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#2825 地元企業はこうやって生き残れ Oct. 3, 2014 [11. 中小企業家育成コラム]

 中国進出企業の業績が二極分解しているという。内陸部に工場がつくられ始めて沿海部の都市へ労働力の供給がへり、毎年賃金が10~20%アップしている。労働者の確保ができなくなっているというのである。業績を伸ばしている企業経営の要点はたった二つだ。
①高付加価値商品開発力がある
②労働者の意欲や能力を高める仕組みをもっている

 どういうことかというと、中国や東南アジア諸国の製品の品質が上がってきて、価格競争では勝てなくなったので、高付加価値商品開発力のない企業の業績が悪化し始めている。
 高付加価値商品開発力は労働者の意欲や能力を高めてこそ、初めて実現できる。
 そのためにどうしているかというと、
①従業員に決算情報を公開する
②ボーナス配分を明言する(例えば経常利益の三分の一)
③5S運動を徹底する
④小集団活動を組織し、改善提案をあげさせる

 中国進出企業ですらこういう経営の自己改革をやらなければ生き延びられない時代なのである。日本の中小企業家同友会全国協議会も従業員とその家族を大事にする経営へ舵を切ることが、生産年齢人口が急速に縮小する中で、良質の労働力を確保して生き残る唯一の道だと喧伝し始めている。
 退職金規程や経理規程、人事規程などをつくり、オープン経営へと舵を切れば人口が1.8万人を割る2040年になっても地元企業の多くが生き残れるだろう。舵を切れなければこの町の人口減はさらに加速する。地元の若者に安定した職が提供できなければ町の衰退が加速するのはあたりまえのことだ。

  念のために書いておくが、上記の事がらは必要条件であって、十分条件ではない。
 市政と癒着するような経営をしている民間企業、は内緒ごとが多く閉鎖的な経営スタイルになりがちだ。職員のコネ採用が大手を振ってまかり通るような閉鎖的な市役所では町にも市役所にも未来がない、放漫財政が祟っていつか夕張市のように財政破綻、大リストラになる。舵を切るならいまの内だ、手遅れにならぬように早いほうがいい。
 根室の中小企業家同友会や商工会議所は組織として舵を切るのか切らないのか、議論を積み重ねてはっきり決めたらいい。いまのままの経営スタイルでは約半数の地元企業が2040年には消えてなくなっている。衰退が支配する未来を選ぶのか、希望の光のある未来を選ぶのか、子供たちや孫たちのことをよく考え、自分の損得はひとまず脇においてしっかり考えよう。


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<参考:5S運動>ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/5S

名前は、5項目のローマ字での頭文字がいずれもSとなっている事に由来する。5Sに基づいた業務管理を5S管理5S活動などと呼ぶ。

整理(せいり、Seiri)
いらないものを捨てる
整頓(せいとん、Seiton)
決められた物を決められた場所に置き、いつでも取り出せる状態にしておく
清掃(せいそう、Seisou)
常に掃除をして、職場を清潔に保つ
清潔(せいけつ、Seiketsu)
3S(上の整理・整頓・清掃)を維持する
躾(しつけ、Shitsuke)
決められたルール・手順を正しく守る習慣をつける

5S自体による効果は職場環境の美化、従業員のモラル向上などが挙げられる。5Sの徹底により得られる間接的な効果として、業務の効率化、不具合流出の未然防止、職場の安全性向上などが挙げられる。これは、整理整頓により職場をよく見るようになり、問題点などの顕在化が進むためであるとされる。
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<余談:優良な会社とダメ会社>
 ebisuは1978年から5年間勤務した産業用・軍事用エレクトロニクスの輸入商社で経営改革をした。売上高粗利益率を10~20%あげ、為替管理と業績をコントロールする仕組みを作り出して利益構造を変え、その利益を源泉に財務体質を変えた、そうしながら予算で利益配分まで決めた。内部留保と株主と社員で等分に分配することにしたのである。オーナ社長が中途入社2年目の社員の提案を呑んでくれた。
 粗利益のコントロールシステムは営業課長のEさんの力が大きかった。円定価制度と名づけ、複雑な価格設定の仕組みを「外貨決済および為替管理システム」と組み合わせてシステム化した。この会社は後に店頭公開を果たし、業績不振で数年前に同業他社へ吸収合併された。
 初代の社長はスタンフォード大学出、三井合同で戦後財閥解体の実務を担い、整理後職を辞して創業者が同級生だったヒューレッド・パッカード社の日本総代理店を始めた。二代目は慶応大学大学院経済学研究科卒だった。わからないものだ、会社を潰したのは東大出の三代目。私がいたころは学生だったから三代目とは顔を合わせたこともない。二代目に鍛えてもらったのだから、10年くらい三代目を支えて恩返しすべきだったのかもしれぬ。いろいろ事情があったとはいえ、その後の顛末を知るにつけ申し訳ない気がする。
 私が入社した頃は二代目社長が40代後半、三代目はたぶん中学3年生だった。それまでのビジネスモデルでは為替相場の変動に業績が左右され、赤字と黒字の間を行き来していた。青息吐息の状態で、経理課長は毎月の資金繰りに苦労していた。
 入社直後6つの経営改善テーマごとに役員中心のプロジェクトが編成された。そのうちの5つ(長期計画委員会、経営分析委員会、為替管理委員会、電算処理委員会、もうひとつは納期管理委員会(?)だったかな、記憶が怪しい)は私が実務を担当し、役員がそれに意見を述べるという形だった。利益重点営業委員会のみ担当外。二代目は私が入社する前からこの具体的なテーマでプロジェクトを編成する計画があったのだろう、そんなところへタイミングよく飛び込んだわけ。新聞募集、入社試験なし、昔はこのようにいい加減なもの。
 週に3日は終電で帰っていた。1回は営業部門や技術部門の同僚・先輩たちと飲み会。29~34歳まで、よく仕事をしよく飲んだ。仕事が楽しかった。本社があったのは日本橋小網町で、最寄駅は地下鉄人形町駅。周辺の小路には小粋な老舗が多かった。日本橋丸善まで徒歩10分くらい、洋書がそろっていたので仕事の合間に2時間くらいよく覗いた。システム関係や管理会計関係は日本で出版されたものでは時代遅れで間に合わなくなっていた。
 経営分析は月次・四半期・半期・年次で部門別予算実績対比資料と5年間の自社の決算データから5つのデメンションの25項目のレーダチャートを作成していた。標準偏差データを使い、理想値を組み合わせたものだ。2回だけ電卓でやったが、計算だけで丸1日以上かかる。入社1ヶ月したら、社長は米国出張のお土産に科学技術計算用のプログラマブル・キャリュキュレータHP67を買ってくれた。これで計算は30分ですむようになった。計算プログラムを組んだのである。データを入力してメモリーをチェック、あとはプログラム任せ。さらに2ヶ月したら、プリンタのついた卓上型のHP-97を買ってくれた。これは当時22万円もする高価なものだった。計算に時間を費やすほどばかばかしいことはない、こういうツールを使いこなすことで、他の仕事の時間が生み出せる。300ページほどもあるマニュアルが2冊、英文だった。幸いなことにHP社のマニュアルは実にわかりやすい英文で書かれているから、1週間で読みきった。最初に覚えたプログラミング言語だった。仕事で使うからすぐに慣れてしまう。これの経験があったから、1年後にはオフコンのCOOLというダイレクトアドレッシングのプログラミング言語を習得し、ついでPROGRESというコンパイラー言語でのプログラミングを習得した。併行して業務改善のために実務フローをデザインして、それぞれ独立の業務システム開発をやり、経営管理と統合システム開発の二つに仕事が絞られた。
 「覚えた技術は仕事で使って磨きをかけろ」

