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#3097-10 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-10  Aug. 4, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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*-1 【コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実】
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生産性の飛躍的増大が生産力を生態系の限界を超えて増大させるという論点を拾い上げてみたい。
 
18世紀の第一次産業革命は工場制機械工業による相対的剰余価値の飛躍的拡大期だった。工場生産に機械を導入することで、工場制手工業に比べて生産性が数十倍にあがった。だから、資本主義の王道は、労働強度を増加させることではなく、生産性を上げることにある。生産性を上げる智慧のない企業が、それを補うために労働強度を増大させざるをえなくなるが、労働強度を増大させることで利潤を増やすような企業は、生産性を飛躍的に高める企業との競争に勝てるわけがない。原始蓄積段階ばかりでなく現代日本においても、そういう企業はブラック企業という烙印を押されるおまけまでついて淘汰されていく。
 
いま資本の原始蓄積過程を研究したければ中国やインドへ行けばいい。資本の原始蓄積と賃金高騰を観察することができる。あまり上がりすぎれば、工場は中国の外、ベトナム・タイ・ミャンマーへ逃げていく。
 
私は1980年代後半に日本最大の臨床検査ラボで購買課機器担当をしていたことがあり、仕事で精工舎の腕時計組み立てラインを見学させていただいたことがある。それほど広くない工場建物内には5ラインほどあり、一つのラインにはアーム型ロボット十数台とパーツフィーダが並んでいた。見学したときには組み立てラインには人がいなかった。驚いたのは、違う種類の腕時計が殆どロスタイムなしに切り替えられ、自動的に組み立てられていたこと。あの当時のコンピュータの性能はパソコンがようやく業務で使えるような性能になった程度で、工場内の機器制御には高性能ミニコンが使われていた時代である。ミニコンのトップメーカはDECだった。84年ころで15000万円、90年ころには64ビットのミニコンが10002000万円程度まで値下がりしていた。現在は当時のミニコンよりも性能のよいパソコンが10万円で手に入る。1980年代のネットワークは通信速度が遅くて、画像データのやり取りはまだできなかった。パソコンの性能が飛躍的に改善されて、90年代前半にあっという間に汎用大型機が駆逐されてしまった。パソコンを数十台つないでハードディスクはレイドアレイ方式にして並列処理すれば大型汎用機がやっていた仕事は難なくできてしまった。ラックに数十台マウントできるから、一部が故障しても安いからすぐに交換できた。バックアップに同じ台数のパソコンとハードディスクを用意しても、10億円の大型汎用機に比べたらただみたいなものだった。ネットワークも専用線を引かなくてすむようになり、光回線で画像データのやり取りが全国どこでもやれるようになった。そして2000年になってからクラウドコンピューティングが普及しだし、ビッグデータ利用がはじまっている。
 
機械とコンピュータとインターネットがソフトウェアを介してつながり、相乗作用で飛躍的に総合的な性能アップが始まり、第二次産業革命がいま進行中である。巨大な生産手段を持たなくても巨大企業になるチャンスの時代が40年前にはじまっている。マイクロソフト、インテル、アップル、グーグル、フェイスブック、楽天、ライブドアなどがそうした環境で生まれ、育ち、巨大化してきた。
 
工場部門のみならず、事務部門ですらも機械とコンピュータとインターネットが融合して、精度と生産性が同時に飛躍的に高めることのできるインフラが揃っているさまざまな産業分野の工場生産や事務部門の人的生産性を、精度を飛躍的にあげると同時に数十倍に高めることが可能な時代に突入した18世紀英国で起きた第一次産業革命がそうであったように、生産性が飛躍的に高まることで、相対的剰余価値が加速的に拡大し、資本蓄積が昂進する。コンビニや外食産業では週次決算どころか日次決算が普通になっているが、これはもう手計算では不可能な世界である。
 
生産性が飛躍的に高まるということは生産力が飛躍的に高まるということでもあり、他方で生産力が人類の生存環境を破壊しかねないほど強大になる時代に入ったということでもある
 
もう一つの脅威は生産性の向上そのものにある。生産性とはパーヘッド当たり(一人当たり)の生産力の大きさで現される。過去30年間の速度でコンピュータの演算速度とメモリーの集積度が上がっていけば、百年後には現在の2億倍の性能になり、5cmのキューブ型人工知能数台で、現在世界中にあるコンピュータを代替可能な時代が来る。このまま経済成長を追い求めれば、生産の現場に人間が邪魔になる時代がもうじき来てしまう。
 
