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#4491 勉強しろとなぜ親は言うのか Feb. 25, 2021 [55. さまざまな視点から教育を考える]

<更新情報>2/26朝9時、余談追記

 親が子どもに勉強しろと小言をいうのは、大人になり、子どもを持つ頃になって、勉強しなかったことを悔いているからだと喝破したのは、かのビリギャル小林さやかさん32歳である。なかなかユニークで鋭い感覚のもち主のようである。
 23日の朝、7時半ころからのNHKラジオ番組で、教育学者の岩井先生と元ビリギャルとアナウンサーが「勉強」や「学び」について対話していた。

 そもそも勉強とは何のためにやるのかということがメインテーマであった。岩井さんが、電気自動車にたとえてうまいことを宣(のたま)う。知識とはバッテリーである、バッテリーがないと車は走れない。燃料が切れると充電しなけらばならないが、それは知識を入力するということ。そしてまた走る。車を走らせ続けるには「感動的な体験が必要」だという。もっともな話である。新しい知識や思考様式に出遭うのは愉しい、ドキドキワクワクするから恋愛のようなものだ。(笑)

 勉強は受験勉強に見られるように一定の思考の型を身につけるものだ。ピアジェはそれをスキーマと言ったとは元ビリギャルさん。わたしはピアジェは読んだことがないし、本棚にもピアジェの本は一つもない。雑誌現代思想には載っていたかもしれない。ネットで検索すればおおよそのことはわかる。観察的経験からはなるほどとうなずける。

 考えずに解法を覚えるだけの受験勉強は何年間も続けたらそうした学習スタイルが身についてしまうようで、難関大学卒に多く見られるタイプである。原理までさかのぼって考えて問題演習をしていたら、非効率で受験に間に合わぬ場合が多いからだろう。だが、それでも本を読み、自力で原理までさかのぼって思考するのは大切なことなのである。そういう思考のスキーマが高校卒業までにしっかり身についていれば、大学生となってからもそういうスキーマで学ぶし、社会人となってもそのスキーマは変わらない。だから仕事で大きな成果が出せる。仕事に正解はないのだから、解法を記憶するような学び方が身についてしまったら、大きなマイナスとなるのだ。
(ピアジェの言うスキーマは、新しい知識を入力するたびに脳にため込まれた知識体系が変容するものであるようだ。わたしが言いたいのは知識体系ではなくて、思考の鋳型で、思春期が終わるともうそれはほどんど変わらないというのが観察による事実である。もちろん知識と思考の間には関連がある。)

 思考のベースに知識があると仮定したら、知識のないのは大問題で、たとえばマルクス『資本論』の体系構成に関する方法を研究するのに、ユークリッド『原論』や数学史や数理論理学を学ばなければ、理解はまったく及ばない。そういう知識を欠いた過去の価値論論争は見るべき価値がない。資本論の骨格は演繹的体系である。自然数の公理的なモデルを想起してもらえばいい。
 『資本論』には四則演算しか出てこない、+-×÷だけの世界だ。微分積分は出てこない。大学生のときに資本論を全巻通して読み微分積分が出てこないことに違和感が残った。『経済学批判要綱』(全6冊)にも微分積分は出てこない。
 ライプニッツやニュートン(1624年生まれ)はマルクス(1818年生まれ)よりも200年も前の人である。マルクス『数学手稿』を読んで長年の疑問が氷解した。マルクスの数学学習ノートであるこの本には微分が出てくる。マルクスは微分の意味が理解できなかった、数学音痴の人であったことが明白。だから、ユークリッド『原論』も数学史も勉強していない。数学アレルギーの人。微分積分の向こう側へ踏み入らなければならなかったのに、入り口にも立たぬうちに理解力不足であきらめた。だから、デカルト『方法序説』も視野の外にある。どちらも演繹的体系構成、演繹モデル構築を扱っているのに、この分野では三流人のヘーゲル弁証法にしがみついてしまった。
 学問の体系構成で一番古いものはユークリッド『原論』である。そこを見過ごし、当時流行のヘーゲル弁証法を使った。まともな体系が叙述できるわけがなく、『資本論第一巻』を書き上げてヘーゲル弁証法適用の破綻に気がつき、それ以降沈黙を守った。世界中に共産主義運動をあおった当のご本人が、いまさら方法論を誤ったとは言えなかったのだろう。気の毒な晩年である。
 このように、適切な知識がないとやれない仕事がある。好奇心に任せてひろく漁って身につけた知識を教養というのだろう。

