さて、今回は基礎学力の三本の柱である「読み書きそろばん(計算)」のうち、「読み」と「書き=文書作成」トレーニングを取り上げる。


〈「読み」には三段階あり〉
 「読み書きそろばん(計算)」が基礎学力の三本柱であることにどなたも異論はないだろう。
 「読み」と「書き」にかかわるスキルにはそれぞれ段階があることもあらためて証明する必要がないほど自明なことに属する。

 デカルト『方法序説』「科学の方法」の2番目にしたがって論を始めてみたい。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。  
 デカルト著・谷川多佳子訳『ワイド版 方法序説』(岩波書店)29ページ


 細かく分けすぎてもいけない、読みにはおおよそ次の三つの段階があることに大方の人が同意できるだろう。

 1.絵本
 2.児童書、漫画
 3.大人の本

 絵本は説明の必要がない、名が体を表している。
 児童書にはアニメのノベライズものを含める。漫画のルーツは平安時代の絵巻物にさかのぼるから、千年の歴史をもっており、ジャンルが多様で、内容もしっかりしたものが多数ある。そして子供たちへの影響力は児童書よりもはるかに大きい。子供たちだけでなく大人も読者が多いのは、メディアとして客観的に見た場合でも、漫画の本の内容のレベルが高いものが少なくないからだろう。
  大人の本とは、その咀嚼に強い顎の力を必要とする読み物をいう。幅広い語彙がちりばめられている明治期以降の純文学作品群、古典文学群、哲学・科学・医学・経済学などの専門書群、評論集等。

 高校時代に、毎週3冊の習慣漫画(少年サンデー、少年マガジン、少年キング)を読み続け、同時に哲学書や経済学の専門書、会計学や原価計算の専門書群を読み漁った経験からいうと、漫画の本をたくさん読むから、硬い本が読めないとか、読まないとかいう議論には与(くみ)しない。しかし、語彙力が貧弱だと高校2年普通科の標準的な現代国語のテクストや専門書が読めないことは当たり前。
 高校2年生の現代国語の教科書には難解な評論や語彙の豊富な純文学作品が多数収録されているそうしたレベルのテクストを読みこなすことのできる読書力獲得を前提にすると、高校生までに、さまざまなジャンルの評論や論説文、純文学の作品、そして入門書レベルの哲学書が読めるくらいの語彙力をつけるにはどうしたらよいのかという問題が浮かび上がってくる
 新聞や論説文を読めばよい。高校2年標準的な現代国語教科書を前提にすると、すくなくとも、岩波新書レベルのものを中学生から高校1年生までに20冊くらい読んでおきたい。新書は専門書への入門としてコンパクトで優れているからである。それらに加えて、明治・大正期の文学作品の名作も50冊ほど読んでいたらベストだろう。
(もちろん、こうした過程を経ずとも、別の方法で強靭な国語力を獲得する者たちがいることは事実である。モノが違うといってよい。根室でも数年に一人の割合で、そうした生徒が存在している。)

 さまざまなジャンルのものを読めば読むほど頭の引き出しの中の語彙が増える。大人の本を平気で読めるようになるには、そういうレベルの本を読み、語彙を増やすしかない。
 流れを途切らせずに読むには、相応の語彙力が必要になる。語彙力が貧弱だと、しょっちゅう読めない漢字や理解できない熟語が出てきて、読書の流れが途切れてしまう、これは大きなストレスで、読書そのものを楽しめない、集中力もそのつど切れてしまう。
 語彙力を「読み」と「書き」という側面から考察してみると、読んで意味がわかる語彙と書ける語彙は、10対1くらいではないだろうか。書ける語彙を増やすことは、その十倍の読める語彙を増やすことでもある
 大人の本とは、語彙の豊富な純文学、評論、散文、岩波新書レベルの本、そして各分野の専門書。
 東野圭吾の小説が境目のようだが、エンターティンメントは噛むのに強いあごを必要としないから、大人の本には含めないグレーゾーンということにしておきたい。「グレード2.5」という命名がふさわしい。
 宮沢賢治の童話群は児童書のカテゴリーにふくめよう。

 釧路のMさんの話では、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(日本の童話名作選 偕成社)が原文そのままで総ルビがふられ、豊富な挿絵で絵本風になっているそうだ、これはどちらに入れていいのか判断がつかぬ。こういうクロスオーバーな絵本が増えてくれたら、橋渡しになるのでありがたい。このシリーズで40冊ほどでており、小学生低学年が読めるようになっている。

