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#1536 元塾生からのSOS : 「数学が分からない」  Jun. 1, 2011 [62. 授業風景]

  中2の11月から1年半ほど通ってくれた生徒から電話があった、もう高校3年生だ。電話で名前を名乗ったときにすぐに二人の生徒の顔を思い出した。

 用件は数学が分からないので教えて欲しいということだった。中3が来る7時までは高校生の個別授業だから二人増えてもどうってことはない。
 二人は科が違うが4月から数学の先生が変わって授業がさっぱり分からなくなったという。来週から前期中間テストがはじまるが、試験範囲の三角関数を教えて欲しいという。学校の教材やプリントをもってきていたので、わからなくなったら手を挙げて質問するように言い、様子を見る。

 なぜわからなくなったのか訊いてみた。暗記方式で「理屈を説明してくれないので何がなんだか分からない」という。素直なもので、たとえば、特殊角の三角比表を丸ごと暗記しようとしていた。加法定理は「咲いたコスモス、コスモス咲いた」と呪文を唱えている。この呪文はこの先生に特有のものではないらしい。どのクラス学年どのクラスの生徒も同じように呪文を唱えていた。そのあとがちょっと違う。グラフの描き方は原理原則の説明なしで「こうして描くんだ」と丸暗記方式。なるほど不平・不満の原因が分かった。理屈が分からないのでストレスをためていたのだ。
 直接、担当の先生に不満をぶつけてみればいい。柔軟に受け入れて授業のやり方を変える度量の大きい先生かもしれぬ。

 まったく数学に興味のない生徒はこういう教え方もある程度効果はあるだろう。しかし、これでは数学に興味をもてる生徒がいなくなる。楽しくないだろう。仕組みが理解できて初めて、解いたことのない標準的な問題がすらすら解けるようになる。その仕組みのところを教え、自力で解ける喜びを味あわせたいために授業をしている教師が少なからずいるが、私もそうした中の一人である。
 喜びがあるから楽しいのだ。多少の我慢をした果てに問題が自力で解けるようになるとうれしいものだ。習い事をして級や段位があがるようなもの、世界が広がった感じがする。勉強は本来喜びや楽しみなのだ。

 普通科2年担当のβクラス担当の先生は「三角関数の公式は暗記の必要なし」という明確な方針で教えているようだ。生徒が
「先生公式暗記しなくていいんだよね」
とすこし不安そうに尋ねる。
「加法定理さえ分かっていれば他の定理がすぐに導き出せるから必要ないよ、でもそこのところは何回もトレーニングしていないと試験のときに慌てるよ」
 γクラスは半分の生徒は自力で理解できるからどういう教え方をしてもかまわない。スピード重視でいいのだろう。それでも5年前に比べたら、授業速度は2割近く落ちているのではないだろうか?入学してくる生徒のレベルは入試の点数で見る限りはっきり低下し続けているから、標準の1.2倍の速度の授業に耐えられぬのだろう。中学生の学力低下が3年のラグで高校生の学力低下となることは当たり前のこと。

 特殊角の三角比は暗記の必要がないことは理解した。もう自力で3分あれば表が書ける。いくつか問題を解説して考え方も理解できただろう。明日はグラフの描き方の原理原則を説明してあげたい。きちんと説明すれば分かる生徒たちだ。

 二人とも高校へ入ってからも中学時代と同じブカツをやっている。一人が言う。
「先生、ブカツに命かけていたから成績はあまりよくないんだ、でも行きたい専門学校がある」
もう一人が続けて言う。
「先生、わたし成績優秀者だよ」
と、もっている検定試験(ほとんどが2級)を並べてみせる。彼女もある技術系の専門学校へ進学希望だ。ブカツと勉強のどちらも頑張ったようだからいい職人になる素質はある。ブカツは地区大会で中学生の時よりもずっと上位に入賞した。成長するものだ。中学校の先生も彼女たちをみたらうれしいだろう。

「明日も学校終わったらすぐにくるか?」
「来る、お願いします!」

 楽しい一日だった。来春になったら彼女たちも根室を離れるのかと思うといまからちょっと寂しい気がする。他にも二人彼女たちと同じ学科に進学した生徒がいる。簿記が分からないと昨年の検定試験の直前に勉強に来ていたのを思い出した。二人とも笑顔で大きな声で挨拶のできる生徒だ。

 塾が係わるのはほんのちょっとの間である。社会人となってから自力で必要な勉強ができるような基礎学力や学習習慣をしっかり身につけさせることが私塾の役割だろうと思っている。
 根室で育って東京で学び、幸いなことに二十数年間業種をいくつも変えて働く機会があった。仕事人としてスキルを磨くことに夢中になった。その経験を生かし、進学(高校、専門学校、大学入試)の先を見据えて教えるのがニムオロ塾の役割だろう。

(いろいろな教え方の先生たちがいたほうが、結局は生徒のためになる。社会に出たらそんなことは当たり前のことだ。自分の外に原因を求め不平不満を溜めてしまったら、成長とか進歩はなくなる。自己の内面をみつめることで人は成長できる。
 担当の先生を変えることはできないし、それでつぶれてしまったら自分の負けである。自分に合わない先生がいても他の生徒には合うのかも知れぬ。合わない先生のときにも自力でなんとか解決することを考えよ。考えれば智慧は出てくるし如何なるときでも状況は改善できる。
 社会人になったら自分では改善できない状況下に置かれることがあるかも知れぬ。そうしたときは興味のある分野の勉強を一心不乱にして、じっと時間の過ぎるのを待て。内面の力がつけばそれは外にあふれ出て見える人には見えるものだ。周りが放っておけなくなる。
                ・・・爺くさいことを書いてしまった、ワッハッハ)


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