人間や資本の欲望のままに生産力増大をさせてはいけない時代にすでに突入してしまったと言ってよい。
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*-2 【日本の工場部門と事務部門における「改善」と生産性向上】
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 マルクスが想定したようなタイプの単純労働は日本の生産現場にはほとんどみられない。工場労働者ですら、自分の工場の生産工程改善を自らの意志と考えで行う自由が許容されている。そういうことがいつでも保障されているのが日本の生産現場である。自主活動の典型である、5S運動は殆どの生産現場でなされている。
 欧米の企業ではありえないことが、日本の企業の製造現場では普通になされていることがある。それが日本企業の大きな強みになっているから説明しておきたい。
 
一つ事例を挙げてみる。わたしが勤務していた国内最大手の臨床検査会社の八王子ラボでは、そこで働く社員が自分で研究テーマを立ち上げて、それが所定の社内手続きをへて承認されると、申請した予算が割り付けられて自分の研究や新規検査項目の開発が自由にできた。もちろん、自分が受け持っているルーチンをきちんとこなして、余った時間あるいは残業してトライするのである。残業はもちろん上司によって認められていた。研究部や開発部があるのだが、開発部は製薬メーカと検査試薬の共同開発がメインの仕事であり、新しい検査試薬が開発されたら、それが新規の臨床検査項目になるのである。わたしが学術開発本部に在籍していた1990年前後の開発部のメンバーは5名、ひとつの案件に2年~3年かかるので、商品になる共同開発件数は年間数項目に過ぎない。
 研究部は統計解析を担当しているチームとそれ以外のチームがあったが、新規項目開発に関して大きな役割を果たしていたとはいえない。1990年前後は多変量解析のニーズが大きくなっていた。出生前診断項目のMoM値がその典型だった。基準値設定作業に多変量解析が必要だから、それは研究部にいる応用生物統計の専門家たち以外にはできる者がいなかった。研究部はマイナス150度の冷凍庫を2台もっていたから、ルーチン部門ではできないようなものを扱っていたのだと思う。1990年当時の話だがマイナス80度の冷凍庫はラボ内に60台以上あり、そのほとんどがルーチン検査部門だった。一番多かったのは治験検査受託に関する検体保存だろう。患者は亡くなっても、手術で摘出した臓器や採取した血液がなどの数万人分の検体がマイナス80度の冷凍庫で冬眠状態になり生きている。遅い時間まで仕事していると、音がしたり、人の気配がする。御祓いをしてもらったことがあるが、霊能の強いお坊さんが、「ウワー,
」と叫んだことがあった。強すぎて、自分には無理だとおっしゃったと聞いた。他には誰もいないのに話し声がしたり、人の気配がするだけだから、多少気味の悪いことはあるが慣れたらなんでもない。霊感の強い人だけ気配を感じることがあるらしい。夜9時ころまで用事があって10台ほど冷凍庫が並んだ部屋で仕事をしたことがあったが、何もおきなかった。時間が早すぎたか、わたしが霊的気配に鈍感なのかどちらだろう?
 話が横道にそれたが、新規項目の開発は、開発部や研究部が主体ではなく、ルーチン検査部門が主体となっていた。


 私は東証Ⅱ部上場準備要因として中途採用された5人の中の一人だった。入社してすぐに事務系統合システム開発の会計情報システムと各サブシステムとのインターフェイス開発を担当し翌年には全社予算編成統括管理も担当した。予算編成を2回やってから、ひょんなことから八王子ラボへ異動になって検査機器の購買を担当した。全社予算編成の統括をした社員が、購買課への異動なんてありえないことだが、利益増大のために材料費削減が問題となり、購買課に任せていては埒が明かないと管理部門担当役員が判断、言いだしっぺのわたしを臨時の応援部隊として派遣した。1ヶ月余の交渉で材料費が10億円強下がったら、そのまま異動になった。上場準備用につくったシステムも
手直しすべき点が少なからずあったので、社内にはほかにできるものがいなかったのである。仕事の成果が出すぎると、こういう思いがけないことになる。もともとの目的は一月半の値下げ交渉応援だったが毎年材料費を下げるということが、利益増大のための戦略項目になってしまった。メインの業務を何にしようかということになり、機器と購買管理システムのメンテナンスと、ついでに手直しということになった。担当産業用エレクトロニクス輸入商社で、マイクロは計測器の他に液体シンチレーションカウンタ、質量分析器などの理化学機器を扱っていたので、さまざまなタイプの臨床検査機器を理解するのは簡単だった。機器の制御系とインターフェイスが産業用理化学機器に比べてずいぶんとちゃっちくて遅れていたのである。だから、メーカとの共同開発についても専門的な判断ができたから、特別なことはなかった。だから、メーカとの共同開発についても専門的な判断ができたから、特別なことはなかった。軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入商社での5年間にわたる世界最先端の製品に関する社内勉強会で、国内最大の臨床検査会社のラボの機器管理に必要な専門知識くらいはしっかり身についていた。どんな仕事でも、やる機械があったら全力でやっておくのがいい。次にとんな職場を用意してくれるかは天がちゃんと決めてくれるから、先のことについてあれこれと何も考える必要はない。

