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#4670 中小企業の労働分配率は8割 Dec.14, 2021 [93.経済用語]

 NHKラジオの朝の番組をうつらうつらしながら聞いている。今朝は政府の新上げ要請について標記の事実を取り上げ、中小企業に賃上げが不可能なことを説明していた。

 労働分配率の定義は次のようになっている。
  労働分配率=(人件費/付加価値)×100
 付加価値の計算方法は2つある、加算法と控除法であるが、解説は青字をクリックしてください。1978-83年まで、担当していた仕事の一つに経営改革(収益構造と財務構造変革)のための経営分析があったが、付加価値はどちらの方法で計算していたか覚えていない。二つ計算法があるから、両方で計算してみて誤差の有無の確認くらいはやっただろう。控除法はどの範囲までを外部購入価に含めるかで、付加価値が揺れる。加算法もまた、人件費の分類とどの範囲までの費用を積み上げるかで「揺らぐ」のである。どちらの方法も「揺らぎ」が生ずる。

 ラジオの解説では大企業が6割に対して、中小企業は8割で賃上げは無理ということだった。この30年間、労働分配率を下げてきたのは大企業である。その結果労働分配率を上げる余力があるのは大企業だけということ。


<大企業の労働分配率が下がった理由>
 なぜ、大企業が労働分配率を下げたかというと、非正規雇用を増やしたからである。たとえば、わたしのいた業界最大手の臨床検査センターSRLで、集荷業務を担当している準社員の処遇を社員と同じにしたら、利益がないことに気がついたのは、中途入社した年1984年のことだった。入社早々予算編成と管理、経営統合システム開発を担当していた。当時のSRLは売上高経常利益率12%の高収益企業だったが、それでも集荷担当準社員を全員社員にしたら、利益が消えてしまうという費用構造を抱えていたのである。集荷準社員の年収は当時で300-350万円で社員平均の6割程度だった。創業15年目くらいの若い企業だったから社員の平均年齢も低かった。

 大企業はどこも非正規雇用を増やしてきたので、労働分配率が下がり続けた。つまり大企業に経営者たちは非正規雇用を増やすことで労働分配率を下げ、仕入単価を下げるために下請けを叩くことで、利益を確保してきたのである。30年以上も日本の大企業経営者たちがこぞって同じ経営スタイルをとった。非正規雇用を増やして利益をあげるのはどんな大企業の経営者でもできます。この30年間で、日本の大企業の経営者の経営能力が著しく衰えたということです。
 こういう経営スタイルは日本の伝統的な商道徳「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」とは対極的と言っていよい経営スタイルである。

<トヨタの生産方式と日本の伝統的な商道徳>
 ここで問題になるのが、トヨタ自動車に代表される、下請け生産システムである。大企業対下請け中小企業だから、トヨタ側の仕入れ担当の好いように納入価格が叩かれる。その結果、トヨタが巨額の利益をあげているのにその下請けの中小企業は採算ぎりぎり、「生かさず殺さず」の状態が常態となる。トヨタの生産方式は日本の伝統的な商道徳とは真逆である。
 トヨタが仕入れ方式を改めない限り、その傘下の下請け中小企業群のほとんどは社員の給料をアップできない。仮に、2割仕入れ価格をアップしたら、トヨタは果たして利益を計上できるだろうか?
 日本経済はそういう構造的な問題を抱えているのだが、岸田総理はそういうことがわかっていないので、税制優遇で釣れば、賃上げが可能だと思っている。それは大企業の一部でしかない。不可能な問題の立て方をしていると言わざるを得ない。

