主産地の北見が台風10号で大きな被害を受けたので、玉葱が1個百円に値上がりしているとニュース。カレー、トン汁、シチュー、酢豚、・・・など玉葱を使う料理は数知れない。
 生産地が台風被害に見舞われれば消費者も無事ではすまない、世の中はつながっている。発生して数日の台風12号がまもなく九州に上陸しそうだ。4月に大きな被害を出した熊本で、また震度5の地震が数日前にあったばかり、雨と風の被害が小さいことを祈るのみ。

 先週金曜日8/26だったかな、一部の中学校で学力テストが実施された。国語の問題を採り上げて、言葉の定義や概念、刷り込み、濫読のススメ、オリジナルへのチャレンジの重要性など雑多なことまで言及してみたい。

 《 問題文、大問3の一部から抜粋 》
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・・・
 嫌いなものを無理に好きになろうとするのは、好き嫌いにこだわるまいとして、逆に好き嫌いにこだわっているんだ。でも好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ。
 君は意外だろう。嫌いが嫌いで愛だなんて、変だと思うだろう。愛というのは好き嫌いと同じことだろうと思っていただろう。だけど、愛と好き嫌いとは違うんだ。愛は感情じゃない。愛は好き嫌いを超えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ。ピーマンが嫌いでもピーマンがそこに存在することを認める。あの人は嫌いだけど、あの人が存在することは受け容れる。そうすれば、嫌いという感情を持ちながらも、愛することができる。その人の存在を拒まずに受け容れることができるんだ。
 むろんこれができるようになるのは、とても大変なことだ。でも、誰かの存在を拒んでいる自分、誰かを憎んでいる自分て、すごく苦しいものだよね。憎しみで苦しみたくないのなら、君は愛するしかないんだ。

 ―池田晶子『14歳の君へ どう考え生きるか』(毎日出版社)所収「友愛より」部分―

問7:青太字部分「とても大変なこと」とありますが、何がとてもたいへんなのですか。具体的に書かれている部分を、文中から20字程度で書き抜きなさい。
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< テクスト選びのセンスと品質管理機能の欠如 >
 この文を読んで違和感を感じる人が多いのではないだろうか。
 「愛は感情じゃない。愛は好き嫌いを超えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ」
 このような愛の定義は聞いたことがない、愛とはふつうは感情を伴うものだが、作者はそれを否定している。とってもヘンな定義だなと思いながら読んだ。嫌いなものの存在を認めるというのは「寛容性」である。牽強付会な論の典型として扱うならともかく、この作品のこの箇所は中学生の国語の問題文としてふさわしくないものであり、出題者のセンスを疑わせる。そしてそれがそのまま学力テスト問題になって実施されたということはこのテストを作製している北海道教育文化協会に品質管理機能がないということを示している。品管機能のない生産はまともな民間会社では考えられない。もちろん、上場企業で生産工場から独立した品質管理部門のない会社はゼロである。
 ここまではわたしの率直な感想。
*北海道教育文化協会ホームページ  http://www.ho-bunkyo.jp/

 「愛」と「寛容性」について、概念の混同があると書いたのだから、辞書からそれぞれについての定義を引用してお目にかけなければならない。
 大辞林から「愛」と「寛容」の言葉の定義を引用しておく。
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愛:①対象をかけがえのないものと認め、それに引きつけられる心の動き。また、その気持ちの表れ。 ア 相手をいつくしむ心。相手のためによかれと願う心。愛情。 イ 異性に対して抱く思慕の情  ウ 何事にもまして、大切にしたいと思い気持ち。
 ②キリスト教で、見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。→アガペー、
 ③<仏教>人やものにとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
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 あえて言うと、仏教では好きなものにこだわること、執着することがタンハー=渇愛なんだ。筆者はお釈迦様とはまったく反対の定義をしている。
「でも好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ」
 日本人がふつうに「愛」というときは、「情欲を伴う愛」か「慈愛」のいずれかだろう。
 一緒に寛容のほうも確認しておきたい。この語は人には使っても、ピーマンには使わない。ピーマンの場合は、我慢とか辛抱という語がふさわしい。書き手が言いたいのは、人の好き嫌いに関することであって、ピーマンは嫌いな人の比喩である。
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寛容:心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと。よく人を受け入れること。
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< 題意を読み解く >
 さて、設問の理解だが、「具体的」と「20字程度で書き抜きなさい」と指示がある。解答欄の升目は25文字分用意されている。
 本文をそのまま抜き出すのか、一部を変更して20字に収めればよいのかという問題がある。どちらをとるかで、解答は複数考えられる。
 該当箇所は4箇所あるように思える。

