#3348 英文和訳にはたしかな日本語ボキャブラリが必要 June 29, 2016 [47. 語彙力と「読み・書き・そろばん」]
今日が今年一番暑かった、生徒がぐったりしていました。最高気温は12時ころの21.1度です。23時には13.8度まで下がっています。いま床暖房が入っています。(笑)
胃と胆嚢を全摘、横行結腸を一部切除したわたしは、水分補給に難があるので、涼しい根室の気候が最適です。根室の夏は日本で一番涼しい、もうすぐ最高の季節が到来します。
暑い夏は身体がしんどい方々は、6~9月の4ヶ月間を根室で過ごしてください。朝晩はストーブが必要なくらい冷え込みます。
最近三日間の最低気温を書いておきます。
8.1度⇒ 9.1度⇒ 10.8度
6月15日は5.3度でしたから、2週間でずいぶん暖かくなりました。
< 最近五年間に日本語語彙力の低下現象が加速した >
#3347で中学生の日本語ボキャブラリーの問題を採り上げました。根室では中学生の15~25%くらいが、授業で先生が使うボキャブラリーの意味が時々わからなくなり、話している内容の文脈がつかめない状態でいると推定しています。スマホの普及が決定打になりました。
団塊世代が中学生だった53年前の4倍くらいいるように感じています。ボキャ貧は学力低下の主要な原因のひとつです。
スマホとゲームと過度な部活の(日本語)語彙形成阻害効果はすさまじいものがあります。イージーなほうに流される生徒たちの読書時間を根こそぎ奪っていきます。学校も家庭もこれを放置してはいけません。
スマホが普及してから日本語語彙に関して「負のトライアングル相乗効果」が起きています。三角形の三つの頂点は「過度な部活」「ゲーム」「スマホ」です。この三つに打撃を与えるにはどうしたらよいのでしょう?
最後の<余談:対策>の項をご覧ください。
< ボキャ貧現象の進行は授業へ影響アリ:学校と塾 >
例-1: 授業参観したときのことですが、C中学校の社会科のN先生は日本の気候の特徴である「温暖湿潤」を説明するのに、漢字を一語ずつ意味解説していました。あそこまでやれば、全員が理解できます。生徒たちはそういうレベルなんです。「温」とは何か、「暖」とは何か、「湿」とは何か、「潤」とは何か、ひとつずつ説明してやらないと意味のわからない生徒が三人に一人くらいの割合でいるのです。こんなに丁寧に漢字の解説をする先生は市街化地域の3中学校で、他の科目を含めてもN先生だけです、他の先生たちは生徒が知っている前提で授業を進めています、それが普通です。
例-2: もう8年くらい前のことですが、成績が中位の中2の生徒二人が、「形容詞は名詞を修飾する」と説明したら、「しゅうしょく」の意味がわからない様子なので、漢字を書かせたら二人とも「就職」と書きました。平均よりも学力がすこし上の子たちですから、漢字はちゃんと書けるのですが、意味の違う漢字を頭に思い浮かべていることがわかりました。「形容詞は名詞を就職する」では意味が通じません。普段、本をほとんど読まない、いや、読む習慣のない子達でした。用語の説明をどこまですればいいのか、まあ、とことんやるしかありません。英文法の解説のはずが、国文法用語解説になったりします。この程度の生徒が多いのです。(笑)
気がついた先生が科目に関わりなく解説するしかありません。
例-3: あるときやはり中2の野球部の生徒3人に小6用のボキャブラリ・テストをやってみましたが、35~52点でした。この生徒たちへの解説は、表情を確認しながら漢字や用語の説明を頻繁に入れなければなりません。わかったような顔して聞いていますから、こちらから質問してときどきチェックしないと見逃します。
本を読む習慣がない生徒たちの日本語語彙は極端に貧弱です。どれくらい貧弱化というと、日本語でなされる授業を15~25%の中学生たちがときどき頭の中で適切な漢字に置き換えられないという程度に貧弱なのです。ときどき置き換えられない漢字が出てくるだけで、「形容詞は名詞をシュウショクする」のように話の文脈が切断されてしまいます。
なぜかというと、漢和辞典はまったく引いたことがない生徒が多数いますから、ごく簡単な基本漢字の意味しか知りません。そして基本漢字の組み合わせでできた語彙すらも理解できないものがあります。「修飾」という語はどちらも「かざる」という意味の漢字です。小学校で国語辞典を授業中に引かせる教師はいますが、漢和辞典はなかなかいらっしゃらないようです。そして中学校では英和辞典を使わない。学校教育では辞書を引く習慣を育てられないのです。団塊世代のころは中学生は全員英和辞書を引いていました。
本を読まず、漢和辞典も引いたことがない、英和辞典を利用したことがない生徒たちが高校生になったら、教科書の英文を適切な日本語に訳せないでしょうね。
小中の学校教育がすでにそういうシステムになっています。文科省には頭のよい官僚がいるはずですが、どうしてこういうことになるのでしょう?グローバリズム、国際化の時代に英語教育が必要だと一方では言い募りながら、母語の教育を根っこから腐らせ、英和辞典さえ引かせないように中学校の英語教育を変える一方で、小学校へ英語の授業を導入する、頓珍漢を絵に描いたようなものです。頭のよい文部官僚たちが一生懸命に仕事をした結果が現在の語学(日本語と英語の)教育システムであると仮定したら、日本の教育は根底になにか大きな欠陥が潜んでいるような気がしてきました。
< 問題として挙げた英文例 >
さて、ここからが本題です。#3347から抜粋引用します。
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昨日、高校2年生に教科書『Vivid Ⅱ』を教えていたら、ボキャブラリーの問題が出てきたので、次の稿で説明したい。
Including the Bonin flying fox, 57 endangered species live on the islands.