<経営改革は人件費アップが前提条件>
 わたしは経営改善するのに人件費を削ったことがない。経営改革のシミュレーションには人件費アップが入っていた。最後に帝人との治験検査合弁会社の経営を任されたときにも、経営改革の損益シミュレーションには人件費アップを考慮していた。赤字を脱却するつもりだったので社員の給料はSRLよりも高くしたかったし、社員と同等以上の仕事をしてくれている準社員数名は社員にしたかった。そのためには経営改革をどうすればいいか、そういう視点から業務全部を見直しました。そして見つけた。現有人員でデータ管理で新規事業分野を開拓できることに気がつき、サーバーやソフトは最高のものを揃えてやりました。システム分野で、応用生物統計解析で、データ管理業務でそれぞれ、若くて有能な技術屋さんが揃っていました。よろこんでやってくれました。
 備品はSRL本社よりもいいものでそろえました。「お目付け役」のSRL営業担当取締役が備品を見て「赤字会社なのにSRLよりもいい」とクレームが出るくらいいいものでそろえました。まったく文化の違う2社の社員が机を並べて仕事するのだから、夢や希望がなければ持たない。「3年で黒字、5年目には売上高経常利益率でSRLを越えますから、(SRL本社よりも)いいものを使ってもらうのはあたりまえです」といったら、絶句していた。
 営業本部に関係会社管理部があって、この役員T村さんとは1年間ほど一緒のスペースで仕事したことがありました。北陸の臨床検査会社の買収案件で、わたしの仕事のやり方をそばで見ていたのですからわかってもいいはずでした。交渉が終わって、被買収会社の役員と金沢で歓談、そのおりに、問題を一つ抱えていると相談があったので、「問題ありません、その買収金額に分積み増すので、それで処理してください」と即答しました。同行した営業担当役員目を丸くしてました。「そんなこと約束して大丈夫か?」と焦ってました。経営統合システムを開発して、検査試薬の価格交渉で3年間で50億円以上のコストカットをしてますから、元富士銀支店長の管理系の副社長はわたしの提案ならなんでもOK、心配いらないのです。必要だから、この案件〇円積み増して契約書を作りますと口頭で報告すればいいだけです。買収の稟議書はすでに通してあったので。おそらく、仕事の権限は社長を除くとわたしが実質的に一番大きかった。必要な権限はそれをもっている人の了解があればいいだけのこと、便利な職務権限表というのがありました。その2年ほど前に学術開発本部スタッフとして仕事していた時に、学術営業部の佐藤君がもってきた慶応大学病院産婦人科医たちとの出生前診断検査MoM値日本人基準値研究の産学協同プロジェクトで、製薬メーカーに検査試薬を無償提供させ、社内の検査と多変量解析は学術協力で無償、有償だと1億円を超えるような産学協同プロジェクトをマネジメントしたことを知らなかったのでしょう。二週間ほどで全部話をまとめて稟議書を書いて、慶応大学病院のドクターへはプロジェクトの概要を説明に行っています。学術営業部長の窪田さん(現・ペプチドリーム社長)とはT村営業担当役員はそりが合わなかったようですから。
 帝人との治験合弁会社の赤字解消は、要するに生産性をアップして付加価値を増やせばいいだけのこと、そのとおりになりました。SRLの近藤社長から直接、合弁会社の経営を任され、経営判断はわたしがすることになっていたからやれたのです。わたしの要求を呑んで経営を全権委任してくれた近藤さんが偉かった。
(近藤さんは慶応大学医学部、厚生省の課長だったかな、創業社長の藤田さんがリクルートした。仲の良かった同僚の加藤が、仕事で厚生省を回っていて面白い人がいると言っていた。午前中から新聞かぶって寝ていることがあるという。「ebisuさんに似ている」と評した。わたしは午前中から新聞かぶって寝たことはない。それが1年くらい後に調査役で入社してきました。1年ぐらいで経営レポートをまとめて提出したが、わたしはそれを読んで、面白い男だなと思った。加藤の評価通り、型破りの人だった。タイプが似ていたのかもしれない。加藤はその後会社を辞めて独立したが、経営がうまくいき始めたところで、胸部に癌を発症して半年後に亡くなった。43歳だった。いい奴は早死にする、もっと生きていてほしかった。
 加藤は東大法学部を受験するつもりだったが、東大紛争でその年は入試がなかった。家の都合で浪人できないので、しかたなく中大法学部へ進学したと言っていた。あの年に東大入試が中止されていなければ、加藤との出遭いはなかったかもしれぬ。奥さんは東大理三、ある海外一流化粧品メーカーの開発部長をしていた。)

<仕入れコストカットは利の薄い取引業者を叩かない>
 中小企業の仕入先も叩いたことがない。SRLの場合は検査試薬の卸問屋である。そこを飛び越して、世界中の製薬メ―カーと直接価格交渉し、卸にはそれまでの利益率を保証するように求めた。その率は書かない。3社の卸を使っていたが、価格交渉がなくなって喜んでいました。SRLに入社した翌年から製薬メーカーとの価格交渉で利益の4割を叩きだしてました。