 ところで、ビリギャルとそれを本にして商売の道具にした塾の先生がいる。120万部も売れたのだから数億円の儲けが出ただろう。
 ところが、偏差値30から慶応大へ合格したというキャッチコピーを、予備校講師の林修先生がばっさり切り捨てている。
*林修氏「『ビリギャル』なんてまったく感動しない」発言! 暴露されている「ビリギャルの真相」と「ガタガタ内情」に嫌悪感? - GJ (biz-journal.jp)

 理由の第一番目は慶応大SFCは英語と小論文のみの受験だからみっちり教えたら数人に一人は合格できること。二つ目は偏差値30から70へ+40アップという点にある。彼女は出身高校を明らかにしていないが、どうやら中高一貫校の名門進学校出身の生徒のようだ。名門の進学校ならその学校への入学時点の偏差値65は必要だ。どうやら偏差値30というのは校内偏差値のことで全国偏差値ではなさそうだ。なるほど林先生が「コメントするのも嫌」というわけだ。やってよいことと悪いことがある。
 渋沢栄一は『論語と算盤』で「志」と「そろばん勘定」は二つが揃わないとビジネスとしてはダメだと言っている。目先の利益をむさぼることや、インチキを抑えるのは『論語』の素養、「人の道」と「モノの道理」である
 林修氏は五教科7科目の東大へ合格なら宣伝文句通りで評価できると言っている。英語と小論文だけ、おまけに進学校の生徒なら何も特別な話ではない、仕掛けが透けて見える林先生には羊頭狗肉に感じたのだろう。

 ビジネスで最も大事なことは嘘をつかぬことである。
 道内企業で大きく発展している企業にツルハドラッグがある。鶴羽樹氏は次のように語っている。
「母であるヒサ子副社長(当時)から、「小売業は店あってこその小売業であり、そして店に置く商品がなくてはならない。だから店はいつもきれいにし、問屋さんを大切にし、同時に嘘(うそ)をつかない、約束を守ることが大切だ」と重ねて教えられたという。」


 東京渋谷駅前の個人指導進学塾で院生のときに専任講師をしていたことがある。青山学院中等部と立教女学院へ合格した生徒がいた。彼女たちが中高一貫校へ進学してから不勉強で校内偏差値が30でも、最後の1年あれば慶応SFCへは合格できるだろう。そういう地頭のよい高学力の生徒が集まっているのが有名私立の進学校である。