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#3347でこのliveを適切な日本語に訳してみてくださいと書きました。the Bonin Flying foxは「空飛ぶ狐」ではありませんよ、オガサワラオオコウモリです。小笠原諸島の固有種です。教科書には木の枝にぶら下がっている蝙蝠の写真が載っています。定冠詞がついているのでthe islandsは小笠原諸島です。liveは「住んでいる」ですから、
「オガサワラオオコウモリを含めて57の絶滅危惧種が小笠原諸島に住んでいる」
というのが、普通の和訳でしょう。ですが、「住む」というのは人に対して使う言葉で、絶滅危惧種が主語ですから、「生息している」「棲息している」「栖息している」が日本語としては適切です。わたしは真ん中の「棲息する」を採ります。
「栖息」の異体字が「棲息」ですが、「棲息」のほうが頻度が高いのでこちらが推奨です。栖も棲も鳥の巣に関係のある言葉です。
大辞林を引いてみます。
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生息:①生きて生活すること。生存すること。「地球上に生息する動物」 ②「棲息」に同じ
棲息・栖息:(動物が)ある場所にすんでいること。生息。「カモシカが棲息する地域」
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liveの原義は「生きる」ですから、「生息」のほうを採る方もいるでしょうね。息という字も生きていることを現しています。「生きている」ことは同時に「息をしている」ことですから。「息」が止まれば死です。
棲家(すみか)を作って生きているとうように、「棲」という字は「巣を連想させる語」なので、オオコウモリが巣を作って小笠原諸島で生き続けているイメージにしっくりあうのです。
GENIUS4版のliveの項には、「棲息する」という訳語は載っていません。
< 英和辞書の訳語は参考程度 >
この英文には単純現在形が使われていることから、「島でずっと昔から生き続けてきている」というイメージが湧いたら、それを適切な日本語に変換しなければなりません。そのときに、日本語ボキャブラリが貧弱だと、適切な日本語が思い浮かばないことになります。だから、英語の能力は日本語ボキャブラリが豊かな人のほうが伸びます。日本語ボキャブラリや作文能力の低い人の訳文は、しばしば辞書の訳語を並べただけで、日本語の文になっていないことがあります。文章の知覚センサーの感度が鈍感になってしまっているのでそういうことが起きるのでしょう。母語の日本語のセンスが悪ければ英語のほうもダメということになるのでしょう。
(夏目漱石の『草枕』は漢文の深い素養と英文への理解の深さがよく現れた作品です。漱石は他の作品ではひけらかしませんが、『草枕』だけはひけらかしているようでわかりやすい。『坊ちゃん』はそういう漱石の漢文と英文への深い教養が隠されてしまっています。『坊ちゃん』と『草枕』をそういう視点で読み比べたら楽しいですよ)
英文を読んでイメージが湧いたら、和訳してみて、それを音読してみてください。すんなり意味がイメージできたらOKです。
高校生相手の英語の授業では、こういう文に出くわすと辞書は引かせますが、適切な日本語が載っていませんので、
「「住んでる」ではしっくりこないだろう?、日本語としてすんなり腑に落ちる語彙を探せ」
と指示します。英字新聞を読むときにはこうしたことが頻繁に起きます。
普段からセンサー(語感)を磨いて思考訓練を重ねた者と、そうでない者では、1年後に大きな差異が生まれることは当然です。国語の先生の中で日本語のセンスのよい人が英語を教えたら、一味違った授業になるでしょう。
序(ついで)です。棲の字の熟語には「同棲」がありますが、若い二人が「巣作り」しているイメージの「棲」の字がとっても微笑ましいじゃありませんか。
<まとめ>
小学校のときに漢和辞典を引いて1000語くらいは語義を知っておけば、語威力や語感の点ばかりでなく、各科目で新たに出てくる用語を深く理解できるので、高校生になってから学習や学力の面で絶大な効果を発揮します。小学校時代の(国語辞書や漢和辞典を利用しての)仕込みの重要性がお分かりいただけたのではないでしょうか。語学という点では日本語(国語)と英語あるいは他の外国語の運用能力には密接な関連があります。
中学生の皆さんや高校生の皆さん、いまからでも遅くありません、今日から国語辞典と漢和辞典を引いてください。引かなければならないような語彙レベルの本を積極的に読みましょう。それは学力だけでなく、あなたの精神の成長に大きく貢献します。中高生ですら効果が大きいのですから、大人の方もいまからでも遅くありません。
いつでもどこでも学べるというのは若い証拠です。(笑)
< 余談:対策 >
