どことなく可愛げがあって、好い女、テレビ番組「相棒」の居酒屋女将役だった鈴木杏樹の不倫が週刊誌を賑わしている。
 ご亭主が6年前に亡くなって久しい、50歳になった女性が、浜辺の公園でデート、久しぶりにハグされてキスし、その気分になってしまいホテルへ…それだけのこと、ほほえましいではないか。大人のストレス解消、そういう恋愛もあっていい。
 世の中、男と女でなりたっているから、こういうアクシデントはあって当たり前。
 すでに50歳になった鈴木杏樹さん。女として恋を楽しめるのも残る期間はそう長くはない、好みの相手を見つけてときどきつまみ食いしてほどほどに楽しんだらいい。週刊文春さん、この次はそっとしておいてやってください、お願いします。(笑)


*https://www.daily.co.jp/gossip/2020/02/07/0013096000.shtml


<余談:大らかな日本の性風俗事情>
 その昔、日本には若くして後家さんになると、そこへ村の若い衆が入れ代わり立ち代わり、夜這いしたといいます。人間の生理をちゃんとわかっていたのです。健康な肉体と精神の維持には、セックスが不可欠なことをしっていました。だから、後家さんになっても、そちらの方は困らないような仕組みができていたのでしょう。そのうちになじみができたら、一緒に暮らすのもよしです。江戸時代から、地方によっては昭和30年代初頭まで続いていましたとさ。
  ところで東京府中の大國魂神社は「暗闇祭り」で有名ですが、例大祭の3日間は神社境内内では乱交勝手次第、昭和30年代初頭までそういう性風俗が残っていたそうです。高校を卒業して1968年(昭和42年)に東京へ行って、そんな話を地元の人から耳にしました。古代からそっちの方面はとっても大らかだったのです。
 閉鎖的な村落共同体で遺伝子の交配が繰り返されると、次第に劣化していくので、それを防ぐための智慧でもあったのです。暗闇祭りというセレモニーを通じて、村落共同体外部から遺伝子を導入していたということ。夫はこの日、「おまえも祭りに出かけておいで、わたしも出かけてくるから」。それでできた子供は自分の子として育てたのです。都からお公家さんが来ると、庄屋が娘を夜伽させたのも、都の優良な遺伝子を村落共同体にもたらす智慧でした。宮中で歌垣(乱交パーティ)が開催された記録まで日本書紀にはあります。

*https://yajibee.com/post-21865/
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府中くらやみ祭りは歴史もあり、格式の高いお祭りであることがお分かりになったことでしょう。その規模の大きさや格式の高さから、遠くからも大勢の見物人が訪れました。そして、お祭りの場では男女が無礼講であったと言われています。普段はあまり大きな移動もせず閉鎖的な村で過ごしている人たちにとって、府中くらやみ祭りは大切な「出会いの場」でもあったわけです。



普段、限られた行動範囲で過ごしていると出会いの場は限られてしまいます。さらに村の中だけで子孫繁栄を繰り返しているとどうしても「血が濃くなる」というリスクが出てきます。そのようなことを避ける意味でも少子化・廃村を避ける意味でも、府中くらやみ祭りは重要な役割を担っていたようです。



子孫繁栄のために、府中くらやみ祭りが役立っていたとも言えますね。もちろん、男女の無礼講にもいろいろなルールがあり、女性が男性を拒否した場合には出会いもなかったことになっていました。現在でも多くの見物人が訪れるお祭りですから、素敵な出会いもまだたくさん生まれているのではないでしょうか。

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 立派なお社です。府中市は住まいの隣の市ですから、数回訪れたことがあります。
 欅並木が見事ですが、千年の歴史があります。
康平5年(1062年)、前九年の役平定の際に源頼義義家父子が、の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源である。








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