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#5118 『こころ』初版復刻本の楽しみ方 Nov. 22, 2023 [44. 本を読む]

 漱石は漢字の当て字をよく使う、そしてそれが意味をよく了解して適切に使っているように見える。大和言葉に漢字を当てていることが時々ある。読み終わったらそれがどこにあったか思い出せない。(笑)
 現在のわたしたちとは指示詞や副詞や接続詞に漢字を当てている点も大きな違いだ。その違いを味わうのも一興である。
 夏目漱石の初版復刻本が中古市場で安く取引されている。漱石は本の装丁に興味が強かったらしく、一冊ずつそれぞれ趣を異にした装丁で本を出した。
 スマホで『こころ』を読んでみたが、旧仮名遣いは現代仮名遣いの改められているし、副詞や指示詞は平仮名に書き改められており、原文の味を著しく損なっていた。
 ぜひ、初版復刻版でお読みいただきたい。いまこのような装丁で本を出版したら、1冊10000円くらいになるかもしれない。全巻ではないが十冊くらいのセットで10000~20000円くらいで手に入るようだ。
 『こころ』は高校国語教科書にも掲載されている。ぜひ初めから終わりまで、通して読んでもらいたい。書き手の頭の中がのぞけます。漱石はどのように思索しているのかがよくわかります。これだけ深い思考を達意の文章で表現できる作家はなかなかいませんね。文豪の一人と言われる所以(ゆえん=理由、分け)がよくわかる作品です。

 ページの記載のないのは最後の第56章から抜き出しました。

① 妻(さい)の笑談(じょうだん)を聞いて初めてそれを思ひ出した時、...
② 能(よく)く解らない
③ 何方(どっち)が苦しいだろう
④ 己を盡(つく)した積(つもり)です
⑤ 却(かえ)って其方(そのほう)
⑥ 此(この)手紙、此世(このよ)、此(この)長い
⑦ 他(ひと)の参考に供するつもりです

⑧ Kが嘸(さぞ)喜ぶだろう 405
⑨ 斯(こ)うした 其前(そのまえ) 其墓(その墓) 406
⑩ わたしの果敢(はか)ない希望 407
⑪ 所(ところ)が愈々(いよいよ)夫として 407
⑫ 不図(ふと)自分の位置に気がつくのです。 411
⑬ 屹度(きっと)沈鬱な反動があるのです 411
⑭ 自分丈(自分だけ)に集注される 416
⑮ 彼は大学へ這入(はい)った以上 289
⑯ わたしは左右(そう)かと言って 289
⑰ これは固(もと)より 293
⑱ 彼は段々感傷的(センチメンタル)に 294

⑲ わたしの周囲(ぐるり)を取り捲いている ebook 507

 笑談で「じょうだん」とフリガナをつけているが、「冗談」の字では「笑いながら冗談」を言う景色は見えてこない。うまいつかいかたです。
 ②の「能く」は「良く」、「好く」の三つがあるが、漱石はここでは「能く」を選択しています。「能く解らない」というのは自分の能力の範囲では「能く解らない」と解していいのでしょう。他の字ではそういう含意が伝わらぬ。
 ④の「盡」は「尽」の旧字です。明治時代の本ですから、旧字の方が雰囲気出ますよね(笑)
 ⑮の「這入った」は這いつくばって(努力して)大学へ合格したことがよくわかります。「入った」では味も素っ気もありませんや。こういう漢字の使い方が巧(うま)いのです。ぜひ真似して遣(や)ってみてください。国語の先生が何というか、愉しみですね。「なかなかすてきだね」なんて言える先生は十人に一人もいるかな?
  ⑱の「感傷的」に「センチメンタル」というルビを振ってあるところも粋ですね。明治時代にこんなことしているのですから、ハイカラです。『虞美人草』では「洋杖」と書いて、「ステッキ」とルビが振られています。
 同じ本からもう一つ追加したくなりました。
 「額とも云はず、顔とも云はず、頸窩(ぼんのくぼ)の盡くるあたり迄、 3ページ
 「ぼんのくぼ」とは頭の後ろ側の下部、頭がい骨と頚椎の接点のあたりの窪んだところ、重要なツボのひとつで、眼精疲労に効きます。「首+窪み」で「頸窩」、納得がいきませんか?「けいか」とルビを振ったら、音だけ聞いても何のことは伝わりませんよね。漱石は大和言葉の「ぼんのくぼ」に通常当てられている「盆の窪」の漢字を当てずに、意味から考えて「漢字に翻訳」しているんです。名訳ですよね。


 『吾輩は猫である』だったか『坊ちゃん』だったか、「むつかしい」に「六つかしい」と当て字しているのがありました。あれにはたまげた。六つも選択肢があったら「むつかしい」のはあったりまえ。(笑)
 初版復刻本は書き手が選んだ漢字の意味を考えることで、シーンの理解に奥行きが出てくる場合が多いのです。こうしてみると最近の小説はのっぺらぼうの二次元のような作品が多いことに気がつきます。表現の手段として、漢字を選択して、ルビを振ることは展開されるシーンに奥行きを与えるものであることがわかります。そういう作品が出てきてほしい。
 もう一つ大事なことがあります。主人公の「先生」の思考が克明に書き込まれていますが、あれは漱石自身が頭の中で考えて創り出したものですから、漱石の思考の仕方を追体験できます。文豪は物事をどういう風に見てそれについてどのように考え、行動が必要ならどういう決断をするのか、人間関係をどのようにとらえて考えを突き詰めていくのか、そういうことも読み取れるわけです。優れた書き手が著したものはくめども尽きぬ泉のようなものです。時空を超えて書かれた本を通して漱石とまみえることができるのは、ありがたいこと。

 理由はどうでもいいから、ぜひ、初版復刻本でお楽しみいただきたい。
 これは少し高い。7984円だそうです。
 岩波書店初版復刻版『こころ』

 1982年にほるぷ社で出版した24冊物の『漱石文学館』夏目漱石初版復刻全集の方がずっとお安いですよ。わたしの所蔵品はこれです。リタイアしたら読むつもりで買いました、それから40年が経ち、ようやく全巻読むことができそうです。
 数日前にamazonで見たときには、数セットあった出品が一つもなくなっています。初版復刻本は安値で出るとすぐに売れてしまうようです。



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