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#4789 『向山家の子育て21の法則』のススメ(1) July 25, 2022 [55.1 TOSSの水野さんとの対話]

 リライアブルに注文していた本が土曜日に届いたので、昨日(7/24日曜日)朝に読み終わった。240頁のハウツーものだから、読みやすかった。
 著者の向山洋一氏と水野正司氏はTOSSという「教育の法則化運動」の創始者と「直弟子」の関係である。そう本に書いていった。
 わたしは、この本をどう取り上げるか、読み終わってから、半日考えあぐねていたが、今朝になって方針が決まった。相手の土俵で相撲を取ってみようという気になった、TOSSという組織、あるいは運動の原点である「法則化」という視点から取り上げてみようと思う。

<法則+化?>
 「法則」と「化」の語義から始めたい。左巻健男著『始まりから知ると面白い物理学』の目次から「法則」を拾ってみる。
 フックの法則、万有引力の法則、運動の第1法則(慣性の法則)、運動の第2法則(運動の法則)、運動の第3法則(作用反作用の法則)、運動量保存の法則、角運動量保存則、振り子の法則、てこの原理(てこの法則)、仕事の原理、力学的エネルギー保存の法則、エネルギー保存の法則、オームの法則、キルヒホッフの法則、クーロンの法則、ジュールの法則、右ネジの法則、フレミングの左手の法則、ファラデーの電磁誘導の法則、並の重ね合わせの原理、ホイヘンスの原理、反射・屈折の法則、...

 きりがないのでこれくらいにするが、要するに法則とは、
「①守らねばならない決まり、おきて ②一定の条件の下で必ず成立する事物相互の関係、また、それを言い表した言葉や記号、自然法則・化学法則・物理法則・社会法則・経済法則などをいう」...『大辞林第2版』
 大事なことだが、『大辞林』には「教育法則」という項目は載っていなかった。

 「化」とはなにか?
「①徳によって教え導くこと。教化、感化。 ②自然が万物を育てる力。化育、造化。 ③生滅転変の理 二〈接尾〉主に漢語の名詞に付いて、そういう物、事、状態に」変える、または変わるという意を表す。」...同書
 接尾辞としての「化」の役割は、その名詞をそのようなものに変えるということを意味するようだ。
 「日本語接尾辞「ー化」についての研究」という論文を見つけた。詳しくはそちらを参照してもらうとして、たとえば「ロボット化」は人間をロボットにしてしまうということ。「機械化」は人間の手でやっていたことを機械に置き換えること、グローバル化はいままで国内市場でビジネスしてきたのを国際市場でビジネスをすること。「法則化」は法則でないものを法則にする、あるいは個々バラバラのものを共通項を見出したり、一般化することで法則としてまとめることと読めそうだ。

 まとめると、教育の法則化とは「個々バラバラな教育実践のなかから効果の大きいものを集めて、その中から共通項を見つけたり、一般化することで、法則性を見出そうとするもの。一定の条件下で必ず成立する事物相互の関係を教育技術の中に見出そうとするもの」ということを意味しているのではないか。TOSSでどのように定義しているのかは本書には載っていないので、これは水野さんに確認するしかないだろう。わたしの語義解釈ということになる。TOSSの外側から見て、どう見えるのかということを記述するのがわたしの視座である。
 向山氏はそれまでの教育技術は個々バラバラなもので法則とは言い難いものだと批判したのだろう。先生たちの実践例からいいものを選りすぐって、
A. 誰がやっても同じ結果が出せる教育技術を洗練して追求して行こうということかな?
B.自分の培ってきた教育実践を法則化しようという意味にもとれる。
 こちら(B)の解釈は部外者のわたしには不遜に感じる。

<全体の俯瞰と向山家の紹介:母親と父親の役割、弟と娘>
 『向山家の子育て21の法則』は優れた実践例を集めて、その中から一般化できるようなものを選りすぐり、法則化しているだろうか?それとも、向山家の子育てを法則化しようというものなのだろうか?