①それがそこに存在することを認めるということ⇒21字
②ピーマンが嫌いでもピーマンがそこに存在することを認める⇒26字
③あの人は嫌いだけど、あの人が存在することは受け容れる⇒26字
④嫌いという感情を持ちながらも、愛すること⇒20字

 「20字程度」という字数制限と25字の解答欄の升目から条件に合うのは①と②である。④がジャスト20字である。
 ①の最初の3文字をカットすると18字であるが、抽象的な文言であることははっきりしているからペケ、そうすると正解は④ということになる。
 ところが、②の文からアンダーライン部をカットすれば21字だ。「具体的」という指示にはぴったりである。ここで迷ってもらいたい。③「あの人は嫌いだけど」を「あの人は嫌いだが」と書き改めたら、25字である。ここでもこころが揺れてもらいたい。

< 文字数あわせだけのレベルの低い出題 >
 結論から言うと、文字数あわせ作業をやることを出題者は要求しているようだ。「20字」で書き抜けという設問ならあまりにも見え透いているので「20字程度で書き抜きなさい」というぼかした指示になったのだろう。一番ふさわしい箇所を選択して解答欄に記入すればよい。
 わたしは②’も正解に含めたい。お皿に盛られて自分の前に置かれたサラダに、嫌いなピーマンが入っていても、そこにそれがあるのを我慢するのが「愛」だとはひとかけらも思えないが、匂いが移るのも嫌だったら「とても大変なこと」には思える。そういうピーマン嫌いを想像することはできる。「具体性」という点からはこれが最強である。

< レベルの低い出題を続けたときに起きる副作用 >
 この問題の場合、「20字程度」ということと「書き抜け」と「具体的に」という三つのキーワードが設問に書かれているが、それをどのように解釈したかで、解答に幅や揺れが生ずるのは当然だ。
 これが、たくさん問題をやると、慣れてきて、直線的に正解がわかるようになる。出題者はどういう正解を考えて問題を作ったのかが読めるようになるのである。そうすると、学力テストの国語問題は95-100点の得点が可能になる。はっきり言って、ふだんの学力テストで95-100点取るようでは将来見込みがないね。85-90点で充分と考えたい。
 慣れると無意識に効率を追うから、他の選択肢を考えなくなるという副作用が出る。読みが浅くなるのだ。そういう理由で、わたしは、トップクラスの生徒が現代国語の問題をたくさんとくことに賛成できない。
 もちろん、成績中位層か「中の上」の成績の生徒には、たくさんの国語の問題にチャレンジさせることが得点アップにとても有効な方法であることには同意するが、それはせいぜい国語の問題作成者程度の読解力を育てるのみだ。トップクラスの生徒にわたしはそういう指導はしない。

 ほとんどの国語の教師は文学作品はたくさん読んでいるだろうが、哲学の本を読まないから、論説文の読みの深さはあまり期待できないといったら言い過ぎだろうか。
 フランスでは国語のテクストにデカルト『方法序説』を使うらしい。そういうレベルのテクストを国語授業で採り上げることができるだろうか?国語教師と国語問題作成者の読解力は非常に危ういものがあると言わざるを得ない。

< 国語力アップのための音読トレーニング >
 中2のトップクラスのある生徒の国語力を上げるために、いままで音読指導をしてきた。読んだ本のリストを書き出してみると、
○『声に出して読みたい日本語』
○『声に出して読みたい日本語②』
○『坊ちゃん』夏目漱石
○『羅生門』芥川龍之介
○『走れメロス』太宰治
○『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
 『五重塔』幸田露伴
 『山月記』中島敦
●『読書力』斉藤隆
●『国家の品格』藤原正彦
 『日本人は何を考えてきたのか』斉藤隆

 これから読むものをどうしようかいま考えている。
 『語彙力こそが教養である』斉藤隆
●『すらすら読める風姿花伝・原文対訳』世阿弥著・林望現代語訳
 『福翁自伝』福沢諭吉
 『善の研究』西田幾多郎
 『古寺巡礼』和辻哲郎
 『風土』和辻哲郎
(○印は、ふつうの学力の小学生と中学生の一部の音読トレーニング教材として使用していた。●印の本はふつうの学力の中学生の音読トレーニング教材として授業で十数年使用した実績がある。音読トレーニング授業はボランティアで実施、ずっと強制だったが2年前から希望者のみに限定している。)