 機器の購入を通じてラボ内にネットワークができていったから、だれがどんな研究テーマをもっているか耳に入るようになったし、それぞれ本人とも話をする機会が増えた。ラボの予算はラボ管理部が統括して本社経理部の予算編成担当とネゴすることになるのだが、その本社でラボ管理部の予算を決めていたのが私だったから、予算が取れないで困っている有望な研究テーマには必要な機器購入予算を認めるように簡単に話がつけられた。当時は300億円ほどの売上で、売上高経常利益率が12%あったから、経常利益が毎期30億円を超えていた。実効税率を38%としても税金の支払いを少し減らして将来の新規商品開発のための高額機器を手当てしたほうが会社の成長に役立つ。経理担当取締役のI本さんに話は通しておくからと言うと、通らない案件はなかった。I本さんとは馬があった。本社もラボにそういうコネクションがほしかったのである。新規商品の開発につながりそうな研究に積極的に予算をつけたいが、ラボ管理部を通して案件が上がってくるのでわからないのである。あの会社は特別だったかもしれないが、利益率が高ければ日本ではどこの会社でも似たようなことが可能だろう。
 会社は縄文時代以来続いている村落共同体(惣)の焼き直しなのだろう。集団生活の中ではその成員としての義務があり、それを果たしていれば平社員でもかなりの自由が認められる。生産現場で工程改善を行うのは楽しいものだ。創意工夫していいのである。創意工夫は遊びでもあり仕事でもあるから、境目がはっきりしない。夢中になって心の底から楽しんでいる人にとって仕事は歓び以外のなにものでもない。業種を変えて転職を繰り返しながら、本社管理部門や学術開発本部での事務仕事においてわたしはそういう仕事のやりかたをしてきた。だから、自由が保障されているのは工場だけではない、本社管理部門でも同じであると言い切れる
 たとえば、産業用エレクトロニクスの輸入商社で、
1979年:「円安になると赤字になるが、これを回避する仕組み・方法がなにかないか」、
1980
年:「営業事務の省力化と粗利益率を上げるために、受注算管理および為替管理システムと円定価システムを開発する」(実際に売上高粗利益率が15ポイントアップ(28%⇒43%)し、利益がジャブジャブ出て、利益の額は店頭公開要件を軽くクリアしてしまった)
1983年:「それらのシステムを会計情報システムと連動させて、総合情報システム開発を担当」(輸入商社)
1984年1月末で産業用エレクトロニクス輸入商社を退しリクルート社の就職斡旋システムを利用、SPI試験を受けて7段階・最上位の偏差値をたたき出し、条件のよい10社ほどのファイルの中から有望な企業を選び、2月初旬にSRL社へ就職。5年間の売上増加率が毎年20%、売上高経常利益率が12%の超優良企業だった。東証Ⅱ部上場のための要員として採用。5人採用されたの中の最後の一人だった、ついていた。

1984年:東証Ⅱ部上場のための統合会計情報システム開発
1991年:「100人の従業員のままで、3倍の業務量がいままでよりも楽にこなせるように実務設計をして、それにあわせて業務系システムと検査システム再構築し、高収益企業への転換を図る」
1996999月:「赤字部門を出し合って設立する合弁会社を3年間で黒字にして、合弁相手の臨床検査子会社を買収せよ」と本社K藤社長から指示あり、期限内に仕事は完了。

