のことはよくわからない。だが、ビリヤートのことなら少しわかる。素晴らしい先生たちに少しずつ習った。キャリアも通算すると20年くらいはあるだろう。才能がなかったせいか腕のほどはセミプロクラスでストップ。皇族のビリヤードコーチをされた吉岡先生(昭和天皇)の魔法のようなアメリカン・セリは目の前で何度も見せていただいた。小学生の頃の私には実に品の良いお爺ちゃんに見えた。スリークッション世界チャンピオンの小林先生(現在の天皇)にも新大久保駅前の「ビリヤード小林」の常連会にいたころ教えてもらう機会があった。この常連会には駿台予備校の著名な数学講師A先生にお誘いいただいた。5種目チャンピオンのディリスのビリヤード・サマースクールに参加するためにヨーロッパへ行くくらいの凝り性な人で、プロクラスの腕前である。この常連会にはKさんというキャロムゲームのアマチュア全日本チャンピオンもいた。
 東京八王子の町田先生にも少しの間教えていただいた。「プロだからレッスン料をとるのだが、あなたはレッスン料は要らないから毎日来なさい」と2~3ヶ月、週に何度か教えていただいた。町田先生というのはアーティスティック・ビリヤードで世界大会銀賞を獲った町田正のお父さんである。このビリヤード場には素振り用の鉄製キューがあった。息子さんの方にも八王子駅前のシルクハットというお店でボークラインを3ゲームお付き合いいただいたことがある。へたくそな私の申し出に嫌な顔をされずに応じてくれた。いい思い出になった、感謝している。いろいろあったから、"筋目"はちょっといいのではないかと自負している。
 ビリヤードも基礎作りの段階では目先の勝負にこだわってはいけない。いや、生涯を通じて目先の勝負にこだわってはいけないのだ。たくさんみてきたが、目先の勝負にこだわる人は確かに上手にはなるが、不思議と小さくまとまってしまう。ギリギリのところで勝負を賭けて自分の技倆の限界を試すくらいの人が大きく伸びる。そういう場面でチャレンジできない人にビリヤードの神様は降臨してくれない
 Tさんの柔道指導理論はビリヤードにも通じるものがあるというのがebisuの感想。

 前置きが長すぎた、どうかTさんの語るところに耳を傾けていただきたい。ブカツを指導なさっている先生たちの参考になれば幸いである。

ブログ"大学受験と高校受験と教育ブログ"より
「ブカツは高校メイン:勝利のためには」全文掲載
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 前稿までのストレッチ関係の記事は、子どもたちに過度な練習を強いている指導者にもそうでない指導者にも共通して必要な事項で、子どもたちのスポーツ障害(とそれによるスポーツ離れ)に対する最低限の予防線として、最初に提言すべき事項として掲載しました。(本当は「立ち方」論を書いていましたが、あまりにマニアックなので後回しにしました)
 これは稽古、練習の、一番はじめに意識すべき「訓練管理」の方法でした。最優先すべきテーマだったからです。
 そして本稿では、「過度な練習」と批判されてはおもしろくない、という指導者や父母がいたとして、そういう方たちにも興味をもっていただけるであろうテーマを設定しました。
 それは「勝利」です。
 小中学生の時期に勝利にこだわりすぎることは、「過度な練習」の原因群のひとつになると考え、コメントします。
 スポーツの指導に当たる者は、学力指導に当たる者と同じ視点をもたねばならない。それは、「眼前に立つこの子の、生涯にわたる教育過程に対して、現時点で自分はどの範囲を担い、どこまでその成果に協力できるだろうか」というマクロな視点です。
 この視点を邪魔するものがあります。それは「目先の勝利」です。
 この子は何年後にか大成するだろう。それを邪魔しないよう、今は基礎をゆっくり、強く作りたい。これが正しい指導者の気持ちです。
 ところが、たとえば父母からの圧力、自分のメンツ、あるいは別のなにかからの圧力で、「すぐ成果を出せ。今出せ」と迫られることが指導者にはあるでしょう。
 そういう場合、もしも子どもたちが勝つまでの能力を現時点でもっていなかったら、どうしましょう?
 勝たせるために、上達論ではなく、勝負論に徹した訓練を課しますか?
 あまりに勝負論に偏った指導は、麻薬と同じで、子供らをむしばみ、そのスポーツを生涯にわたって続けようと言う意欲を消滅させます。
 勝たせるために、たとえば、体力ドーピングをさせようとして、夜の7時過ぎまでダッシュの練習をさせますか? 
 ダッシュの過度な連続は、無酸素運動に対する苦痛を麻痺させ、一時的には運動能力を最適化します。効果は確かにあります。ただし、子どもたちの障害を引き起こすリスクも高い。どうしますか?
 さきにみもふたもないことを断言します。非難していただいても結構ですが、たぶん、6割方は真実だと思っています。それは、
小中学校の運動部の成果は、指導者の能力に比例する
 えー、思わずしんとしてしまいそうですが、つまり、これはなにかというと、「指導者がそのスポーツに熟達していなければ、子どもたちは強くなれない」
 さらに踏み込んで言えば、
指導者の力量の差が、子どもたちの競技能力の差として現れる
 この差を、「子どもたちへの過度の訓練で埋めよう」としてはいけません。絶対にいけません。
(凡庸な能力の指導者が自分の能力を埋めようと間違った動機をもった場合、子どもたちに過度な練習をさせる可能性が高まり、結果として子どもたちが潰される。これは、指導者ばかりでなく親にも言える)

