5歳の幼児虐待殺人事件が起きた。殺された子どもは連れ子、再婚相手の男が虐待を繰り返して殺してしまった。死に至るまでの経緯がテレビでもなんども報道されている。男と女がくっつくのは自然の摂理だ、誰もそれをとがめられぬ。
 女に子どもがいたら、その子も愛してやるのが男の器量であり、人としての優しさである。血のつながった父親と会えない悲しさを胸に秘めた子を愛せないような男なら、セックスの相性がよくても女はその男と一緒に暮らすべきではない。憐憫の情さえもてぬ男と一緒になって幸せがあるだろうか?

 白銀(しろかね)も 金(くがね)も珠(たま)も なにせむに 優れる宝 子にしかめやも
(銀も、金も珠玉も、どうして、子に優る宝といえよう 子に及ぼうか)
  803 山上憶良

 1300年前の日本人の魂には子どもに対する無条件の慈しみがあったし、それに共感する人々が多かったからこそ、このような短歌が万葉集に載せられたのだろう。日本人の代表的な情緒のひとつであり、そうした情緒をわたしたちは受け継ぎ守り育ててきたはずだった。

 
血のつながった自分の子さえかわいい、ましていま愛している女の連れ子がかわいくないはずがあろうか、そういう心になれないならセックスの相性がよくても男は結婚してはならぬ。幸せの訪れるはずがない。

 死に至らぬまでも、虐待を受け、声を上げられずにいる子どもたちが数百人単位でいることをこのニュースはわたしたちに知らせ、警鐘を鳴らしている。
 周りの大人に悲しみを訴えられずに、助けてと声も上げられずに亡くなった幼子へ思いをはせよう。

毎日新聞ニュースより(一部分転載)
https://mainichi.jp/articles/20180609/k00/00e/040/258000c
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 東京都目黒区のアパートで両親に虐待された末に死亡した船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)は、ひらがなの書き取り帳に「反省文」を残していた。衰弱した小さな体で、何を思い書いたのだろう。その文章が多くの人の心を揺さぶっている。…


<日付不明>  ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして


<日付不明> きのう ぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす


 これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたは ぜったいやるんだぞとおもっていっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞというきもちで やるぞ 


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 幼子は親に愛されたくて、愛してほしくて、必死に努力していた。どうしてこの思いをうけとめられなかったのか。いまあの男と女が心の底から悔いていると信じたい。


<余談:人の生き方を問う仏教説話>
 お馴染みの月と兎のお話です。

*#2349 七夕の朝の朗読 「月とウサギ」(仏典童話より) July 7, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-07-07


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