市街化地域の3校のうち、A中は情報がないので知りませんが、B中とC中は先週末と今週初めに行われた定期テストで、一部の科目が追いつかず試験範囲の短縮がなされました。よくあることですが、いけませんね。これだけしか書かなければ、「何が悪いの?」と思う先生たちが少なくないでしょう。
 民間会社で納期直前に「来週、間に合いません、再来週になります」なんて客先に通告したら、1回目は渋々受け入れてくれても、2回目には取引停止や損害賠償問題になりかねません。年に何度かそんなことをしたら、信用を失っていつの間にか仕事が来なくなり会社がつぶれます。だから、仕事が間に合わないというのは、重大なことで、その仕事を担う資格がないということです。懲戒処分の対象になります。民間企業は社員がやる仕事に対してお金を払っています。公務員だって同じことではありませんか?
 労働時間に対してお金が支払われているという考えはマルクス経済学の考え方ですが、そこには仕事に対する責任というものがありません。労働者は管理職の指示に従って仕事をしていればいいのであって、仕事の責任は管理職が負います。そういう考え方は欧米の企業に共通しています。だから、ロシアや中国のような共産主義の国でも資本主義の国でも、一般労働者は仕事に対する責任がないのです。
 日本では昔から仕事は報酬と権限と責任がセットになっています。日本人にとって仕事とは他人に言われてやるようなものではないのでしょう。仕事は神聖なもの、神々がご覧になっているから手を抜いてはいけないもの、あるいは神々へのささげ物をつくるという意味があります。新年の刀鍛冶の仕事始めには禊(みそぎ)があります。そして最初につくったものを神へささげるという行為の中に、日本人の仕事に対する本質的な考え方が象徴的に現れています。「教師は労働者」という考えは日本人の心にはなじまぬ価値観です。
 日教組や北教組に所属している先生たちにお聞きします、「教師は労働者」という考え方に心の奥のほうで違和感がありませんか?あなたたちも日本人ですから、縄文時代以来1万2千年もの長い時をかけてご先祖たちが守り伝えてきた価値観を受け継いでいます。他人の言動に惑わされずに、自分の心の中を覗いてください。自ずと仕事へ崇敬の心が生まれその責任を自覚できませんか?自分の心に素直にそして謙虚に仕事しようじゃありませんか。

 試験範囲の短縮は仕事に対する基本的な姿勢の表れですから、こういうことが積み重なると、授業の進捗管理がルーズになり、翌年2月になってから大慌てでスピードアップして間に合ったことにしてしまうのです。難易度の高い後半部分を2倍以上の「高速授業」でやったらほとんどの生徒が理解できません。どの学年も後半1/3はむずかしい章が複数詰まっています。科目担当の先生にまかせっきりにせずに、学校としてマネジメントしてほしいと思います。管理職(校長と教頭)はそのためにいるはずです。
 テスト範囲の短縮を宣言した先生たちはこういういい加減な仕事をすることで生徒たちに何を教えているのか考えてください。教育用語に「隠れたカリキュラム(意図しない教育)」というのがありますが、生徒たちに何を教えてしまったのでしょう。

