明日2/7は北方領土の日である。
 根室の歌人、田塚源太郎先生の遺稿集164頁に、国後島出身の先生の慨嘆が聞こえる一首が載っているので紹介したい。

 かの嶺も仰ぐことなく育ちつつ未来に領土を言ふことありや

 田塚先生は国後島の蟹漁師の一人息子である。お父さんを早くなくされ、漁場の運営はお母さんが仕切っていた。お姉さんが二人いる。
 根室商業の同級生で大学進学のために一緒に上京した北構保男氏によれば、「国後でも指折りの大漁師(網元)」だそうだ。根室商業進学のために国後から6月に根室へ来た。新学期が始まってからしばらくして現れたと、北構え先生が書いている。国後島の蟹の漁場では若い衆を十数人使っていたようだ。大きなタラバガニがいくらでも獲れた時代である。

 考古学者の北構先生は発掘で国後島を訪れたときに、親友だった田塚先生の実家によられたことがあった。
 この歌は昭和36年に詠まれたもののようだから、わたしと同級生だった二女が13歳のときのもの。国後島にお二人の娘さんを伴なって遊ばせてみたかったのだろう。ソ連領となって訪れることもかなわぬ。国後島を故郷と思うキモチが娘たちに伝えきれないもどかしさが滲んでいる。



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