<エピソード-1>
 臨床検査専門学校がSRL八王子ラボの見学に2単位を付与していた。学術開発本部で仕事していたときに海外のお客様のラボツアーがわたしの担当だったが、臨床検査専門学校の生徒さんたちにラボツアーをしてもらうときは、間に合わないので手伝った。そのときのわたしの説明には二つ要点があった。ひとつは社員食堂が見晴らしのいい最上階にあり、食堂のテーブルやイスはデンマーク製で木製と布張りの高級品、国産品の3倍の値段のものを使用していること、つまり社員を大切にする会社だということ。二つ目は、SRLでは開発部や研究部に配属されなくても、臨床化学部やRI部、細胞性免疫部、病理部、染色体検査部、ウィルス部、免疫血清部、特殊検査部へ配属されても、そこで自分で研究テーマを立ち上げて予算申請すれば、残業時間を使って自分がしたい研究開発ができるということ。「え、本当ですか!」、「入社してきて、もし必要な予算が下りないときはわたしに電話くれたら相談に乗る、入社した翌年には全社予算の統括責任者をしていたから、わたしを説得できるだけの材料を集めたら協力する」、そんな会話が何度かあった。日野駅から八王子ラボまでの通勤バスはリムジンバスの導入を検討したことがあったが、一箇所角を曲がれないことがわかり、断念した。社員全体のためになるなら、いろんな部署がさまざまなことを提案実行できるのがSRLという会社であった。

<エピソード-2>
 入社翌年にわたしは統合システムの開発を完了し、全社予算編成の統括管理をしていたが、臨床診断支援システム開発に関する予備調査提案書を経営会議に提出すると、創業社長の藤田光一郎さんはすぐにOKを出してくれた。事業化には200億円の投資を必要とすると明記してあった。管理会計課にいても、そういう提案をしてルーチン業務をこなしていれば、余った時間を使って新たなことへのチャレンジが簡単に認められた。NTTデータ通信事業本部と何度か協議した結果、事業家に必要な性能のコンピュータや通信回線が20年以上たたないと不可能ということがわかり、断念した。しかし、10年で要求仕様をみたすコンピュータも回線(光回線)も実現してしまった、あれは見通しを誤ったわたしが悪い。全国の大学病院と疾患ごとの専門病院(その当時は、たとえば甲状腺の伊藤病院など)をネットワークして、専門医の診断アルゴリズムをプログラム化し、検査データとぶつけて、診断支援をするものだった。光カードを媒体に使用した電子カルテの標準化や臨床検査項目の標準化が必要だったが、臨床検査大手6社の項目コード検討会に臨床病理学会の臨床検査項目コード検討委員会の委員長であった櫻林郁ノ介教授に参加をお願いして、5年ほどかけて日本標準コード制定にこぎつけた。いま全国の病院で使われている。
 日本標準臨床検査項目コードの開発にはシステム開発部長のS茂さんが反対だったが、その下で仕事をしていた栗原課長がわたしに協力してくれた。直属部長の意向を無視しても、世のため人のためになると判断したら人事上の不利益を覚悟でもやりたいことをうやる、やり通すサムライがどの部署にもいた。臨床科学部の部長の川尻さんも快く参加してくれた。櫻林先生は臨床科学部の免疫電気泳動の学術顧問だった。櫻林先生は、SRLは研究論文の材料となるデータがいくらでもあって「宝の山」だと言っていた。
 入社一年後から個人的に櫻林先生とは検査項目コードの件でコンタクトが会ったが、長丁場になるので臨床化学検査部長の川尻さんに協力をお願いするのがベストと判断した。彼女はその後、学術情報部長となって5年にわたる大手6社と臨床病理学会の項目コード検討会議を支えてくれた。

<まとめ>
 自発性にもとづき、所属している部署に関係なくチャレンジできるのが日本の企業の特徴である。米国やヨーロッパの企業では大学での専攻や資格が必要になるから、こういうパワーはでてこない。
 
いろんなケースがあった。プロジェクトチームの一員としてやったものもあるし、自分で目標設定して戦略も自分で立案し実行したも、目標と期限を指示されてやったものとさまざまだが、とにかくやり方だけは任せてもらう。期限内に目標達成できるように仕事を組み立てていくのは実に楽しく、達成感も大きい。
 