 それぞれの段階の解説は別稿でとりあげる。1から2への移行はスムーズに行くが、2から3へ移行できる者は中学生ではおおよそ1割、ここを学校教育でどのように扱うかが重要である。

 江戸時代は5歳から論語の素読をさせたから、3万あった私塾ではいきなり難解なテクストを全員で朗誦していた国語の教育は良質の大人の本を選び、音読指導からはじめたのである。
 昭和40年代までは本や新聞にはルビが振られていたから、グレード2の段階から3の段階へは漢字が読めないという制限がなかった。それゆえグレード2から3の段階へはスムーズに移行できた。団塊世代がそういう世代だった。
 江戸時代は、大人の本への橋渡しは、幼児教育の時点からなされていたと考えられる。そして昭和40年代までは、新聞も本もルビが振ってあったから、子供たちは児童書から大人の本へスムーズに移行できた。歴史的に見ると、大人の本への移行が困難になったのは、戦後の教育と出版分野へのコンピュータ(Desk Top Publishing System)導入によって生じた特殊な問題ということができる。
 日本人の国語力が著しく低下したのは、戦後の漢字制限*とコンピュータの性能が低くてルビがふれなかった時期が長く続いたという事情もあったのである。性能がアップして、ルビをふることに制限がなくなったのに、長いことルビを振らなかったので、現在の一線の新聞記者たちにはどの程度ルビを振るべきかについて、判断基準がない。ルビが振られた大人の本をあまり読む機会がなかったからだろう。出版社の人とは話したことがないが、新刊書を見ればわかる、同じだろう。常用漢字の範囲に漢字や語彙の使用を「自主規制」しているようにみえるが、そのうちに常用漢字以外は使えないような、貧弱な語彙力の小説家が出現するのだろう。いや、アニメのノベライズはすでにそういうレベルだろう。弊ブログカテゴリー「本を読む」に十数冊、そういう本を取り上げて論評してある。
 ルビについては、常用漢字以外はすべて振ればいい、ついでに、副詞の漢字使用も解禁すべきだ。

*この点に関しては、大野晋著『日本語の教室』(岩波新書)「第二部 日本語と日本の文明」「(質問13) 漢字制限はよいことだったのではありませんか?」167ページ参照。
 

〈「書き」には四段階あり〉
 文章を書かせる指導には大きく分けると、次の4段階がありうる。
 1.小学校低学年(親が担う)
 2.小学校高学年(学校が担う)
 3.中高生(学校+自分でトライ)
 4.大学生および社会人(自分でトライ+先生や上司)

 4段階それぞれごとに別の指導法と生徒の取り組み方が対応しそうだ。

 第一段階はAさん方式。同級生のAさんが自分の子供三人を書くことと計算大好きなこどもに育て上げた家庭学習のしつけかた、担うのは親。習った漢字書き取り、その漢字を使った短文トレーニング、日記方式の自由作文、十字形の漢字熟語パズルなど。低学年の時期に数年間おやが手間隙かけてやれば、本を読むことや文を書くことが大好きな子供に育てられる。
 花マルいっぱいあげて、こどもはよろこんで問題の「おかわり」をするようになれば、大成功。

 第二段階は議論のあるところ。自我が育ち始める時期で、二番目に重要。
 トレーニングの内容は二つ、視写と本の章単位での「あらすじまとめ」。「本のあらすじまとめ」は音読トレーニングと並行してやるのが効果が大きい。「読み」と「書き」はつながっている部分がある。
 お手本を真似るということがさまざまな基礎的トレーニングに共通している書道、剣道、柔道、空手、詩吟、お琴、日本舞踊、茶道、香道、大工、左官、・・・、およそ芸事や武道、職人仕事というものは、師匠や指導者、親方の挙措をお手本として徹底的にそして繰り返し真似ることから修行をはじめるものだ。自分で好き勝手にやっていいということはなく、お手本を真似て基本形を反復練習することからはじめるのが古(いにしえ)から伝わる自然なやり方。「守離破」「守」の段階といえる。
 名文の音読と視写の反復トレーニングは日本語のよいリズムを脳と手に刻み込む作業になる。トレーニングによって使える語彙とリズムを身体に染み込ませていく
 書きのトレーニングは計算トレーニングと同様に量の確保が重要。音読トレーニングと併行してやる「三色ボールペン」(斉藤隆方式)での線引きが役に立つ。あらすじに青線を引いておけば、あらすじをまとめる作業が客観的になる。名文の音読と視写、そして章単位でのあらすじのまとめくらいで十分である。
 高校入試で出題される現代国語の記述式問題は、あらすじや重要箇所に青線と赤線を引くトレーニングをしていれば、正答できる。
 読んだ本のあらすじを言ったり書いたりすることができれば、十分な読解力があると判定してよいここでも読みと書きは連動して動く、まさしく「車の両輪」

