今日、辞任する予定だった下村文部大臣が辞任を取りやめた。

 昨日、第三者委員会から報告書が提出され、面と向かって委員長から責任を問われ、「明日、責任を明らかにする」と言明した。
 ところが安倍総理へ辞任の意志を伝えに行って、「(国立競技場の不手際は)辞任に値しない、内閣改造まで続投してもらいたい」と言われて、あっさり辞任を撤回した。
 内閣改造で、「ついでに外される」のでは、責任を取った形にならぬ。こういうことはピシッと形をきめてこそ、担っていた仕事の責任の重さが伝わる。
 総理も総理だが、文部科学大臣も大臣だ。

 実質的な指示系統から見ると、頂点にいたのは、「有識者会議」の森元総理だろう。「3000億円でも4000億円でもかけるべきだ」と発言していた。日本には「院政」というのが、千年以上も前からある政治の一形式だ。院政に共通する特徴は責任を取らないこと。総理大臣を辞めたときに政界から引退すべきだった。
 森喜朗氏と下村文明氏は早稲田大学雄弁会の先輩と後輩である。雄弁会出身者には総理大臣だけで他に海部俊樹、竹下登、小渕敬三などがいる。

 出処進退は自分の意志で決めるもの。総理に慰留されたからといって辞任を取りやめたら男ではない。
 中高生や大学生諸君、大人になって地位を得ても、やめるべきときがきたら躊躇なくやめることのできる人間に自分を鍛えておいてもらいたい。


<余談>
 弊ブログ記事で一番アクセス数の多い記事は、選挙制度の矛盾と国会議員の出処進退に関するもの。累積29206の閲覧数がカウントされている。日本人は死に様が美しくなくてはならぬ、桜が散るがごとくに潔く。
 
*小選挙区と比例区重複立候補に見た生き様・死に様 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-09-04


      70%       20%       10%