<産業用エレクトロニクス専門輸入商社の経営改革>
 1978年9月-84年1月末まで勤務した産業用エレクトロニクスの専門輸入商社でも同じスタイルでした。具体的な経営分析に基づき、経営提案を次々に提案、実行し、利益の3分割方式をオーナー社長に認めてもらいました。予算超過達成によって実現した利益の1/3は社員のボーナスとするというものです。1/3は経営安定のために内部留保に、残りの1/3は配当でした。安定して高額の賞与が保障されたので、住宅ローンが組めると社員が喜んでましたね。それまでは、円安になると、会社は赤字、ボーナスは激減でした。円高になると業績はよくなるという極端なアップダウンを繰り返してました。

<単純な原則を遵守する経営改革と経済構造の大転換>
 企業経営で大切なことは、これだけ。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」
 あとは正解のない問題を解くのに知恵を絞ったらいい。経営力のある者にとって、ストライクゾーンは広いのです。経営力のある経営者だけが付加価値を増やし適正な範囲にコントロールできます。そういう観点から見たときに日本の大企業経営者のほとんどが経営力ナシです。経済構造そのもの、経営の仕方そのものを変えないといけません。弊ブログカテゴリーの#91からA6まで、そういう問題を扱っています。経済学の公理の一つである、ギリシアの奴隷労働に淵源をもつ「労働」概念を棄てて、「職人仕事」を公理に措定する。そしてそれに見合った自立型経済をデザインする。あらゆる産業がある日本でこそそういう経済社会のデザインと実証が可能です。日本人が世界になすべき使命ですよ。強い管理貿易を指向します。

 経営能力のない経営者は非正規雇用を増やすのと同時に自分の役員報酬はアップするというようなことをしますから、すぐに見分けがつきます。豊田章夫さん大丈夫ですか?

 SRLの創業者の藤田光一郎さんは、金沢医科大学出身の小児科医です。一部上場企業なのに藤田さんは自分の報酬はアップしませんでした。2500~3000万円程度でした。だから、他の役員が気の毒でしたね。オーナー社長だから、株式配当が大きいので給料は安くてもいいのではと思うでしょう。違うんです、藤田さんは持ち株比率にもこだわらない人でした。大株主ではありますが、持ち株は概して少なかった。
 出張で羽田へ戻ると、本社のある新宿NSビルまで電車を利用する人でした。出迎えに行った子飼いのA専務が叱られてました。「社員が自分で車を運転して営業しているのだから、わたしはハイヤーを使わない」と、わたしは演技であったと確信しています。専務は川越の自宅からタクシーで通勤してました。もちろん会社の経費でした。たしなめたのです。一度だけ部長職を叱っているところを声だけ聞いてました。八王子ラボ学術開発本部で仕事していた時のことでした。にわか作りの簡易パーティションで社長室をつくりました。わたしの背中の壁が社長室のパーティションでした。会社の信用にかかわる重大なコンプライアンス違反があったのです。大声で怒鳴ったのを一度だけ聞きました。あれも演技でした。後にJAFCOとの交渉ごとのときに同席して様子を観察していて、わかったのです。冷静な人でした。頑固さもときに演技で、おちゃめな人でした。東北の臨床検査会社の資本出資交渉を任され、その後の経営改善を社長の特命でしてました。3年の約束でしたが3年たったら、ずっと居たいと藤田さんにお願するつもりでした、具体的な経営改革案をつくって、最終的な実行承認をもらおうとしたら、ストップ15か月で呼び戻されちゃいましたが。毎月、文書とSRL郡山営業所から電話で報告を入れてありました。
そのスタイルは後に近藤俊之社長から帝人との治験合弁会社の経営を任されてときにも同じでした。子会社の練馬にある東京ラボから立川のNSビルにあったSRL本社へ合弁会社設立準備プロジェクトへ初参加のために出向いたら、エレベータの前で近藤さんと出くわし、3分間で課題4つと3年の期限を確認し、その代わりにやり方は任せてもらうことと、経営判断の全権委任を受け入れてもらいました。そうしないと期限内に四課題の消化ができませんので。
 藤田社長とは浜松町の東芝ビルまで、JAFCOと東北の臨床検査会社の件で交渉事があって出向いたときにご一緒してますが、電車でした。あの交渉の間合いの取り方は勉強になりました。浜松町で降りて、東芝本社ビルまで歩いた道のりが藤田さんとのお付き合いでは一生の思い出になりました。ふと立ち止まって、「ebisuさんの言うとおりにやるか」っておっしゃった。場合によっては喧嘩腰の交渉で決裂も辞さないと、社長室のテーブルではなくて、社員から見えるテーブルを選んで頑固におっしゃったっきり、その後はにこにこ私を相手に時間つぶしの雑談。時間になって立川駅から中央線に乗り、新宿で山手線に乗り換え、浜松町で下車してJAFCO本社が入っている東芝本社ビルまで歩く道すがらずっと考えていてようやく結論に達したのでした。あの一言がうれしかった。
 転職を繰り返しましたが、SRLが16年間で一番長かった。会社が大きいのでさまざまな部門へ「社内転職」が可能だったので退屈しなかった。とっても働きやすかった。仕事した企業では社長の特命事項のプロジェクトで仕事する機会が多かった、例外はありません。仕事に恵まれていました。


