FB上で団塊世代の労働運動家の「ヒッカ」と3日間ほど対話してました。
 取り上げたテーマはライフワークに深くかかわる部分でもあります、一度どなたかと議論しておきたかったのです。論点は次の四つです。

(1)マルクスは1867年に『資本論第一巻』を刊行してから死ぬまでの15年間、なぜ資本論第二巻を出版せずににだまり続けたのか?
(2)ヘーゲル弁証法で展開できたのは「資本の生産過程」まで。市場関係が入ってくるとヘーゲル弁証法では論理理解できないことを、『資本論第一巻』公刊後に知った、そこまで書き進めなければわからなかったということ。わたしは、いまから46年前、27歳の時にこの事実に気がつき愕然としました。高校2年生の時から、資本論の体系構成の方法に焦点を当てて読んでいたので、気がつきました。誰もそのことを指摘した人がいませんでしたので、修士論文では取り上げることができませんでした。それまでの資本論研究を覆す異端の説でした。
(3)マルクスは商品から出発して、資本を分析しても、新しい経済社会モデルを記述できないことがわかってしまいました。これもショックでした。この点ではマルクスとほとんど同じ、先が見えませんでした。
(資本論第一巻を出版した後に、方法に躓いたことに気がつき、それ以降の体系の叙述を断念せざるを得なくなったと同時に新しい経済社会モデルもその延長線上にはないことがわかってしまいました。)
(4)MEGA版として世に知られているたくさんの遺稿で、マルクス最後の年間にやっていたことが最近の研究で明らかになっています。その遺稿群から言えること(検証可能なこと)があります。
 斎藤幸平著『人新世の「資本論」』にはMEGA版の、その後のマルクスの研究がコモンやアソシエーションに移ったことが書かれています。マルクスは生産手段の共有化では新しい経済社会が作れないことがわかって、協同組合形式の企業による経済社会モデルを模索していたのです。利潤追求を目的とした企業ではないので、そこに活路を見出すしかなかったのです。無理でしたね。ソ連と中国は『資本論第一巻』のときのマルクスの言説に従って経済社会の建設をしましたが、見事に失敗しています。マルクス自身は晩年には生産手段の共有化では新しい経済モデルが作れないことを見抜いていました。でもいまさら、間違っていたとは言えぬ事情がありました。

 わたしの(2)と(3)の論点が、(4)のMEGA版のマルクスの自身の遺稿で論証されたと言えます。
 実は(2)の論点は、労働価値説が間違いであるという結論に導きます。市場関係を導入すると、過剰生産が労働価値説では説明ができないのです。どれだけ労働を投下しても、過剰生産されたものには価値がない、売れないのです。デジタル商品も再生産に労働は関係ありません、コピーするだけですから。それに加えて、価値形態論と生産過程での価値と使用価値の対立という論理図式が、市場関係を導入したとたんに破綻してしまうのです。市場価格、個別的生産価格、使用価値と主要な概念は三つあります。ヘーゲル弁証法は二項対立図式ですから、アウトなのです。わたしが気がついたぐらいだから、マルクスも資本論第二巻の原稿を書き始めて初めて方法的な破綻に気がついたのでしょう。市場関係では使用価値が一番基本的な概念ですから、労働価値説が破綻します。「搾取理論」である「剰余価値学説」が破綻しています。これらは稿を変えて詳細に論じます。

 同世代の労働運動家との対話を投稿欄へ転載します。前半部分のみ掲載してきます。新しい経済社会に関する対話が後半部分です。これも別稿で扱います。

 ソネットブログはワードで作成した文書を貼り付けられないのですが、投稿欄ならコピー&ペーストができますので、本欄ではなく、投稿欄をお読みください。

 労働運動家のハンドルネームを「ヒッカ」としてあります。
 


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