 具体的な事例をひとつ。
 極真会館(空手)が分裂するだいぶ前、北海道で最初の高校生大会が開かれました。
 このとき、私は釧路支部長でした。
 釧路支部の高校生たちを率いて大会に臨みました。大会は個人トーナメントですが、勝ち抜きの度合いに応じて、団体としてのポイントも得られて、個人戦と団体戦の順位がそれで決定されるという特殊ルールです。
 前にも書きましたが、ここで私は、釧路の高校生選手たちに、ローキックを主体にした戦術を指示しました。それには明確な理由がありました。
 当時の北海道極真会の支部長で、私より強いひとは札幌の本部指導員だけでした。他の支部長の力量はほぼ、理解しています。だから、それらの支部長が指導する内容もおおよそ理解していて、その結果、それらの支部の選手の戦法と力量も、ほぼ、推測がついていたのです。
 明確なゲームプランもなく、ただ胸へのパンチとハイキックもどきを組み合わせるだけ……私の読みは、ほぼ的中しました。
 これに対して、最も有効な戦術が、ローキックをたたき込み続け、延長戦で勝つことでした。こういう戦いを、他の支部の支部長たちは実践していなかった。だから当然、防ぎ方も自分の門下生に教えていなかった。
 この結果、釧路はぶっちぎりで第1回大会で団体、個人とも優勝、団体戦がなくなった第2回大会でも、個人戦優勝でした。(この、個人戦で優勝した高校生は後に一般大会で全道優勝し、本部職員になりました)
 これは、指導者(私)が、対戦相手の指導者の能力を把握していたから、それに最適化した戦法を事前に用意できたことが、大きな理由でした。
 自慢話をしているのではありません。子どもたちを勝たせるのが至上命題ならば(それ自体を私は認めませんが、仮に至上命題だったとして)、まず指導者は対戦相手の長所と短所をすべて押さえ、こちらの選手の最も優れた力の部分で相手の最も弱い部分を攻略する方法を考えるべきです。(これがゲームプランというものです)
 それができない、やる気がないからと言って、子どもらをしごいて、短期間だけ強くして勝とうというのは、恥ずべき行為です。(もちろん、そんな指導者は釧路にはいないと信じてはいますが)
 実のところ、小中学生ばかりでなく、高校生までの部活は、その戦果は、ひとえに指導者の能力に左右されます。その能力とは、しごく能力ではなく、主には上達論と勝負論(戦術)です。だから、どうしても勝ちたいなら、子どもたちの前に、自分を磨き上げるべきです。

 

参照

部活は高校メイン

部活は高校メイン_本質は何か

部活は高校メイン_厳しい練習とは

部活は高校メイン_小中学校はスキルを

部活は高校メイン_まず準備運動

部活は高校メイン_まず準備運動(補足)ストレッチのこつ(オリジナル技術有り)

部活は高校メイン_まず準備運動(補足)の補足_クールダウン

部活は高校メイン_勝利のためには

部活は高校メイン_理想の運動部


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Hirosuke

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by Hirosuke (2011-10-25 23:07) 

Hirosuke

我がヤマト高校の入賞も、ある意味、必然でした。

by Hirosuke (2011-10-25 23:09) 

Hirosuke

そして、「合唱ブログ日本一」を達成!

ebisu さん、感謝です。

さらなる高みを目指して!


by Hirosuke (2011-10-25 23:11) 

ebisu

Hirosukeさんへ

ははは、やっていますね。
お見事!
高いところを旋回して楽しそう。

by ebisu (2011-10-25 23:28) 

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