会社の業績がよくなることで働いている人たちの所得も上昇するから全体に活気が出てくる。
 
こういうことは仕事でかなりの自由裁量を任されているから楽しめるのであって、マネジャーや取締役や社長に命令されたことを命令されたやり方でやるのでは歓びが生まれない。そういうフィールドでは労働は苦役たらざるをえない。ヨーロッパや米国の企業の生産現場やサービス業の現場では、マネジャーの仕事とその部下の仕事は峻別されており、部下はマネジャーの指示通りに動くことを要請される。考える仕事はマネジャーの役割であって部下のものではない。

<ゼビオの事例>
 日本には会社によってはパートのおばちゃんたちに見切る商品の決定権とそのタイミングをゆだねている会社すらある。福島県郡山市に本社のあるゼビオがそうだ。パートのおばちゃんたちのほうが、バイヤーの社員よりも強い権限をもって仕事をしている。自分が仕入れた商品をシーズン早々に見切られたくなかったら、バイヤーは売れ筋のよい品物を仕入れなければならない。ゼビオは国内300店舗を超え、従業員数は約1000名、売上規模1400億円の一部上場企業である。
 
一般の工場労働者やパートのおばちゃんが西欧流のマネジャーの役割も兼ねているのだが、こうしたことが工場や販売店で行われているのは、日本が「領主⇔農奴社会」ではなくさまざまな職種を含む自立した村落共同体であったことが影響しているように思われる。共同体の成員としての義務をちゃんと果たしていればかなりの自由が共同体内部では認められることは古代もいまも変わらない。日本人は2千年前もいまも同じスタイルで仕事をしていると考えてよさそうである。村落共同体が育んだ価値観が連綿と受け継がれており、村落共同体が会社という看板をあげただけの話だ。
 古代の共同体は、領域ではなく、戸を単位としていた。中世になって封建領主がいても村落共同体にかなりの自治権が認められているところが、日本の特異な面のひとつだろう。自分たちで共同体のルールを決め、作業を分担して住みやすいように管理していくということが数千年も続いたからだろう。ルールを守り、成員に課せられた義務を果たす限りで共同体の構成員足りえたのである。自発性の強い村落共同体が縄文時代、古代、中世とずっと受け継がれてきて、現代になってそれが会社という皮をかぶった村落共同体に受け継がれているように見える。
 
工場内の工程改善は西欧流のマネジメントではマネジャーの役割で、そのために会社は高い給料を彼に支払う。マネジャーが雇用契約書にある職務を遂行できなければ翌年の契約更改はなされない。降格か解雇である。権限と責任と報酬は三つでセットになっている。
 
どちらのほうが優れた品質の商品を短時間かつ低コストでつくれるかは比較の必要もない。人間の自発性を引き出しうるシステムのほうが優秀に決まっている。あれこれ言われてやるよりも自ら考え行動するほうが結果はずっといいものになる。職人の仕事がまさにそういうやりかただ。もちろん西欧にも職人はいるが、普通の工場労働者が職人になることはほとんどなく、マネジャーの指示に従って動くだけでよい。だから、考えなくなる。仕事の改善が一般社員からは出てこないシステムなのである。

 [職人教育システムとしての徒弟制度]
 
優れた職人は洋の東西を問わず徒弟制度で育成されている。ここに重要な教育システムの一つがあるが、あまり研究がないように感じる、現代教育の一つとして徒弟制度による教育を取り上げ、見直しをすべきではないのか。職人の手の技は見て盗むのであって、教えてもらうのではない。教えなければわからないような者は一人前の職人にはなれない。腕のよい職人は親方の仕事をよく見て、よく真似、よく考える。
 
学力最下層であっても、まじめに修業できれば、名人にはなれずとも一人前の職人にはなれる。人の倍の時間がかかっても、修業を続けているうちに一人前の手ができる。社会には平均以下の学力の生徒が半数いるが、その者たちに手仕事の肉体労働仕事が必要だ海外へ生産拠点が流出して単純労働や手仕事が国内からこの70年間で9割ほども失われたのではないか国内に生産拠点を取り戻すためには、強い管理貿易(鎖国)が必要である。手仕事や肉体労働がない社会は不健全という感覚を取り戻すべきだ 

