わたしは山本七平氏の著作を一冊も読んだことがないのだが、『空気の研究』というのがある。最近起きた事件をつなげてみると、どうも「空気」がおかしいのではないかとわたしも思ってしまう。ネットで調べた範囲で、山本氏は「空気」を止めるのは「水を差すこと」だという。
 わたしの手には余るので、最近起きた事象をいくつか並べて見るので、「空気」というものを一緒に考えてもらいたい。

 マスコミ報道が舛添都知事の政治資金スキャンダル一色になる中、それと同等あるいはそれよりもセコイ安倍首相の政治資金の使い方はまったく報道に載らない。叩けるところを徹底的に叩き、同じことをしていてもまったく叩かないというのが同時に存在する不可解さ。
 小悪を叩いて大悪を見逃すのは、日本的価値観から判断すると卑怯なことだ。

 甘利経済産業大臣・規制改革特命大臣は建設業者から直接50万円を収賄し、秘書が500万円を受け取っているにもかかわらず不起訴、それでもマスコミは追跡取材をやめたかのような静けさを保っている、これもわからぬ。お金を渡したご本人(一色氏)がテレビ取材にも応じて、前後の説明をしているにもかかわらず、不起訴処分。民間会社なら、取引業者から賄賂を受け取ったら、首が飛ぶのが当たり前だが、甘利氏は不起訴処分が決まったとたんに、具合が悪くて引きこもっていたはずだが、元気な姿でマスコミの前に現れた。

 政治資金に関しては小渕議員もその後知りきれトンボ、その後衆議院選挙があり、それが禊になったのか追跡報道はないし、罪にも問われない。似たようなことをやっている政治家が少なくないからだろう。国会議員は空気を読んで百条委員会を作って追求しないし、マスコミもこれ以上やるとヤバイと空気を読んだのかそれ以上の追跡取材をやめてしまう。

 舛添氏も安倍氏も小渕優子氏も政党交付金で支給された政治資金の使い方は「乱脈」であるのだが、あまり突くとあっちこっちに飛び火しかねないから、「空気」を読んでマスコミを含めて誰も物を言わなくなる。

 甘利氏のように業者から賄賂を受け取る政治かも多いから、これ以上彼を突っつきたくないのかもしれぬ。藪蛇になって大物が藪から出てきかねない。その大物に連なる人脈(会社)がスポンサーであればいい加減なところで報道を止めたほうがトクだ、マスコミは空気を読んで行動している。ダメなことをダメといえない空気がある、戦前・戦中と同じだ。

 福島第一原発事故(メルトダウン)報道もそうだった。東京電力はテレビコマーシャルでも新聞でも大口の広告スポンサーである。こういう関係だとテレビも新聞も「触らぬ神に祟りなし」で、ジャーナリズムの使命がすっ飛んでしまう。原理も原則も空気の前には雲散霧消してしまう。
 いまだに7万人もの人が仮住まいだ。約束していた森林の除染は中止となったが、事実を伝えるだけで、マスコミは批判をしなくなっている。避難区域指定が解除されても、風が吹けば森林から放射能が飛んでくるから、そんなところに子どもをつれて戻る若夫婦はほとんどいない。年寄りだけとなった町や村は、20年もすれば消えていく。
 いまごろ、東電は事故後すぐにメルトダウンを承知していたが、社長の清水正孝氏がメルトダウンを公表するなと、記者会見中の武藤副社長に指示していたことが判明した。そんな一片のメモでメルトダウンという重大事の公表をしなかった武藤副社長はコンプライアンスの感覚ゼロ、住民の被爆よりも自分の保身が優先したということだ、情けない、このような程度の人材が大会社の副社長である。代表権を持つ副社長でありながら自分で判断できないのだから、残りの取締役も推して知るべしで、全員首を切るべきだ。その結果、2ヶ月もメルトダウンの公表が遅れてしまい、住民は深刻な被爆被害を受け続けた。小児甲状腺癌患者がすでに3桁に達している。清水社長と武藤副社長、そして首相官邸でメルトダウンの公表はするなと指示を出した者は、殺人犯よりも罪が重い。菅直人元首相は自分はそのような指示は出していないと反論している。それが真実なら、枝野元官房長官以外に誰がいるというのか?枝野氏も自分は出していない、名誉毀損で起訴すると言い出した。
 参院選直前になって4年も前のことがいま唐突に浮上することに、なにやら胡散臭い「仕掛け」を感じないだろうか?ここでも「水を差す」ことが必要なのだろう

 NHKと毎日新聞の女性記者があれだけ大々的に叩いたSTAP細胞はハーバード大学が特許申請をした。しかし、これも報道がなされない。
*http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html

 理研もあれだけ否定しておきながら、特許申請を取り下げない。ドイツのハイデルベルグ大学研究グループがSTAP細胞を確認したという事実も報道されない。
*http://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html

 STAP細胞は再生医療で数兆円規模の医薬品開発が可能な分野である。弊ブログで、以前その点に関する疑問を取り上げたことがある。STAP細胞の特許が成立すれば、理研は今後50年間国の補助金なしにやっていける。だから利権をめぐって理研内部に大きな疑惑があるが、これもマスコミは追求しない。

*#2687 『日本人はなぜ特攻を選んだのか』①黄文雄著 May 26, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-25-3

 #2651 STAP細胞狂想曲(2): 大きな利権の存在 Apr. 20, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-20-1


 ある媒体が誰かを叩く、次々と他のマスコミがそれに参入してきて一方向に流れができると、それに抗うような報道ができなくなるのが日本のジャーナリズムの典型的な特徴だとしたら、それは戦時中から続いている時代にかかわりのない普遍的な性質である。戦前・戦中・戦後と日本のジャーナリズムは基本的な性質がまったく変わっていないということだ。戦前は朝日新聞とNHKが先頭に立って戦争を煽った、その構図も変わらない。受信料で成り立っているはずのNHKが「水を差す」役割を放棄するなら、国民はNHK受信料を負担する必要がない。

 二十数年前にこんなことがあった。クラスでイジメがあるが、自分がその子をかばうと、今度は自分がターゲットになるという相談を受けた。団塊世代とはずいぶん変わってしまったのだとそのときは思ったが、そうではないようだ。クラスの中にそういう空気が生まれたらそれに抗うと、現実的で具体的な被害が自分に及ぶことを知っているのである。だから、イジメが発生し深刻化しても誰も止められない。損なことはしないというのが人間の基本的な性質でもあるのだろう。しかし、そういう人間ばかりなら、人間社会は頻繁に破壊を繰り返すことになる。だから、毛色の違った人間が混ざっていることが望ましい。「空気に水を差す」役割を担う者が必要なのである。生態系の多様性とはそういうことなのだろう。

 子どもの社会だけでなく、大人の社会でもそうだから、「空気」というのは日本社会に普遍的な現象だとみなすべきなのだ。
 ある種の空気が日本全体を覆ってしまうと、それに抗う報道が自主規制したかのように消えてしまう。戦後だと思っていたが、いつの間にか戦前になってしまっていることに気がつく。そしてそれは「戦中」へと向かわざるを得ないのだろう。「空気」に抗う報道をジャーナリズムができない。ジャーナリズムの基本的任務は「空気に水を差すこと」なのに、「火に油を注ぐ」ことばかりのように見えて仕方がない。

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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1983/10
  • メディア: 文庫

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本