<余談:慶応大学SFCは面白い>
 総合政策と環境情報学部のふたつあり、授業は学部を超えて自由に履修できる。これは時代にマッチしたありかただ。企業で困難な問題は複数の専門分野が交差したところで発生しているから、複数の分野を知っていなければそういう仕事をこなせない。
 欲を言えば、さらに押し進めて、理系学部と文系学部の垣根を取っ払って両方の単位を自由に履修できる形態が望ましい
 わたしは産業用エレクトロニクス輸入専門商社で経理専門知識を武器に予算編成と管理を担当しながら5つの社運をかけたプロジェクトを入社早々からになった。必要なのでプログラミングとシステム開発スキルを磨いた。世界最先端の産業用エレクトロニクス製品を欧米50社のエンジニアが毎月のように来日して開く新製品セミナーすべての出席して6年間にわたって取扱商品の知識を獲得した。臨床検査会社では予算編成を統括し、同時に経営統合システム開発に携わり、検査機器の開発や製薬メーカと検査試薬の開発もやった。臨床検査会社の買収と資本提携を合わせて2つ担当し、片方の会社の経営再建を担当した。その後、いくつか担当してから、帝人との治験合弁会社の立ち上げと経営を任された。赤字部門だったから黒字化と株の引き取りによる合弁解消、帝人の臨床検査子会社買収の3つを3年でやれとSRLのK社長の特命だった。3年に4か月残して全部やり終えた。
 臨床病理学会と大手6社の産学共同プロジェクトのプロジェクトマネージャーをやったのは1987年だった。5年ほどの作業期間を経て、1990年代半ばに事実上の日本標準臨床検査項目コードとして全国の病院やクリニックで使われている。
 1990年ころに慶応大学産婦人科のドクターと出生前診断MoMに関する日本人の基準値検討プロジェクトをSRL八王子ラボ・学術開発本部スタッフのときにマネジメントした。検査部門と研究部の統計解析担当、製薬メーカー2社の協力が必要だった。これも数年かかって日本人の基準値が決まった。白人よりも3割高く、黒人より1割たかかった。検査3項目の多変量解析で決められた基準値は数年前まで使われたいた。数年前により精度の高い新しい方法に変わった。
 このように、現実の仕事は理系も文系も関係がない、両方の分野の専門知識と実務経験なくして、両方の分野の専門家がメンバーであるプロジェクトをマネジメントできるはずがない。
 そういう意味では私のやってきた仕事は時代の30-40年先を歩いてきたと言える。理系や文型分野の垣根を取り払った大学が出現してほしい。これは時代の要請である。米国では文系学部に在籍していれば、理系学部の科目をいくらでも履修できる。学部を超えて科目を履修するかしないかは学生自身の判断。2倍の科目を履修しても学費が同じ大学があるそうだ。要は学生の能力次第。
 経済学部の学生が哲学のゼミと数学のゼミを履修できたら、そこからノーベル経済学賞受賞者が何人も出るかもしれぬ。


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tsuguo-kodera

 スキーマ、ピアジェ、懐かしい言葉です。認知工学ではメタ知識、メタメタ知識。認知科学では状況意味論など思い出しました。全く役立たない難しい本を枕に頭を抱えていました。その結論は6歳までの家庭の環境と社会の階層が織りなす刷り込みで人生が決まると言うことです。遊んでやることが一番有効だと信じられました。
by tsuguo-kodera (2021-02-27 09:48) 

ebisu

koderaさん
貴兄は認知工学の専門家でもありましたね。
わたしは80年代に自然言語処理に興味があって、チョムスキーは読みましたが、ピアジェは読んでませんでした。そこまで手を広げられなかったからでしょう。
AIに関する本も当時は読みましたが、いまとは大違いです。

ところで、子どもは遊んでやることが一番有効だというのは孫を見ていてよくわかります。遊んでいるときに新しい言葉を発見してすぐに使って返してきます。あれでどんどん語彙を増やしているんです。うれしそうな顔して話すので楽しい。
昨年の春に電話で話しながら、「空気が乾燥してるので...」と言ったら、なんだかわかっているようなので、「乾燥ってどういう意味かわかってるの?」と訊いたら、「お肌がカサカサするやつでしょ」って返事がありました。漢字は知らなくても意味は知ってるんですね。子どもは不思議です。もうすぐ2年生。
そろそろ東京で孫と遊びたくなってきました。根室でやることに一区切りついたので。地域医療を担うにたる生徒が一人現役で国立大医学部へ合格しました。7年間教えていました。やりかたはブログに残してあるので、僻地の根室から、毎年医学部進学者が出てくれたら、30年後の地域医療は明るいのです。
看護学校へはもう20人ほど進学して、数名が根室で仕事しています。
わたしの役割は終わりました。今年1年間、じっくり考えて、どうするか決めたいと思ってます。
by ebisu (2021-02-27 18:42) 

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