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tsuguo-kodera

 全く異論はありません。素晴らしい仕事でしたね。しかしトヨタですら昔から期間工を雇っていました。多くは農業の出稼ぎ者でした。今は農業もなくなり、そのまま非正規社員が増えました。自動車産業はどこも同じです。
 情報産業は中小企業の社員を受け入れ机を並べてソフトを開発していました。大会社はアメリカ企業との競争に敗れ販売権をとり、開発を縮小。下請けのソフト会社はつぶれたか、若い技術者をこき使い、発展した。とんでもない会社が今のソフトや情報の勝者だと私は思います。
 ebisu先生の3方良しは素晴らしい。でも今の儲けている会社には期待できません。銀行や山一を潰した時、日本はルビコン川を渡りました。渡らせた人たちがでかい顔をして新経済論を進めています。もちろんebisu先生の3方良しとは真逆な考え方で。
 私は物価が高騰し、飢え死にする人が出だし、やっと本気になって改革する人が現れると思います。歴史の教えだからです。今のように物乞いのように10万円を議論している政治家ではなく、昔のように私財を投げ出して政治の改革に努める人が現れて。
 そのために議員を減らし、議員の給料を半減し、交通費だか通信費だかしりませんが、給料以外の手当てなどゼロにすべき。明細書などいくらでもインチキできるから。
 そのために国も各県も破綻して初めて改革が始まります。付加価値が上がらないのは付加価値税にならなかったからでも分かります。仕方ない。もうルビコン川は戻れません。南無大師金剛遍照。
by tsuguo-kodera (2021-12-15 12:56) 

ebisu

koderaさん

行き詰まらないと変革は起きぬ、それが歴史の教えるところだとすれば、日本というスケールではなくて、世界というスケールでそういう時代が近づいているのでしょう。

日本史は面白い。600年前後に日本の古代国家の骨格ができます。そして1192年に武家政権が誕生し、摂関政治が終わります。1600年に関ケ原の戦いが起き戦国時代がようやく終焉を迎えています。そして21世紀を迎えて21年目です。
これまで四百年単位で日本は大きく変わってきています。

グローバリズムも果てしのない拡大再生産と生産力の増大が行きつくところまで行きつき、誰の目にも問題がはっきりしてきています。

そうならなければ変わらないというなら、そうなるのでしょうね。
企業経営に関しては新しい道が、日本の老舗企業の中にあります。新しく勃興している産業群ではないところに、時代を超えて生き延びる企業経営の智慧が隠されています。新しい経済理論は、企業経営の在り方に変革を迫るものです。公理は工場労働から職人仕事へと変わればいい。そしてそうした企業経営の骨格は数百年間この日本に伝統として根付いています。そのことに若い人たちが気がついてもらいたい。足元を見たらいいだけなのです。
トヨタに歴史的使命があるとしたら、電気自動車開発や給電システムのインフラ整備にまい進するのではなくて、グローバリズムに対抗するような、生産システムを確立して、それを世界中に広げることかもしれません。大きいだけに影響力も大です。