 本書は5章構成になっている。「第一章 向山家の子育て」は向山洋一氏、向山行雄氏(弟)、向山恵理子さん(娘)、谷和樹氏、師尾喜代子さん、安田亮氏、小嶋悠紀氏の座談会形式でのインタピューである。
 向山洋一氏は昭和25年(1950年)に旗の台小学校へ入学と書いてあるので、1944年の生まれ、団塊世代のわたしに近い世代である。共有できる価値観が少なからずある。母親の実家は土浦の副市長と書いてあるが、昔はそんな肩書はないからたぶん助役あるいは収入役だったのだろう(実際の肩書を調べるのは共著者の水野さんの仕事ではないのか?TOSS以外の人も読むのだから、それぐらいの配慮は欲しい)。
 小学校へ入学する前に母親が百人一首を買い与えてくれ、教えてくれて入学前に覚えてしまった。百人一首を覚えて入学している小学生なんて、その時代にはほとんどいなかったに違いない。印刷職人であり印刷会社を経営していた父親が寝るときに読み聞かせをしてくれて、そのお話を覚えていて、周囲に話して聞かせるのが得意だった。小学校1年生のときに「渡辺先生の前で物語の話をずっとしたことがある」。記憶力に優れているだけでなく、お話上手な子供だった。
 ところで、百人一首を未就学児に教えたとして、受け入れるのはごく一部の子どもだろう。受け入れないのにやらせたら嫌いになるから、子どもによっては時期を俟たないといけない。つまり、百人一首一つとっても、それを教えたら向山氏のように全員が覚えるなんてことはない。向山氏もそんなことは言ってない。だとしたら、これは法則ではないだろう。子どもが誰であろうと、同じことをしたら同じ結果が出なければ法則ではないのだから。そもそも、教育は教える側と学ぶ側がある。だから、同じ教え方をしても学ぶ側が違うのだから、同じ結果は出ないのが普通のことだろう。当たり前だ。現に同じ兄弟でも行雄氏と洋一氏では違う結果が出ている。「人を見て法を説く」というところが教育にはある。

 弟の行雄氏は食べ物の好き嫌いが激しく、毎日学校給食を食べ残してランドセルに放り込み、ぐちゃぐちゃになって、母親がランドセルをぬぐっていた。一度も注意したことも、文句を言ったこともない。
 このくだりを読んで、わたしはどうして食べ残しをいれる弁当箱やそれを包む風呂敷を与えなかったのか疑問に思ったし、ランドセルの中で食べ物が散らかれば、本とノートは使い物にならないくなるので、それらをどうしたのか、訊いてみたくなった。高校生が雨の日にリュックに教科書とノートを入れて塾へ来た。防水になっていないリュックだったので、本は濡れて、乾かしてもがばがばになり波打っていた。そんなことを毎日やったら、どうなるかと素朴な疑問がわたしにはわいたが、インタビューでも座談でもそこへは話がいかないのはなぜだろう?共著者の水野さんも、話を聞いている谷氏も、疑問に思っていない様子。これはふつうではない。「師と直弟子」の関係が反映しているようにわたしには見える。部外者のわたしには奇異に映る。グルとその弟子の関係なら理解はできるが、TOSSは宗教的な集まりではないのだから、違うと思うのだ。
 お母さんが「ノートは丁寧に書くもの」と諭したと書いてある。「間を空けてゆったり、丁寧に書く、丁寧に書くというというノートの使い方」「向山型ノートの原点」はそこにある。水野さんは「その力は向山少年が中学、高校へと進んでも失われなかった。一生の財産となったのである」と書いている。ここでは向山式ノートのとり方が法則化しているというようにわたしの耳には聞こえた。