【5S:コトバンクより】
https://kotobank.jp/word/5S-179354
5Sとは職場の管理の基盤づくりの活動で、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の頭文字の5つの「S」をとったもの。もともとは製造現場において、安全や品質向上を目的として「整理」「整頓」「清掃」の3つを中心に「3S」活動として取り組まれてきたが、その後「清潔」「しつけ」が加えられて「5S(活動)」として定着した。5Sは単なるスローガンではない。5Sの各段階のSで、それぞれ目的や具体的な手法が定義され、活動全体が高度に体系化されている。5Sは単にきれいにするだけの活動ではなく、「職場内からムダなモノ、スペース、時間を無くす」「モノや情報の共同利用をしやすくする」「乱れや異常のない状態をつくり、異常が発生すればひと目でわかるようにする」「あらゆるモノや情報が完全に管理された状態を維持し、かつ改善して高度化する」「モノや情報を扱う人間の意識と行動を改善する」など、職場全体の管理レヴェルルをあげるための最も基礎的な活動と位置づけられている。今日では製造現場に限らず、建設、物流、小売流通、サービス、事務、営業、病院、介護など、あらゆる職場で重要性が認知され、取り組まれている。また、生産性が低く改善が進まないとされる業種、企業、部門などに共通する問題として、5Sのレヴェルルの低さがあると指摘されている

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 *[注-3] 総合偏差値による経営分析システム:5つのディメンション(指標群)と27指標
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 業績改善のための測定ツールとして、27ゲージのレーダチャート方式の経営分析モデルは1979年秋につくりました。各ゲージには標準偏差値が設定されており、ゲージごとに実績値は偏差値に変換されて、相互に比較可能になっていました。1979年の時点で、年次予算や長期計画にこのような経営分析モデルを使った経営管理が行われた会社はほかにはなかったでしょう。効果は絶大でした。勤務していた産業用エレクトロニクスの輸入商社は円安時には赤字、円高時には黒字、波にもまれるような業績だったのが、安定的に酔う収益を出せる企業に生まれ変わりました。1990年代に公開しています。

【収益性指標群】
  Pf1 売上総利益率
  Pf2 売上高営業利益率
  Pf3 売上高経常利益率
  Pf4 自己資本経常利益率
  
Pf5 総資本経常利益率
  Pf6 売上高金融費用比率

【成長性指標群】
  G1 売上高増加率
  G2 粗利益増加率
  G3 営業利益増加率
  G4 人員増加率
  G5 人件費増加率
  G6 業務量増加率

【財務安定性指標群】
  FS1 現預金比率
  FS2 流動比率
  FS3 負債比率
 
 FS4 自己資本比率
  FS5 固定比率
  FS6 長期固定適合率

【活動性指標群】
  A1 売上債権回転日数
  A2 総資本回転日数
  A3 自己資本回転日数 

【生産性指標群】
  Pd1 S/Pインデックス
  Pd2 OP/Pインデックス
  Pd3 人件費/業務量インデックス
  Pd4 一人当たり売上高
  Pd5 一人当たり売上総利益
  Pd6 一人当たり業務量
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 *-4 [政府財政破綻をきっかけに公務員制度の変革がはじまる可能性アリ]
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本当は教員不適格なのに退職を勧めないことも問題はないだろうか。民間会社では上司のボーナス査定があるので、うだつの上がらない人は最低の評価がつく。23回とそれが続くと、会社には要らない人間、業務不適格者とみなされたということ。もちろん上司は部下が仕事をできるように指導・助言を繰り返し、ボーナス査定の都度、その評価も具体的にして話し合う。それでもダメなら、退職勧告をするというのが民間会社の管理職である。そこまでいたる前にやめる人が大半だ。何人かそういう部下を出したら今度は上司の指導力が問われることになるから、部下の指導は上司にとっても死活問題になる場合がある。
 
1000兆円の政府の借金はプライマリー・バランスを回復するだけでは解消できない。毎年10兆円ずつ返済しても百年かかる。勤労者一人当たり所得がいまのままだと仮定しても、生産年齢人口が2040年には2010年比で70%5768万人になるから、日本の経済規模も70%に縮小する。税収は28兆円前後になるだろう。そういう長期的な見通しがはっきりしている中で金利が3%になったらアウト、返済できないことがはっきりする。
 