 8/19から万葉集(『日本の古典を読む④万葉集』小学館)を一日一句、現代語訳を参照して内容を理解してから、音読30回を一ヶ月間だけ課した。原日本語の五七調のリズムと大和言葉を身体にしみ込ませるためだ。言葉からイメージをつむぐのが苦手な生徒だから、じっくりと取り組んでいる。一ヶ月やってみて、面白くなかったらやめてよいと言ってある。
  生徒に興味が出れば一緒に読んでみたい万葉集の研究書がある。
『初期万葉集論』白川静
『後期万葉集論』白川静

 『徒然草』や『御伽草子』『宇治拾遺物語』は読みやすい古典である。古典の入門書としてふさわしい。『宇治拾遺物語』にはさまざまな性格類型の人物が登場するから、知識として性格と行動パターンを知っておくのは意味がある。800年経っても人間はあまり変わっていない。
 恋愛経験をつんだ早熟な高校生なら『源氏物語』や『和泉式部日記』が興味津々かもしれない。恋愛経験がないとイメージできないシーンがいくつもある。大人になって恋愛経験をつみながら読めば、いろいろとわかることがあるだろう。そのときに読めるように、高校古典の授業の「源氏物語」の章は一生懸命に読んでおいたらいい。

 『善の研究』はわたしはまだ読んだことがないのだが、京都学派の哲学者西田に興味がある。「絶対無」と「純粋経験」や「場所」がキーとなっているようだが、日本人なら一度は読んでおきたい本だ。経済学に即して解説するぐらいのことはできる。この哲学書を読み通したら、どのような評論や論説文が出てきてもすらすら読めるだろう。

< 良質のテクストを思慮分別をいれずに読む >
 音読トレーニングを通じて、原典を読むことの重要性を伝えたいと思っている。たとえば、西田の『善の研究』は解説書がたくさんありそうだが、解説書を先に読んではいけない。まずオリジナルを虚心に読まなければいけないのである。
 解説本を先に読んでしまうと、解説本の解釈が頭に刷り込まれてしまい、解説本を書いた人の問題意識でオリジナルを読むことになる。西田はこう書いている。

「通常、経験といわれているものは、すでにその内に何らかの思想や反省を含んでいるので、厳密な意味では純粋な経験とはいえない。純粋経験とは、一切の思慮分別の加わる以前の経験そのままの状態、いいかえれば直接的経験の状態である。例えば、ある色を見たり、音を聞いたりするその瞬間、それがある物の作用であるとか、わたしがそれを感じているとかいった意識や、その色や音が何であるかという判断の加わる以前の原初的な意識や経験の状態である。」

 高校2年生から公認会計士二次試験参考書で勉強を始めたが、試験科目の経済学は近代経済学だった。それでバランスをとろうと根室高校図書室にあったマルクス『資本論』を読んだ。同じ経済学のはずなのにこちらはさっぱりわからなかった。森に迷い込んだような気がしたのである。どういう体系構成になっているのかという強烈な好奇心が沸いてしまった。大学で哲学者市倉宏祐教授(元倫理学会長)のゼミで3年間をかけて『資本論』と『経済学批判要綱』を読む機会に恵まれたのは僥倖であった。天は必要なものを必要なときにちゃんと用意していてくれるものだ。お陰様で、まっさらな気持ちでオリジナルを読んだ。
 マルクス経済学では東大に宇野弘蔵という巨人がいた。その学派にはたくさんの経済学者が連なっている。しかし、宇野弘蔵の三段階論を先に読んでしまったら、『資本論』を読むときには「純粋経験」ではなくなっている。宇野弘蔵の学説(宇野三段階論)という思慮分別がすでに入り込んでしまっているのである。これではマルクスが『資本論』で何をやろうとしたのかが見えるはずがない。学問研究をする上で何より大事なことは「純粋経験」である。
 これから学問を志す若い人たちは、「純粋経験」ということをよく考え、大事にしてもらいたい。


< 余談:国語力の著しい低下 >
 戦後直後に行われたCIEによる全国民対象の無作為抽出による国語テストの平均点は78.3点で、識字率は97.9%であった。国語の問題文はいま中学生に行われている学力テストとは比較にならぬほど難解な文章が並んでいる。満点が6.2%もいたのである。国民の国語力は60年間で半分以下になったのではないだろうか。
 データは大野晋『日本語の教室』(岩波新書)より
#3088 公民・歴史・地理から見た安保法制論議:憲法第九条と自衛隊 July 21, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-07-21

*西田幾多郎 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E

 市倉宏祐 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%80%89%E5%AE%8F%E7%A5%90


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