<勉強しろと言わぬ両親:遊びによる脳の進化>
 面白いのは、向山氏が母親から「勉強をしろ」と言われたことがないことだ。
 向山氏と比較するのは気が引けるのだが、わたしも両親のどちらからも一度も勉強しろと言われたことがない。わたしの場合はそんなことを言う必要のない子供だったのかもしれぬ。家業がビリヤードと居酒屋をやっていたから、小学1年生の頃から、毎日ビリヤード三昧(ザンマイ)、相手をする大人たちが面白がってくれるから夢中で遊んだ。夢中でやるから就寝すると頭の中にグリーンのビリヤード台が現れ、ビリヤードが無限にできた。だから私の見る夢はいつもカラフルだった。毎日繰り返すから、そういう脳の使い方に慣れてしまっていた中学生になり、それが勉強に応用できることに気が付く授業に集中して聴いていたら、後で黒板に書かれた字や説明をページをめくるように脳に再現できた。だから、授業の後に5分間黒板に書かれた文字と説明を脳内に具体的なイメージとして思い描くだけで、復習が完了したビリヤード店を手伝って勉強する時間がほとんどなくても学校で習った範囲だったら、脳内にイメージ画像を再現するだけで十分だったのだろう。家で勉強しなければならなかったのは、問題演習をしないと力がつかない数学と、授業で2年半の間、文法説明を一切してくれなかった中学英語だけ。記憶すればいい科目は、目をつぶって思い出すだけで済ませた。社会科や理科には抜群の効果があった。集中力高揚の効果はそれだけではなかった。英語の単語だけでなく、複雑な知識体系や概念相互の関係をイメージとして脳内でいじくれるようになっていたビリヤードの店番をしていて、隙間の時間が数分できると日本史は出来事の起きる順番に断片的な知識を整理していた。公認会計士二次試験受験参考書で覚えた経済学や経営学や原価計算の諸概念を脳内に呼び起こして、いじくりまわす。人の声は聞こえなくなる、たとえ話しかけられてもすぐには反応できない。生返事しかできない。他人が見たら、ボーっとしていて阿呆に見えただろう思考がある程度まとまったら紙に書いて整理してみる。単なる記憶から出発して、諸概念が次第に整然としたネットワーク化していくのがわかった知識の整理に役に立つのは起きているときの脳よりは、眠ったときの脳の方が得意だ。起きているときに脳内でイメージをいじくりまわすと、眠ったときに潜在意識がそうした知識を整理してくれるのがわかった自分の脳に起きていることが理解できるようになっていた。数学の解けなかった問題も、問題を丸ごと記憶して寝てしまえば、脳が緩くなるのか、既成の思考のフレームを軽々と飛び越えて、思わぬ方向から解決してくれる。経済学の分野も潜在意識は垣根を飛び越えて、他の分野の知識をつかって整理してくれる。それが完成品に近づくと睡眠が浅くなり眼が覚める。すぐにノートに書かないと朝になって思い出せないことがあった。このように潜在意識だって自在に使うことができる
 赤字の企業を黒字にするときにも、会社の収益構造や財務体質を根底から変革するときにも、臨床検査項目コードの日本標準化プロジェクトを立ち上げる時にも、慶応大学病院のドクターと出生前診断検査MoM値の日本人の妊婦の基準値研究プロジェクトをマネジメントするときにも、こうした思考法は抜群の効果を産み出した。イメージとして仕事の関係や時系列がネットワーク化されてしまえば、それを現実に移すことは簡単で「失敗しない」のである。PERTチャートを習得してからは、脳内でさまざまな仕事の連関や手順が一層明確になった。イメージができあがった時点で、仕事は90%終わっていた。あとはつまらない仕事で、脳内では実現済みのことを坦々とやるだけ。失敗はない、具体的なイメージがネットワーク構造として結像するまでが愉しい。
 この本ではそうした集中状態のことを第2章の「法則⑦熱中体験をさせる」で熱中体験」とか「フロー体験」と書いている。誰かが言い出した言葉だろうが、そうした体験の積み重ねが脳の働きを変えてしまうことは事実だ。だから、熱中してよく遊んだ子は、それが勉強に向かうと学力が飛躍的に上がるこの部分はまさしく法則である、著しい学力アップという同じ結果が出るからだ。学力アップという点からは、集中力の高揚を伴なう遊びは勉強以上に重要なのだ。プロの将棋士が自分の差した将棋を手順を間違えずに再現できるのと脳の使い方にどこか似ているかもしれぬ。プロ棋士は潜在意識を上手に使っている。起きている間、四六時中将棋の手を考えるから、潜在意識にそれが刻まれ、眠ったときに潜在意識が問題を解くように動き出してしまう。枠が緩くなるので、顕在意識ではそれまでの思考の枠組みにとらわれていたのだ、外れてしまい、”緩くなる”。思考にクォンタムリープ(量子的な飛躍)が起きやすいのだ。
