「読み・書き・そろばん(計算)」が学力を支える基本スキルであることは誰でも知っていますが、どうやってその技能を育むかについては、これだというやりかたはなさそうに思います。
 古里へ戻って20年間小さな私塾を営む傍ら、コンピュータゲームやスマホ時代の生徒達の日本語読解能力が低いことに驚き、語彙を拡張し音読スキルを身につけさせるために、日本語音読指導を授業の前に20分間ほどしていました。
 小学校高学年の生徒が少し、ほとんどが中高生でした。

 音読速度が遅い生徒は、書いてある言葉を自分が日常使う語彙に読み替えることがよくあります。「てにをは」ようするに助詞を間違えて読むこともよくあります。「わたし食べた」と「わたし食べた」「わたし食べた」「わたし食べた」では意味が違ってきます。「先読み」できずに、意味を確認しないで読んでいるうちはよくおこる現象です。
 数学の文章題が苦手な生徒は、文章を素早く正確に読めない者が多いのです。一気に読まないと、問題文全体が頭の中に入ってこないので、意味がつかめないのです。
 文書読解力は知っている語彙の大きさや音読速度と強い正の相関関係があります。

 まずは、書いてある通りに読むこと、そして、息継ぎを先生がやる通りに真似ることが大切です。小学校低学年で、本を読ませてスラスラ読めない生徒は息継ぎが問題であるケースがあります。その場合には、先生が示すお手本通りに息継ぎして読み、日本語のリズムと息継ぎに慣れることから始めたらよいと思います。もちろん、家庭でお母さんやお父さんがやってあげてもいいのです。学校の先生たちは助かると思います。息継ぎがうまくいっていない生徒の読み方の矯正はなかなか手間がかかりますのでね。

 世の中にはたくさんの本があるので、いいと思ったものを音読テキストにすればいいのです。
 たとえば、永井荷風に『震災』というタイトルの文章があります。文のキレとリズムがいいので小学3・4年生でも大丈夫です。

 コピーして貼り付けができないので、後で投稿欄に張り付けます。次の青字をクリックしていただくと、全文が載ったサイトへジャンプします。
 *永井荷風『震災』

 冒頭の「今の世のわかき人々」は「今の世の・わかき人々」と間を入れると読みやすいと同時に聞き取りやすい音読になります。
 2行目の「われにな問ひそ今の世と」は「われに・な問ひそ・今の世と」と読むとやはり読みやすく、意味を受け取りやすくなります。この短い間をとりはらうと、意味が聞き取りにくくなります。「な…そ」は「わたしには問うな」という否定の句ですが、間を取り払うと、聞き手はどこで区切って意味をつかんだらよいのか迷います。迷っているうちに次の句へ移ってしまうので、意味がつかめなくなります。英語の音読でも同じです。チャンクごとに間を入れると、聞きやすくなります。
 この永井荷風の文章はルビが振られているなら、音読テクストとして小学3年生から使えますよ、大丈夫です。
 荷風の「震災」は斉藤孝『声に出して読みたい日本語』p.90に総ルビで収載されています。この本は小学生用の音読テキストとして使っていたものです。

 音読は適切なところに間をとって、意味をししっかり把握しながら読むのがよろしい「先読み技術」が身に着くと、適切な間を置きながら読めるようになります
 つまり、初見の文を生徒に音読させて数分聞いているだけで、読解力が判断できます。
*朗読のコツ・読み方のコツとテクニック・練習に便利な道具

 俳優による文学作品の朗読や名人の落語を真似てみたら、そのすごさがわかります。興味があればやってみてください。
 市原悦子さんは癖のある演技の女優ですが、朗読は名人芸です。興味がわいたら、じっくり味わってください。
*宮沢賢治『風の又三郎』:朗読市原悦子




新編 風の又三郎 (新潮文庫)



  • 作者: 賢治, 宮沢

  • 出版社/メーカー: 新潮社

  • 発売日: 1989/03/01

  • メディア: 文庫




 芥川龍之介『蜘蛛の糸』はユーチューブ動画でたくさんの人が朗読しています。短編ですから、ご自分で検索して、いいと思うものを聴いてください。


*詩の朗読 「間」の余韻を楽しんでください
 吉原幸子本人朗読「雨なのに」



 ここまで書いてきて、江戸時代の「論語の素読」がいかに優れた読みの技術の育成であったかが理解できます。
 塾長が読む通りに生徒たちは大きな声で朗誦します。それを繰り返して、息継ぎも論語のリズムも体に沁みこませていきました。江戸時代には全国に2万の寺子屋がありました。そこに通うのは、早い者で5歳から、通常は7-8歳から通いましたから、論語の素読をそういう年齢でやっていたわけです。気がついてみると、20年間やり続けたのは寺子屋の論語の素読と同じことでした。語彙レベルの異なるあるいは分野の異なる17冊の本を選んで朗読、輪読、シャドゥイング指導してました。
 現在の小学校と江戸時代の寺子屋の日本語読解力トレーニング法を比べると、著しく劣化したことがわかります。読んでいるテクストの内容の劣化と指導方法の劣化の両方が進んでいることは事実です。簡単なことなのに文科省も学校の先生たちからも、声が上がらないのはとっても不思議です。小学3年生くらいまでは、社会や理科は要らないから、国語の音読指導に週2時間ほど当てたら日本の子どもたちの学力レベルがうんとアップするのではないかと思います。

