根室市総合文化会館で「北構保男展」が開かれている。明日までなので、小学生や中学生そして高校生も展示物をよく見てもらいたい。
 たくさん展示されているので、学校で生徒を連れて行ってもいいくらいだ。

 最近、アイヌは先住民ではないという説をユーチューブで耳にした。竹田恒泰氏が解説していた。

日本列島の原住民は縄文文化に連なる人々であるが、北海道東部にはオホーツク文化というのがあり、その淵源はサハリン南部周辺部であるようだ。それが道東のオホーツク沿岸に広がったのでオホーツク文化と称する。その一方で、東北には擦文土器の文化が成立していたが、10世紀になるとオホーツク文化と融合してトビニタイ文化が生まれる。12世紀になり擦文文化はアイヌ文化へと伝わっていく。北構先生の関心は6-9世紀のオホーツク文化にあったらしい。オホーツク文化は13世紀には消滅している。アイヌ文化がその勢力を広げたと考えるべきなのだろう。北海道にはオホーツク文化とアイヌ文化が併存していた時代がある。
 蝦夷で思い出されるのは「蘇我蝦夷」である。蘇我家は古代蝦夷とどこかで関係があるのだろうか?そもそも、古代蝦夷と東北文化圏のアイヌとどういう関係にあるのか、三内丸山遺跡に足跡を残した東北の縄文人はいつごろアイヌにとってかわったのか?北海道はアイヌ文化以前には縄文人が住んでいたと推定されるが、縄文人はいつ頃消えたのか?擦文土器を受け入れた使っていたオホーツク人は縄文人の末裔なのか?アイヌは縄文人の末裔の一つなのか?
*#853 日本語のルーツは韓の国、百済にあり?

 疑問は尽きぬが、わたしにはさっぱりわからない。北構先生の『古代蝦夷の研究』は学術研究書だが、示唆があるだろうか。生前に御聞きしておけばよかった。先生の著書を読むしかなさそうだ。
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北方領土とオホーツク人:地元考古学者(文学博士)の研究 



 北構先生(1918-2020)は根室印刷の創業者でもあるし、長く町議会議員や市議会議員をされていた。昭和48年(1973年)まで根室市議であった。二足の草鞋どころか三足の草鞋を履いていたことになる。

 根室商業を卒業してから国学院大学へ進学している。同期で東京へ進学したのは他にお二人。歯科医の田塚源太郎先生と高坂さんだ。渋谷の東横デパート屋上で撮った写真が展示されていた。

 トーサンポロのチャシ遺跡が北構先生が発見・発掘したものというのはこの展示をみて初めて知った。


<写真>
①左から、高坂氏、田塚源太郎先生、北構保男先生
 渋谷の東横デパート屋上での撮影です。真ん中の田塚先生だけダンディな服装、北構先生と高坂さんは根室商業の制服と帽子。三人で進学のため上京したときに撮った写真でしょう。仲が良かった。三人とも根室商業の同期。ebisuと同期ではありませんよ、わたしは彼ら三人の31年後輩です。
 北構先生から聞いた話では、田塚先生は国後島の大漁師の息子。ebisuは小学1年生のころ、田塚先生にときどきビリヤードの相手をしてもらった。背が届かないので、「ちょっと失礼します」といってビリヤード台のに上がって撞いていた。大人たちが可愛がってくれました。ホントは片足が床についていないとルール違反なのだが、まだ小さかったのでこのルールはebisuだけ適用除外。(笑)


②骨でつくられた「針入れ」
 文様が彫ってある。北構え先生が中学生(13歳)の時に弁天島の発掘を手伝ったときに発見したもの。捕鯨の様子が彫られている。千年前から捕鯨をやっていたことがわかる。
 北構少年、よほどうれしかったのだろう、発掘の虜になった。学問との出遭いはある日突然訪れる。


③上の方に擦文の文様が見える
 写真でははっきりしない、若い人たちに実物をぜひ見てもらいたい


④土器のかけらだが、文様がはっきり見える


⑤『千島シベリア探検史』


⑥『アイヌ史断想』『諏訪大明神画詞の食人記録とエミシ・エゾ・アイヌ人』


⑦『アイヌ人とその文化』(翻訳)、『古代蝦夷の研究』



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#4295 北構保男翁命五十日祭:「お別れ会」 July 24, 2020



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対談 弁天島遺跡発掘130年〈上〉(北海道新聞)


根室・弁天島遺跡発掘から130年(北海道新聞)オホーツク文化解く鍵 




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古代蝦夷の研究



  • 作者: 北構 保男

  • 出版社/メーカー: 雄山閣出版

  • 発売日: 2020/08/12

  • メディア: 単行本




1991年刊、643頁の大著です。