 常連客の影響も小さくなかった。ビリヤードの常連客の職層はさまざま、大工さんや印刷工や肉屋さん、菓子作り、などの職人、歯科医、銀行員、信金職員、学校の先生、スナックや喫茶店の店主など家具職人などの自営業者、ヤクザの親分と親分が店に来ることを許可した数人の礼儀正しい幹部(遣い走りは「出入り禁止」だった、たまに親分に緊急の用事があってくることがあると、「ここは出入りしてはいけない」と言われているのを見たことがある。親分のTさんはどういうわけか落下傘部隊員のオヤジに敬意を払っていた)、さまざまな職業の人たちがゲームに熱中するところを見てたくさんのことを学んだ。好奇心の強い子供とはそういうものだ。 父親が寝しなに読み聞かせをするなんてことは一度もない。わたしが寝ることにはまだ働いている。小学生の頃は9時ころには寝ていた。寝るときには来ているものをたたんで枕元に置き、正座して、父親と母親に「おやすみなさい」と言って寝ていた。お袋の躾である。当時は火事が多かったので、消防のサイレンが鳴るとすぐに服を着て、火事が近所だったら逃げなきゃいけない。だから、暗闇でもすぐに服を着れるように枕元に畳んで寝たのです。よその家遊びに行ったときには靴を揃えるのはあたりまえで、その家の家族に、正座して両手をついて「おじゃまします」、帰るときは「お邪魔しました、帰ります」と挨拶してました。おかげで、中学生になると友人たちの母親に評判がよかった。行儀のよい子に見えたのでしょうね。(笑)
 母親が何かを教えてくれたということで覚えているのは、小1の時に吃音が出ていたわたしに、一緒に本を読んでくれたことだ。すぐに吃音は消えてしまった。四年生の時に「北海道新聞の卓上四季を読んでみたら?」と言ったことがある。それで辞書を引きながら読み始めた。語彙の増えるのが面白くて、社説も読んだ。数か月で1面の政治経済欄を読むようになっていた。そこで語彙が増えた。小6になって担任の鶴木俊輔先生が貸してくれたシェークスピアの作品を読んだ。中学生になると光洋中学校の図書室にあったSF小説が面白くてあらかた読んだ。根室には公認会計士は一人もいない、それなのに中学生の頃には公認会計士という職業があることを知り、根室高校商業科へ進学を考えた。担任の山本幸子先生は強く反対して、母親が2度も学校へ呼び出された。戻ってきて、「息子が公認会計士になると自分で決めてそういうのだから、わたしにも説得できない」そう言ったと笑っていた。東京の大学へ行くなんて、当時はたいへんな贅沢に思えたし、ビリヤード店を手伝っていたから、わたしが抜けるとオヤジに負荷がかかる。なら進学せずに独力で勉強すればいいと考えた。山本幸子先生は「この子は大学へ行く子だ」と商業科への進学に強く反対された。結果は大学だけでなく大学院へ進学して山本先生のおっしゃった通りになった。根室へ戻ってきてから、何度かお宅へお邪魔した。夫の栄進先生ともども歓迎してくれた。栄進先生は「女房が喜ぶので、時々来てください」とおっしゃってくれた。先に栄進先生が亡くなり、幸子先生がペースメーカを入れたと聞いてまた遊びに行こうかなと考えている矢先に、術後数か月でお亡くなりになった。まだしばらくお話しできるのではと思っていました。喪失感が大きかった。いい先生に恵まれました。1年間副担任だった大岩朋子先生(旧姓)、パン屋さんでお見掛けするたびににこにこして声をかけていただいた。「癌仲間だよね!、わたし、薬での治療はやめたの、わたしも頑張るからebisu君も頑張ってね!」、学校を退職してから、市教委の仕事をやられていたようだった。新卒で赴任してきて中3の1年間だけのお付き合い、歳が8歳ほどしか離れていないので「お姉さん」感覚だった。いつも行くパン屋で中学を卒業してから初めて、四十数年ぶりにお会いしたのに、突然名前で呼ばれて驚いた。記憶の良い人だった。癌が再発したのか亡くなったが、わたしは死ぬまで彼女のことを記憶しているだろうな。
 高校生になって、1年次で簿記を勉強し、2年生になると中央経済社から出版が始まった公認会計士二次試験講座を購読して読んだ。当時は七科目、簿記論、財務諸表論、原価計算論、経営学、経済学、監査論、商法が試験」科目だった。これらの専門書を読みこなし、答案練習ができたのは、小4から新聞を読んで、語彙力を拡張したからだろう。高2のときにはマルクス『資本論』やヘーゲルの著作も読んだ。