 第三段階は第二と第四の狭間としておく、議論のあるところだから、さまざまな異見が続出してよい。いくつかの流派がありうるとだけ書き留めておきたい。
(じつは最近3週間にわたって、「釧路の教育を考える会」のIさんと議論していた。関係のある数人がモニターできるメールで、すでに20本のメール(原稿用紙で100枚以上)を書いている。その議論があったから、こうして「書く」ことについて、自分の意見をまとめてみようという気になった。議論をすれば、議論を通じて自分の意見が次第にひとつのまとまったものとなって、姿を現してくる。相手の論を受け入れ、自分の論を対置することで、鏡に映して見るような作業になってくる、Iさんに感謝。)

 第四段階の対象は大学生と社会人論述式問題の答案練習や卒論指導会社にあっては「報連相」や業務報告書作成、社内および社外文書作成時の上司のチェック。もちろん、自力でやれる者は自力で挑む。最後は誰にも頼らず、独力でやりきることができる文書作成能力を獲得することが目標である。

 言いたいことは書き方の指導には段階があり、自明のことと自明ではないことがあるということ。いくつかの「流派」が存在する余地があるから、議論のあるところは徹底的に議論すべきだ。しかし、無理に一本化する必要はない。
 読みと書きとは車の両輪、読むもののレベルが上がってくれば、使用語彙や論理構成に違いが出てくるので、書くものも違ってくる
 読みで最重要なのは、児童書から大人の本への飛躍、ここで躓くこどもが大半である。中学生でこのギャップを乗り越えられるのは1割ほど
 第四段階は専門書を読んでいることが書くトレーニングの前提となる


〈国語授業時間数不足のよる「読み書き」能力の低下〉
 もうひとつ大きな問題があることを指摘しておきたい。それは小学校の国語の時間数の少ないことが国語力の育成にとって致命的だということ
 小平邦夫(数学者、フィールズ賞受賞)がどこかで書いていたが、かれの時代は低学年で国語は週10時間、高学年では12時間あったそうだ。
 現在は半分かな?それでは読みも書きも絶対量が足りるわけがない
 そこをなんとかしろと声を上げることも民間の教育関係諸団体の役割。

子供が言語を修得する能力に優れているうちに国語を十分時間をかけて徹底的に教えておこう」(『怠け数学者の記』小平邦彦著、岩波現代文庫102ページ)

 小学校低学年では、社会も理科も要らぬ、国語と算数と体育と音楽だけでいいという極論もありえる。(小平は自分が小学生のころは、1・2年生では社会科や理科がなかったと書いている。大数学者の岡潔も小学校低学年には社会科はいらぬと言明している。その後の学力の伸びにとって、それほど国語と算数が重要だということ。)
 これなら、「読み・書き・計算」スキルと・体力をともに現在よりも格段に引きあげられる。


*#749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論  Oct. 4, 2009 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

*#2853 『釧路市学力保障条例の研究(1)』東大大学院教育行政学論叢 Oct. 29, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29


*#3154 日本語読み・書きトレーニング(1) Oct. 11, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-11-1

 #3155 日本語読み・書きトレーニング(2):総論 「読み」と「書き」 Oct. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

 #3156 日本語読み・書きトレーニング(3):先読みの技 Oct. 14, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

 #3157 日本語読み・書きトレーニング(4):「書き」の「守・破・離」」 Oct. 15, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14-1

 #3158 日本語読み・書きトレーニング(5):数学と「読み」のスキル Oct. 16, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-15

 #3159 日本語読み・書きトレーニング(6):数学と「読み」のスキル-2 Oct. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19

 #3195 家庭学習習慣の躾は小学1・2年生のうちにやるべし Dec. 4, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-04


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 どの本も実物を手にとって見ていないので論評できない。「絵本」と表記のあるものとそうでないものに分かれている。「絵本」も原文は忠実に採録されているのだろうか?

蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)

  • 作者: 芥川 龍之介
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日本の名作どうわ―日本童話名作選 (1年生) (学年別・幼年文庫 (1年 8))

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  • 出版社/メーカー: 偕成社
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  • メディア: 単行本

日本の名作どうわ―日本童話名作選 (2年生) (学年別・幼年文庫 (2年 8))

  • 作者: 坪田 譲治
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1957
  • メディア: 単行本

日本の名作童話 3年生―日本童話名作選 解説と読書指導つき 日本童話名作選 (学年別・幼年文庫)

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