長い目で見たら政府財政は破綻必死だ。アベノミクスが政府財政破綻の引き金を引くことになる。それが今年なのか来年なのか再来年なのかは東北大震災の発生と同じように誰にもわからない。だが、いずれそうなることだけははっきりしているからそれに備える必要がある。政府財政が破綻すれば北海道も根室市もドミノ倒しで財政破綻することになる。公務員の大量リストラの時代が近づいてきている、夕張市が先例だ。明治以来続いてきた公務員の身分や処遇や仕事に関する仕組みが変わってしまう。政府は人口推計データに基づいて、50年の長期国家戦略を策定すべきだ。
 
賞与の査定や昇給や退職に関して民間企業並みの基準適用を受け入れるつもりがあるのかないのかも問われる時代がやってくる。いままでどおり堅い身分保障を求めるなら、基礎学力の保障にどういうかかわり方をしていくのかも問われることになる。仕事上の権限と責任と報酬は一体のものなのだから、仕事上の義務や数値目標値を自ら具体的に明らかにして検証して公表する時代が来る。
 
ドイツは敗戦で二度もハイパーインフレを経験しているから、プライマリー・バランスを崩さない堅実な財政運営を心がけている。日本も米国との戦いの後に急激なインフレを経験している。戦時経済で赤字国債を増発し続けたツケが戦後のインフレとなって国民生活を襲った。預貯金や国債は紙くず同然となった。政府財政の破綻が引き金になって公務員制度が大きく変わることになるだろう。
 
データに基づかない議論はたんなる紋切り型のイデオロギーを叫んでいるだけで、不毛で説得力をもたない。民間会社は5年の長期計画をつくり、それに基づいて3年間の実行計画を策定し、それらにリンクする形で部署別の年度予算を組む。そして四半期決算ごとに実績データを比較していく。ある程度の会社ならどこでもやっていること。
 
さて、あなたの学校で全国学力テストの科目別平均正答率の数値目標を立てたことがありますか、そして年度が替わるごとに立てた数値目標が達成できたかどうか確認したことがありますか?
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*-5 「民間企業の生産性向上の実例」
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そのまま学校の業務には当てはまるとは思わないが、参考までに民間企業の事例を二つ挙げておく。
 
3人で2ヶ月かかっていた固定資産税申告書添付の固定資産台帳作成が、システムを作り変えることで、固定資産管理精度を飛躍的に上げて仕事量をゼロにした。100人で20億円の業務量しかこなせなかったのを、省力化にピントを合わせてコンピュータシステムを作り直し、同じ人数でも50億円分の売上がずっとらくにやれるようになった。実務設計が鍵だった。もちろん、赤字会社が高収益会社へ変わった。
 
民間会社はそういう改善努力を積み重ねて利益を上げている。何もしない企業はつぶれて行く。部署が異動になるたびに、引き継いだ仕事は全部やり方を変えた、一つの例外もない。システム化してしまうものや新しいニーズに応えられないシステムがあったら、実務フロー・デザインをして業務のやり方を根本から変えてしまう。東証Ⅱ部上場要件で経営管理と原価計算を兼ねた事務系の統合システム開発を幹事証券会社と監査法人から求められた。会計・支払い
 システム、購買在庫管理システム、検査原価計算システム、売上債権管理および請求書発行システムの4つである。そのほかに、次年度の業績予測を出すのに利益の予測変動幅を小さくするように求められた。問題となったのは減価償却費の予測計算である。これだけで、12億円も推計誤差が出ていた。毎月々の減価償却費を計算する機能しかなかった固定資産管理システムを、会計・支払い管理システムを開発中に、1週間ほどでシステム設計書を書き上げて外注先のSEに渡し、作り変えた。事前準備のほうが大変だった。固定資産の棚卸しも検査試薬の棚卸しもいい加減だった。現場で確認させるだけ、固定資産の現物棚卸しに経理部門が立ち会っていない。そこから変えた。機器の分類をして、コードを振った。八王子ラボは検査機器の種類が多いから、細分すると200種類以上あった。そして名称の統一をした。「フランキ」「フランキー」「腐乱器」「高温期」「恒温槽」「孵卵器」、みな同じものなのだが、固定資産管理者が現物を見ていないし、検査機器のことを知らないから台帳の品名記載がめちゃくちゃになっていた。3日間かけて広いラボの隅から隅まで駆けずり回って、現物と台帳を照合して、分類コードを作って、固定資産台帳の記載を全部改めた。台帳の厚さは10cmほどもあった。その上で予算編成時に集めた部署別固定資産購入リストを入力して減価償却予定額を計算、既存固定資産で計算した部門別減価償却費とファイルと結合処理をして、固定資産減価償却予算推計をしたら、2000万円と狂わなくなった。上場要件クリアである。ついでに八王子市役所と日野市役所の固定資産税課へ連絡して、コンピュータ出力の台帳を固定資産税申告添付書類として認めてもらった。初めてのケースと言われた。それまで、ぐちゃぐちゃな固定資産台帳を所定の申告書類に三人がかりで記入して、2ヵ月半かかっていたが、自動出力できるから、仕事はゼロになった。
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*-6 「繰延税金資産について」
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 繰延税金資産勘定と繰延税金負債勘定は会社法と税法の損失のズレを調整する勘定である。簡単な仮説例が作れないので、日本の三代メガ・バンクの一つである三菱UFJ銀行の決算データの関連部分を並べてみる。(三菱UFJ銀行「有価証券報告書」から集計)