<特殊な事例は一般化できぬ:教育は「多対多」対応>
 言いたいのは、小4の子どもに、新聞のコラムや社説を読めと母親が言ったとしても、読み始める子どもは稀だし、高校生になってから、公認会計士2次試験受験参考書を読む子供はほとんどいないだろう。公認会計士2次試験の経済学は近代経済学であるが、好奇心から『資本論』まで読む者はほとんどいない。新聞のコラムや社説を読めと母親が言っても、結果は子どもによってバラバラになる。そこには特殊な事例があるだけで、法則なんてありゃしない。教育はするほうと受ける方で「多対多対応」なのである。そこに関数関係はないから、「教育法則」というのは無理があるようにわたしには見える。

<叱らない父親の影響:向山氏とわたし>
 向山氏は印刷職人だった父親の背中からさまざまなことを学んだという。印刷技術を身につけたという話ではない、「見ていた」ということ。
 小学生のころに6年間ほどオヤジは根室で一番大きい水産缶詰工場で現場監督として働いていた。人の使い方と工程改善の話は、面白おかしく話して聞かせてくれるオヤジから学んだ。わたしがサラリーマン時代に人の使い方がいくらか上手だったとしたら、オヤジが小学生時代に話して要点を教えてくれたからだ。四工場の一つがオヤジの受け持ち。工場長の下で200人の女工さんと機械担当などの男工さんを使う立場だった。四工場で800人の女工さんがいた。蟹罐詰では日本一の品質の工場だった。株式会社日本合同罐詰という。オヤジは働く人を大事にした。ズルをする人はかならずいるが、それを防ぐ方法も話の中にちゃんと入っていた。オヤジは商売人だから、現場監督でも、常に経営者の立場で考えていた。気持ちよく働いてもらって生産性を上げるには自分は何をすべきかという視点から考え抜いて行動していた。名現場監督だっただろう。オヤジが辞めてから3年の間に、会社を辞める男工さんが、根室を離れるたびに挨拶に来ていたのを覚えている。各工場は女工さんを集められなくなっていた。オヤジのところにはたくさんの応募があり、足りない他の工場へ回すこともあった。人の使い方は経営にとってとても重要なのだ。原料の仕入は花咲港の魚市場、朝の5時ころからだから、4時過ぎになると迎えが来ていた。よく体がもったものだ。
 その一方でビリヤード店も営んでいた。門前の小僧は、毎年いらっしゃる昭和天皇のビリヤードコーチだった吉岡先生のラシャの張替え作業を終わるまで見ていた。先生は旅館に泊まらずに戦後のぼろ屋の私の家に泊まった。張替えを安くやってくれるためだっただろう。台の水平の調整は、木枠を組んだところで大きい水準器を使って一度水平を出し、重いスレート4枚を載せてからもう一度水平を出す。スレートを載せてからでは四枚のスレートは水平になってくれない。一つを動かせば他のスレートと高さが違ってしまう。仕事は二段階でやるのがプロのやり方。中2に頃からオヤジと二人でラシャの張替え作業をした。これは社会人になってから、仕事でとっても役に立った。2段構えで仕事の段取りをすると、実にスムーズに運べる。赤字の会社の黒字化や、自己資本増強、新規事業分野の開拓など、プロジェクトを2段構えで差し立てたら、「わたし失敗しないので」ということになる。

 父親には叱られたことがないと向山氏。わたしもオヤジには一度も叱られたことがなかった。わたしはオヤジとお袋が夫婦げんかをしているのも見たことがない。
 「法則②叱らない」に「叱るのではなく、教え込むのでもなく、手本を見せること」、ビリヤードのラシャの替え方はそうして覚えた。
 大学院の時に渋谷駅前の個人指導進学塾で教えていた時のその塾の指導方針は「褒める教育」だった。お金をいただいて教えるのだから、プロとしてその方針に忠実な授業を心がけた。「褒める教育」について研修はなかったが考え方だけ聞けば、あとは実務をそれでこなす力が備わっていた。

<子育てに関する39の質問:当意即妙の答え>
 第1章の後半は「向山洋一先生へ 子育て世代から39の質問」が載っている。子育てに関する質問の大半は、学校の先生、しかも女性がほとんどである。質問に対して、当意即妙な答え方をしており、面白い。
「Q3:赤ちゃんを抱っこする、おんぶする。どちらの方が赤ちゃんにとってはよいのでしょうか。」
「向山:よくわかりませんけれども、わたしはおんぶもしましたし、抱っこもしました。」
 とぼけたお答えです。臨床心理士や精神科医の受け答えのような問答もいくつか見受けました。
 でも、子育てで悩むお母さんたちには、有益な情報もたくさん載っていますので、ご覧ください。

