根室の今朝7時の気温は4.1度、めっきり寒くなった。中標津では昨日の最低気温がマイナス8.8度で道内最低を記録した。中標津町が道内最低気温だというのは、わたしは初めて聞く。

 今日は気持ちのよい話が書ける。
 1年ほど前のことだったように記憶しているが、塾に来た生徒がこんな質問をした。

 「数学で自然数をnで書いてあったので、nは何ですかと質問したら、ナンバーのnだと先生が答えました」

というのである。勘のよい生徒はなんだかヘンな気がして、塾でも同じ質問をするから、生徒の動物的な勘は侮れない。

「自然数は英語ではnatural number だから、ナンバーではなくてナチュラルの方のnだよ、数学の先生、知らなかったんだろう。」
「わたしだって、わからないことはあるから、そのときは「調べて次の回に説明します」、そう応えることがあるし、とりあえず答えておいて、後でチェックして間違っていれば次回訂正します、おそらく君の数学の先生もそうするでしょう」

 そのときに高校の不定積分で出てくるCが ConstantのCであることや、(比例)定数を表すkはドイツ語の die Konstante のk。α、β、γはギリシャ文字だ、なんて説明も追加した。
 「Kの前についているdieってなんですか」
 生徒の好奇心は限がない、ドイツ語の説明をする羽目になった。好奇心は大事だから、他の生徒の質問を捌きながら、その合間に時間の許す限り付き合ってやることにしている。(笑)

 数学担当の先生から後日訂正があるだろうと気楽に伝えたのだが、次回も、その次も訂正説明がない、生徒はすっかりその先生への信頼をなくしてしまった。
 こういうことがあると生徒と先生の関係はギクシャクする。信頼感の有無はコミュニケーションの土台であるが、そこが崩れた。

 先週1週間塾を休んで東京へ行って心の洗濯をしてきた(その様子は#3444に書いた)。昨日の授業のときに、件(くだん)の生徒がこう話した。

「先週のことですが、数学の先生が、「自然数のnを以前ナンバーのnだと説明したことがありましたが、natural number のnですので訂正します」と言いました。」

 生徒は晴れ晴れとした顔で報告した。あれ以来ずっと胸の中にわだかまるものがあったのだ。よい経験をしたと思う。人からモノを訊かれたときに、答えに自身がなかったら、必ず後で調べてちゃんと訂正のできる大人になるだろう。

 だから教える先生は謙虚であれ。わかったつもりで教えても間違えることはある、ちらっとでも怪しいと思ったら、後で調べるくらいのことはしよう。そして、わからなければはっきり「次回まで調べてくる」と明言し、次回は必ず説明しよう(説明しない先生が多いのである)。調べてもわからなければ「わからなかった」と伝えればいいのである。そういう先生の姿から生徒たちは何かを学び、そしてちゃんとした大人になろうとするのだ。
 
 先生でもわからないことはある、もちろんわたしだって教師の端くれに過ぎないから、わからないことはたくさんある、だから日々学ぶことを怠らない、それがプロというもの。学ぶことに飽きたらそれは教師を辞めるときだと思っている。
 この経験で生徒はひとつのお手本を見た、そしてちょっと成長したようだ、件の数学の先生に感謝。お名前を書きたいのですが、ご迷惑がかかるといけないので書きません。


<余談>
 ブログ「情熱空間」に反面教師の実例が載っている。妙な社会の先生がいて、定期テストで「租税」だけが○で「税」や「税金」と答案に書いたらバツだというのである。租税には収入印紙が含まれないから税金とは違うなどと頓珍漢な説明をしたらしい。
 収入印紙は印紙税で国税であるから、「租税」である。中学公民の範囲では「租税」も「税」も「税金」も同じ物を指している。コメント欄に奈良時代の租庸調から租と税の説明を補足したおいたので、それもあわせてお読みいただけたら幸いである。

*「あの言葉、許しちゃいません」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8630158.html

 定期試験問題についても、勘違いや憲法学の定説に反するような出題例を取り上げて解説しています。興味があればそちらもどうぞご覧ください。社会科担当の先生にもぜひ見ていただきたい。

*「間違いを出題してはいけません(定期試験問題から)」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8630112.html


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