どん詰まりを迎えたとき、若い人たちの力に期待しています。そういうどん詰まりの状況にならなければ、若い人たちのパワーは顕在化しないのでしょう。
by ebisu (2021-12-15 16:34) 

モリゾウ

トヨタよりもその下請けで安住している中小企業の自立にこそ根本的な問題があると思います。トヨタがEV車を販売戦略の核としてこなかったのは、下請けを助けるためですから。内燃機関が不要になれば、部品点数も大幅に不要となる。結果、下請け企業は経営革新するか廃業するしか道はなくなる。トヨタは現在の豊田社長が色々な場面で答えているように中小下請けの雇用確保のために、EVシフトには消極的でした(参考記事
https://maonline.jp/articles/3questions_about_toyotas_ev_shift211214

その結果、テスラの生産革新は進み、(https://lowcarb.style/2021/10/19/tesla-megacast/)トヨタを凌駕するレベルに一気に引き上げようとしています。

職人文化云々を超えて、トヨタですらこれまでコツコツ積み上げてきたことが一気に崩れる危険性があります。そのとき日本経済は地盤沈下してしまうかもしれない。それを防ぐためには、中小企業こそ下請け根性を捨てて、経営革新とともに、自立して世界と渡り合える競争力をつけなければならないと私は思います。


by モリゾウ (2021-12-18 16:03) 

ebisu

モリゾウさん

EV車へ移行すれば、現在のすそ野の広い下請け体制は崩れざるを得ません。テスラは新しい企業だから、何も引きずるものがありませんから、その点は有利ですね。

大量の雇用が失われるとは言っていますが、それはそうなるだけのことで、なにか下請けを救済する具体策があるわけではありません。
EV転換が日本で進むのかのついて疑問があるのでしょう。インフラ整備に日本政府が本気になっているようには見えないからです。
だから、トヨタはしばらくはガソリンエンジンのハイブリッド車とEVの二本立てで行くしかありません。その間は、ハイブリッド車の部品下請けに生き残っていてもらわなければならない。豊田章夫社長の考えているのはそういうことではないでしょうか?

下請けメーカーは否応なしに新規分野にチャレンジしなきゃいけなくなりつつありますが、内部留保が概して薄いので、EV転換で生き残れるのは1/3もあるのでしょうかね。部品の発注価格をアップして、下請けに内部留保を積み増しさせるなんてことはいままでのトヨタの経営体質からしてやるはずもありません。
つまり、このままでは衰退の道しかありません。長期経営戦略で行き詰まっているのです。

したがって、EV車の部品製造へと業態転換できる企業と、自動車産業以外の新規事業分野を切り開いた下請け企業が自立して生き残れるのでしょう。

その一方で、給電設備や給電システムのインフラ整備で大きな新規事業分野が拓けそうですが、自動車産業の下請け企業がチャレンジするには敷居が高い。使える技術がどれほどあるのか、見えません。さまざまな業界が参入してきます。

全国ネットの給電システムは、発電所増設の必要もあり、道路整備と同じで、政府がインフラの整備をしないといけませんね。政府が動かないので、トヨタがやろうとしています。これではEV普及に日本は決定的に出遅れてしまいます。トヨタのEV転換も絵空事です。やらないのではなくてやれないのです。トヨタ社長は政治の世界と距離を置きすぎてきたのではないでしょうか。そのツケがインフラ整備に自分で乗り出さないといけない=給電システムインフラが整備できないということに現れています。

わたしはトヨタは生き残る道があると思っているんです。EV車になれば部品点数が少なくなるし、製造技術もそれほど高くなくても、安い車をつくりうる。低開発国を中心に生産システムと技術を輸出すればいい。EV車は基本的に地産地消。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」でEV車生産をやるにはどういう経営の在り方があるのかを根本から考え直してみたらいいのだと思います。
後進国から始めて、国単位で小さな生産システム拠点をつくる、そして市場を奪うことで自社も含めて従来型の巨大メーカーを解体していく。グローバリズム終焉の切っ掛けをつくる企業となりうる可能性があるのではないかと思っています。巨大メーカーとしてのトヨタも消滅します。役割がまったく異なる企業へ生まれ変わる。
by ebisu (2021-12-18 18:33) 

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