<法則化という視点からの第1章のまとめ>
 全体を見回すと、向山家の子育てが紹介されていますが、これは一般的なものとは言い難いようです。母方の実家が土浦の副市長であること、就学前に百人一首を買ってあげて、教えるなんて、並のお母さんにはできませんね。しかも弟の行雄氏が吹き嫌いが激しくて、小学生の6年間は毎日給食を残してランドセルの中をぐちゃぐちゃにしても、怒らず、きれいに清掃し続けるなんてとても普通のお母さんにできることではありません。そして弟の行雄氏は後に全国PTA連合会の会長になるんですから、好き嫌いなんてあってもダイジョブという洋一氏の言は説得力があります。しかし、好き嫌いがあれば全国PTA連合会の会長に成れるとは書いていません。法則は一定の条件下では同じことをしたら同じ結果が出るということですから、同じ条件が見つからないのかもしれません。
 ノートのとり方の指導もお母さんです。こんなことのできる母親もまれでしょう。特異な事例だと思います。わたしの事例も含めて一般的ではない。だから、他の人がやっても同じ結果は起きぬ。

 法則とは特異な事例のオンパレードではなくて、一般化できるものが対象ですから、「第1章 向山家の子育て」は特殊な事例をまとめたものと理解していいのでしょう。一般化はできないということです。
 それはそれ、TOSSの「五色百人一首」は優れた遊び道具です。ぜひ就学前にお買い求めになって子どもと遊んでください。青字の部分に購入先のリンクを張っておきました。

<百人一首カルタと論語の素読>
 なお、就学前(5歳児への)教育で伝統的なのは、江戸時代は「論語の素読」でした。百人一首ではございません。こちらが一般的。明治時代以降は学制が敷かれて、寺子屋や藩校がなくなり、論語の素読をやらなくなりました。こちらを日本の伝統的な子どもへの教育として、どうして推奨しないのでしょう?時代が違うからだと思います。そんなものを指導できる親は稀ですから、「法則化」は不可能だとわたしも思います。たぶん向山氏の現実的な判断なのでしょう。したがって、「百人一首」というのはよいアイデアだと思います。古いけど着想は新しい!
 小学校の担任が正月に自宅へ生徒たちを読んで、百人一首大会をやってくれてました。北海道はとり札は木札です。小学生の時に家にありましたから母親が買ってくれたのでしょう。就学前に百人一首を買い与えて、教える親はさすがにこの極東に町にはほとんどいなかったでしょうが、65年前でも、小学生のいる家庭で子どもに百人一首を買い与えていたのは多数派ではなかったかと思います。そうでなければ、小学校の担任の先生が自分の家に正月に生徒たちを呼んでカルタ取り大会は開けるはずもありません。昭和30年代前半のまだ貧乏だった時代でも、木箱に入った「木札の百人一首」がほとんどの家庭にあったことは、特筆していいことなのでしょう。

<次回取り上げたいこと>
 「第2章 向山家の子育て21の法則」というタイトルはビックリです。自信にあふれていますね、向山家の子育ては「法則化」できると宣言しているようなもの。
 批判的な吟味になりそうで、議論の範囲が広がり、民俗学が視野に入ってきます。江戸時代の子育てを語るうえで民俗学と性風俗は切り離すことができないからです。「富国強兵」「殖産興業」を旗印に、西欧諸国に追いつけ追い越せ、肩を並べるために、キリスト教の性風俗とは真っ向から対立する、日本の伝統的な性風俗を、明治政府の文部省はことごとく潰してきました。大人社会から独立した若者たちの教育組織であった若衆宿や娘宿は一つも残っていません。その延長線上に現在の高校の性風俗抜きの古典教育があり、「法則①先人の知恵に学ぶ」があります。世界で一番古くそして質の高い古典文学をもっていながら、伝統的な性風俗と切り離した授業が行われることで、古典教育は見るも無残な現状をさらしています。これらは、次回に回します。

 どこかで、共著者の水野さんとのかかわりとお人柄についても書こうと思います。わたしは自分の眼で確かめましたが、まぎれもない授業の達人です。

*「向山家の子育て21の法則のススメ(2)