 データが入手できてからあらためて紹介しますが、教科書準拠問題集から試験の全問題をそのままコピーして出題した先生がいらっしゃるようです。平均点が80点を超え百点続出、他の学校へも噂が広まっています。信じられません、噂の真偽は来週にはわかります。何か事情があるのでしょうが、典型的な仕事の手抜きです。今後は決してこのようなことをやらないように、あるいはならないようにお願いします。
  こういうことは根室市教委の指導主事は関知していないのでしょうね。データ見て仕事してますか?していないでしょうね。市教委は普段の学力テストデータすらモニターしていないのですから、ましてや定期テストデータや問題用紙など見るはずがありません。根室市教委という教育行政の看板はかかっていてもこれでは中身がありません。
 なぜ、この問題を取り上げたかは、あとで回を改めて説明をします。他の学校でも起きる可能性があるので、ケーススタディとして採りあげる意味があります。これは防止できた「事故」でした。「報・連・相」に問題があります、学校と教育行政が苦手とする分野です。
 悪いことばかりではありません、作問実務を改善している先生もいらっしゃいましたので紹介します。同じ学校の数学担当の先生は、教科書準拠問題集の文章題(長方形を点pが動いてできる三角形に関する「動点問題」)を丁寧に改作して出題していましたから、数学は平均点が中間テスト(66.8)よりもはっきり下がるでしょう。問題集のほうがむずかしいのですが、それを外して基本問題に置き換えましたから、ほどほどに平均点が下がることが期待できます。憶えただけの生徒はこの問題に正解できません。ちゃんと理解している生徒だけが正解できます。問題の一部を差し替えて難易度を下げながら、平均点を下げる、なかなかのものです。教えている生徒の学力レベルを診てそれにあわせた仕事しています。このようにちゃんとした狙いをもって仕事をしている先生もいらっしゃいます。定期テストの平均点が学力テストの平均点(4月34.8、11月43.1)の2倍弱だったので、難易度を調整したようです。いい対応ですね、ますますいい仕事をして生徒の学力向上に努めてください。この先生には敬意を表したいと思います。
 中間層の学力を上げるには、予習をさせるというのがとっても有効な方法なんですが、「教科書を読んで予習して来い、わかってもわからなくてもいいからとにかく読んで来い」と先週指示した先生もいます。繰り返し、予習の大切さを伝えてほしいですね。根室高校普通科の生徒は教科書を予習していかないと半数ていどはところどころしか理解できないでしょう。中学生のうちに予習の習慣を育むことはとっても重要なんです。
 長期的にみれば、一人ひとりの先生が仕事の手を抜かないことが生徒の学力アップに寄与します。そのまま出題したら、理解していなくても答えを覚えているだけでいいよと生徒にメッセージを送ることになり、生徒は(理解していなくても)暗記するだけで点数が取れることを学習してしまいます。定期試験は生徒の理解度を測定するものであってほしい。

 ブログ「情熱空間」が釧路の中学校でなされた試験範囲短縮問題を取り上げているので紹介します。

ブログ「情熱空間」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8663506.html
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2016年11月30日

あと出しじゃんけんさながらの試験範囲

配布された定期試験出題範囲表。
予定していた出題範囲まで「終わらない」と見るや、悪びれた様子もなく短くしてしまう。

それが普通のことになっていますが、はたしてそんなことって許されるのでしょうかね?
そもそも出題範囲など、年度当初に示すべきものなのではありませんかね?
だって、「年間授業カリキュラム」がすでに定まっているわけですから。

あろうことか、(そうした批判を恐れてのことなのか)試験出題範囲表を配布しない中学校まで存在しています。
掲示したそれを生徒に書き写させ、しかし毎度毎度、範囲まで終わらないとしてカットに次ぐカット。
それってまさしく、ご都合主義の「あと出しじゃんけん」なのではありませんかね?
非常識、極まりなし。

自分のせいで、予定した箇所まで終了できなかった。
ならば「責任をとる」べきものでしょう。
納期に間に合わなかった。
民間企業では、絶対に許されないことですよ。
取引中止は当然のこととして、これまた当然ながら賠償責任が発生しますからね。
(塾ならば、補習を組んで挽回することになりますが、あたりまえのことですね)

懲戒処分ののち、降格か左遷。
良くて譴責、普通は始末書提出か出勤停止か減給処分。
常習性が認められたならば、懲戒解雇でしょう。
お咎めなしはあり得ません。
労務管理上、あたりまえのこと、常識ですね常識。
だって、服務規律違反そのものですから。

予定通りできなければ、自分の都合で変えてしまえばいいんだ。
また今回も終わらないで、それでやっぱりカットになるんだ。
自分が悪くても、変えちゃえばいいんだ。
スケジュールや時間って、自分の都合で変えちゃえばいいものなんだ。


子ども達は、その「隠れたカリキュラム」から、そうしたことを学んでしまっているのではありませんか?
およそ人様の子どもにものを教える立場にある人間は、特にその部分を厳しく律しなければならないのではありませんか?

いくらなんでも、だらしなさすぎです。
教育行政が、出題範囲を上意下達で定めるべきかも知れませんね。
子ども達は、その「だらしない行為」から何を学んでいるのでしょうか?
学校とは、子ども達に「仕事の手の抜き方・ごまかし方」を教える場なんですか?
本当にいいんですか、そんなことで?

いいですか。
それは社会一般に「絶対にやってはいけないこと」なんですよ。 
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