<余談:モーニングショーなどのキャスター>
 テレビを見ていると、間を置かずにべらべら喋るキャスターがときどきいます。何を言っているのか聞きずらいのは言うまでもありませんが、言っている中身はもっとひどい。思い付きをそのまま喋っているだけのことが多いのです。
 玉川さんというキャスターがいますが、あの人は間を取りながら話します。彼は話の前提条件自体に切り込むことがよくあります。たとえば、マイナカードの問題なら、そもそもその必要があるのかということを英国やドイツの例を引きながら、本質論へと議論の方向を変えていきます。いま話題のビッグモーターなら自動車修理工場が保険代理店を兼業することや、特定の保険会社から34人もの出向者を受け入れることの理由や是非を問いますが、これも本質論です。創業社長が記者会見で、不正請求を経営陣はまったく知らなかったと断言しましたが、それに対して、そもそも独裁的なオーナー経営で現場の工場長が独断で不正行為を働くなんてことが頻繁にありうるのかという根本的な疑問をすぐに提起します。現象論に終始する早口の他のコメンテーターに比べて際立っています。
 間をとっている瞬間瞬間に話していることを整理しているのでしょう。とても聞きやすく、わかりやすい主張、そして発話の仕方です。

 中高生のみなさんや専門学校生や大学生のみなさんは、適切な「間」をとって話すことを心がけてください。社内会議やお客様のところへ出かけて、立て板に水のような話し方をすると、信頼を失います。わたしが勤務していた東証一部上場企業には、饒舌だが話がどこに飛んでいくのかさっぱりわからない役付役員がいました。もちろん、数年でいなくなっています。長く役員をしていた人が有能であるとも限りません。人間は、何か自分に不都合なことを隠して話すときに、早口になります

 SRL創業社長の藤田光一郎さんが間の取り方の名人でした。俳優にしたいくらい、交渉事の時に間をとってグーンと圧力をかけます。JAFCO本社に出向していた東北の会社のことで交渉事があり、同行して勉強させてもらいました。光一郎さん、交渉事のやり方を見せておきたかったんです。寡黙なのです、ポツンと一言いって、間が空くんです。圧力が増すのが目に見えるようでした。JAFCOの役員が焦っていました。最初から最後まで見事な演技でした。現役社長で東証1部へ業種の異なる会社を2社初めて上場を成し遂げた人でしたから、JAFCO側の扱いが違いました。交渉が終わって、「お車はどちららへ?前に回すように手配しますから」、「いえ、電車できましたので、浜松町まで歩いて山手線で帰ります」、そう告げると、「ebisuさん、東証1部上場企業の社長ですからセキュリティ上問題ですよ」そう小声で囁かれました。当時のJAFCO社長は根室市立光洋中学校で隣のクラスだった伊藤君でしたね。セキュリティ上の問題があるということで、同窓会名簿にも住所を載せていませんでした。野村證券は不祥事で2回役員が総退陣してますから、彼は運がよかった。もう少し早く出世していたら、野村證券の役員として首を切られていたところです。運が強かったのでしょう。JAFCOは野村証券の上場支援事業分野の子会社です。

 音読トレーニングのときに、適切な間を置いてやるように心がけたらいいのです。数年間音読トレーニングを積めば、対話の時にかならずそれが出てきます。沁みだすように出てきます

<余談-2:精確に速く読むメリット>
 中高生になったら、予習して授業を聞くと、理解が深くなることは誰にでもわかる自明なことですが、そのときに重要なのが音読の速度と精確性です。標準の2倍の速度と2倍の精確度で読めたら、半分以下の時間でより深い予習ができます。
 習っている分野で興味を惹かれるものがあれば、関連する本を自分で探して、短時間で読み切れます。音読が速い生徒は、理解も速いのです。中高生は時間が24時間しかありませんが、読書速度が標準の2倍あるいは3倍の生徒は、一日の時間が32時間あるいは48時間にできます。(笑)
 よいテクストをたくさんインプットする(読む)人はアウトプット(作文)の品質もよくなります。たくさんの語彙の使い方を文章を読むことで知るからでしょう。意識すれば文体を真似ることもできます。永井荷風の文体はしばしば主語につく助詞が省略されます。意味が通じるぎりぎりのところまで余分なものを削いだ文章に推敲すればいいのです。
 読んでいるときに著者の文体が気になるようになりますが、それも読書の楽しみです。
 


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声に出して読みたい日本語



  • 作者: 斎藤 孝

  • 出版社/メーカー: 草思社

  • 発売日: 2001/09/12

  • メディア: 単行本