<余談:釧路のビリヤード店>
 小学生の時に、用事があってオヤジと釧路へ行った。釧路は親せきが多いのでオヤジと二人で行くことが時々あった。ああ、幼稚園の頃ひどい蕁麻疹にかかって釧路の棒院で治療してもらったこともあったな。
 駅前のお蕎麦屋さん(東屋)でそばを食べるのが愉しみだった。そば好きでした。時間があってビリヤード店へ入り、オヤジは用事があるので、しばらくそこで遊んでいるように言われ、大人相手にゲームが始まった。当時は七球ドローンといって、7回失敗したら引き分け。ビリヤードの上手な小学生が現れたものだから、大人たちは面白がって相手してくれます。3人ほどに勝った後、「強すぎる、持ち点を上げよう」と言われて、応じました。それでも撞き切りが出る。撞き切りとは、初回にノーミスで持ち点を全部取ってしまうことですが、持ち点アップしてすぐに撞き切るなんてありえないこと。
 家でビリヤードを手伝っているときは、お客さん御相手ですから、愉しく遊ばせてあげます。だから本気で勝負はしません。釧路ですから、こちらが客です、ブレーキが外れ、全力勝負してよかった。適当な緊張感がある方が、力が出るタイプなんです。10回以上ゲームして、負けなし。大人たちは周りでわいわい言ってました。完全に「フロー状態」でした。
 東京で、高田馬場ビックボックスで年末にビリヤード大会が開かれてました。1チーム5人で20チームに分かれ、各チームにはプロが一人ずつ参加します。そのときに「ビリヤードの神様」が降りてきました。プロ相手だから手を抜く必要がありません。初球撞き切り。周りでわいわい言っているのが聞こえなくなります。そして思い描いたゾーンではなく、理想のピンポイントにボールがピタッと決まります。神業が連続しました。愉しい一瞬でした。見ていた観客も愉しかったでしょう。プロだって一流のプロ以外はそんなことはできません。
 そのあと、持ち点の低いへタッピ―な学生さんと当たって、「お客さん相手の手抜きのクセ」が出てしまってあえなく負け。(笑)
 弱い相手だと「フロー状態」は訪れません。「ビリヤードの神様」は降臨してくれないのです。アーティスティック・ビリヤード世界2位の町田正さんにボークラインゲームの相手をお願いしたことがあります。3回ともぼろ負けでした。勝てるはずがありませんから、「神様」は降りてきません。目の前で町田さんの技術を見ることができました、じつに上手だった。贅沢な時間でした。八王子駅前にあったシルクハットという名前の店でした。当時はおとうさんが存命で、歩いて10分くらいのところにお店があったので、次男の彼は京王線八大氏駅前のビルの2階にお店を開店してました。正さんに相手してもらう数年前にお父さんの方にもお世話になってます。プロのコーチですが、わたしに教えてくれました。撞いたところと持っているキューを見て、「わたしはプロのコーチだから有料で教えているが、あなたはタダで教えてあげるので、毎日きたらいかがですか?」、そう言ってくれましたが、仕事が忙しくてなかなかいけませんでした。持っているキュウは新宿の名人の作、タップももうメーカが廃業してみることのできないもの。「タップを削らせてくれませんか」と町田さん。「どうぞ、お願いします」というと、丸く半球状に削りました。台の上のボールから50cmくらい離してボールとタップの円が重なればOKです。こんな削り方は初めて見ましたが、使ってみたら、この削り方はとてもいいものでした。下をついたときに打突点の精度と深さが違います。タップがいうことを聞いてくれます。チョークは常連会で2位になったときに賞品として小林先生に1ダース、「幻のチョーク」をいただいてます。多分あの商品は予定になかったものでした。わたしが2位だったので特別提供してくれたのです。どんな商品よりも貴重な品でした。小林先生が試合の時しか使わないものでだとわかったのは、2か月ぐらい後です。練習の時に使っていたら、小林先生(スリークッション世界チャンピオン)が慌ててわたしのところに来て「ebisuさん、そのチョークはとっくに売ってないんだ、わたしは大会の時しか使っていない」、それからは練習では使わないようにしました。日本にあるのは小林先生の在庫とわたしがもっている1ダースだけかもしれません。10個ほどどこかにしまってあるはず。
 ビリヤードは四百字詰め原稿用紙で3000~5000枚くらいの長編小説が書けそうです。やってきた仕事もそれぐらい書ける材料があります。(笑)



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向山家の子育て21の法則

向山家の子育て21の法則

  • 出版社/メーカー: 騒人社
  • 発売日: 2022/07/08
  • メディア: 単行本

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