 中途入社したばかりのebisuにほとんどが役員ばかりの委員会でよくこれだけの仕事を二代目社長が任せてくれたと思う。社長も大学院で経済学を専攻したことがあったので馬が合った、二代目でなければ学者の道を歩んだのかもしれない。
 破格の仕事の任せ方だったが入社の経緯も関係したかもしれない。じつはある有名企業の社長面接が終わって子会社の経営を担当するかニューヨーク支店勤務かその会社で検討中だった。その前の会社が紳士服の製造卸の小企業で、社長面接した会社はそのファッション関係の企業で本社は青山にあった。紳士服と婦人服というジャンルの違いはあったが、同じファッション関係で仕事の手順の大まかなところはわかっていたから、まったく異なる分野の企業で勝負したいという冒険心が心の底にあったのだろう。
 書類を出していたこの輸入商社に電話で断ったら、総務・経理担当役員が「断っていいからとにかくおいで、社長にあわせるから」と言われた。会社にいって技術部門をみせてもらったら、世界最先端の産業用や軍事用のエレクトロニクス製品がゴロゴロしていた。社長室に通され、ニコニコ笑顔の社長に説得されて気が変わってしまった。当時の従業員数は200名ほどの中小企業だった。営業は国立高専出の一人を除き全員理系大卒、面白い会社にみえた。良質の(困難な)仕事が山のようにあってこそ能力は伸びるもの。あのころはチャレンジャーだった。
 円定価システム、納期管理システム、為替管理システムなど利益管理用のツールを次々に開発し、それを利用して利益を増大させると同時に業績を安定させ、財務体質を改善した。ボーナスを増やすと同時に内部留保を増やして、自己資本比率を飛躍的に上げた。同族会社でオーナの他に役員が株をそれぞれすこしずつ持っていた。そういう会社でもなんとかなるものだ。
 1984年に国内最大手の臨床検査会社に上場準備要員として転職して、統合システムを担当した。そのごいくつかの部門を経験してから子会社や関係会社の経営にタッチした。最後がテイジンとの治験合弁会社だった。どの会社の利益構造も大きく変えた。ふだんから勉強していないと仕事もチャンスは来ない。チャンスは困難な仕事と常にセットだ。ほとんど不可能と思える課題を見つけてチャレンジすればいい。若けりゃできないことはない、失敗から学んだっていい。チャレンジャーが数人いる会社は業績が大きく伸びるものだ。経営者が自分の懐勘定ばかりしている会社にチャレンジャーは集まらぬ。人を集めるにはオープンマインドとオープン経営が必要だ。
 会社の業績は経営者の能力次第であると思っている。業績不振の会社は経営者の能力がないと判断してよい。社員をリストラする会社の経営者の経営能力も疑っていい。業績を改善できたら質のよい社員を増やさないといけないからだ。そういう必要がない会社はペケ・マークがついていると判断していい。社員がしょっちゅう辞める会社もペケだ、そういう会社は常時人材の募集をしているからすぐにわかる。
 能力の高い若い社員に仕事を任せるチャレンジャブルな経営者が根室の地元企業に増えてもらいたい。やり方がわからなければebisuが教えてあげる。中小企業でも経営改革は上場準備作業とあまりかわらない。謙虚な中小企業経営者が根室に何人かいることを期待したい。

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