  **容量オーバーのため表の貼り付けを中止**

 假りに、リーマンショックによる国内金融機関の損失15兆円を、ひとつの銀行の損失とし、実効税率を35%とする。繰延税金試算額は、次の算式で計算される。  15兆円×0.35=5.25兆円 会計上の仕訳は次のようになる。  繰延税金資産  5.25   法人税等調整額 5.25 翌期に3兆円の損失が税務上確定すると、次の仕訳が行われる。  法人税等調整額 1.05   繰延税金資産 1.05  5年間にわたり、毎年3兆円ずつ税務上の損失が確定したとすると、毎年上記の振り戻し仕訳が行われる。会計上議論になるのは、繰延税金資産勘定に資産性があるのかという点で、BIS規制との関係で問題になる。 繰越欠損金15兆円は5年間の繰延ができるので、損失発生後5年間の利益と相殺できる。つまり、5年間は繰越欠損金と利益を相殺することで税金支払いを減らすことができる。 三菱UFJ銀行の実効税率①の8年間の平均値は13.5%である。実効税率は35%前後だから、率で21.5%、金額で16673億円も「合法的に節税」できたことになる。三菱UFJ銀行一行だけで8年間で1.6兆円の減税効果あり。
 法人税をさらに下げると安倍首相は叫んでいるが、事実はすでに大幅減税済である。
  簡単な設例で仕組みの説明がされているサイトを見つけましたので、興味のある方はこちらのURLをクリックしてご覧ください。
*銀行員.com 「税務上の欠損金の繰越控除」
http://www.ginkouin.com/rensai/kaikei/10.html
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<生年と没年メモ>
ルネ・デカルト 1596/3/311650/2/11 53
関孝和 1642/31708/12/5 66歳 
アイザック・ニュートン 1642/12/151727/3/20 84 1660年代にライプニッツと微分積分学の創始について争い裁判、25年も係争する。
ゴットフリート・ライプニッツ 1646/7/11716/11/14 70
ピエール・ジョセフ・プルードン 1809/1/151865/1/19 56
カール・マルクス 1818/5/51883/3/14 64

<引用文献および参照文献リスト>
『経済学批判要綱』カール・マルクス/高木幸二郎監訳 大月書店 1971年初版第6
『対訳初版資本論第一章』マルクス著 牧野紀之訳 鶏鳴双書1973年刊
『資本論第一巻第一分冊』カール・マルクス/大内兵衛訳 大月書店1968年第2
『フランス語版資本論 上巻』カール・マルクス/江夏千穂、上杉聰彦 法政大学出版局 1979年初版
『フランス語版資本論 下巻』『プルードン研究』佐藤茂行著 木鐸社 1975年初版
『フランス語版資本論の研究』林直道著 大月書店 1976年初版第2
『新資本主義論 視覚転換の経済学』馬場宏治著 名古屋大学出版局 2000年初版第2
『経済学古典探索 批判と好奇心』馬場宏治著 御茶ノ水書房 2008年刊
『過剰富裕化と過剰労働時間』戸塚茂雄著 開成出版 2009年刊
21世紀の資本』トマ・ピケティ著トマ・ピケティ (), 山形浩生 (翻訳), 守岡桜 (翻訳), 森本正史 (翻訳) みすず書房 2014年刊<メモ>ソニーの外人株主のシェア:20143月末日 42.3*http://www.kabupro.jp/code/6758.htm日産自動車 69.58マツダ   31.25*「東洋経済」http://toyokeizai.net/articles/-/7715**************************************************************************** 

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