簡単なことなんです。優先順位を変えるだけでいいのです。中学生は勉強に最大の優先権を与えます。だから部活は週に最大5日、標準は週4日間、放課後は6時まで。その制限の中で効果的なトレーニングメニューを工夫すればいいのです。社会人ではだらだら長時間やらなければ終わらない人はダメ社員とみなされます。スマートな社員は同じ仕事を短時間で効率的にやっています。中学生のときからそういう習慣をはぐくみましょう。
スマホとゲームは1時間勉強してから触りましょう。勉強のはじめは英語の教科書の音読を3分間やれば脳が活性化するのでとってもよい。語彙レベルの高い日本語の本でもいい。たとえば、『論語』や明治期から昭和初期までの文学作品を5分間音読する。先読みするので脳がフル回転します。
どういう本を選んでよいかわからない人には、斉藤隆の「音読破シリーズ」(小学館)をお薦めします。ルビがふってあるだけでなく、難解な用語には左側に小さな字で意味が載せられているので読みやすいのです。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、中島敦、幸田露伴、宮沢賢治、6人の作品がそれぞれ1冊になっています。定価800円でとっても安いので6冊(4800円+消費税)一気買いしましょう。
塾の夏期講習は行かずに、本を買い与えて、読書三昧(ざんまい)の夏休みを体験させましょう。一度くらいそういう夏があってよい。
たったこれだけのことです、やれるでしょう?中学生ですから、それぐらい自分の意志でやれなくっちゃいけません。よい機会ですから、我儘(わがまま)を抑えて精神的に成長しましょう。
*#3347 セルフコントロール(自己抑制)とテストの成績の関係 June 28, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-28#comments
#2582-8 子供たちの精神年齢の低下現象と読書に関係はあるか? Feb. 5, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-05
70% 20%
2016-06-29 00:49
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live の訳語の日本語文章中でのイメージとして、ebisu さんの訳語選択には異論はありません。
ただ、棲息、生息という語が日本語の中にうまれたmoment を考えてみることも大切だと思います。
極端に対極の訳を無理やり作ってみます。
「憮人の飛び狐さんも入れると、57種類の死に絶えてしまいそうな生き物がその島には暮らしています。」
漢字の熟語は、文明開化とともに爆発的に増え、多くの日本人は堅い文章では漢字の熟語を、身近な文章では和語を使う。日本人の「語感」です。
では、外国語の側からみた語感は?
Aufheben の契機となった疑問でした。因みにドイツ語ではaufheben は、単に「上に上げる」程度の意味ですね。
日本語側の
by 後志のおじさん (2016-07-01 22:48)
おはようございます。
なるほど、「暮らす」という和語のほうがしっくりきます。
漱石も露伴も昭和の翻訳の名人平井呈一も「棲息している」と書いて「棲息(くら)している」とルビをふったでしょう。
アウフヘーベンの原義はご指摘の通り「上へあげる」ですが「棄てる」という意味もあります。哲学用語としては「止揚」や「揚棄」が意味をよく表現した適訳ですね。「正・反」の対立を超えてその上へという意味が止揚にはよく出ていますし、正と反を棄てて、その上の次元へといたるという意味では揚棄が適訳です。
たった一語を採り上げて、哲学用語には和語は向いていないと拡張解釈しても妥当性はありそうです。和語には含みがない。
でも和語で哲学したらどういうことになるのか、それはそれで面白そうです。日本人全員が理解できるものになりそうです。中国経由の漢語の仏典よりも、スリランカに伝わった南伝の経典のほうがお釈迦様の説法をそのままに伝えていることがアナロジーとして使えそうです。
ある思想を和語に翻訳するのはたいへんそうですが、一冊ぐらいそういう本があってもよい。だれかそういう作業をしてくらる人が現れないかな。
21世紀の経済学を日本の伝統的価値観を公理に措定して展開するなら、漢語の使用を避けて和語を多用して書くべきなのかもしれません。全部を和語で書くのは不可能ですが…
これは考えないといけないな。なんだかとんでもないことになりそうです。
和語には一音一音に意味があるので、他の表音文字とはまったく様相が違います。
天照、天地、どちらも「あ」の音が使われています。
「ほつまつたゑ」の「ほ」はほんとうのこと、真実という意味で、「つ」は強調の意、「ま」はまことのこと。
神代文字であるヲシデを使っていた原大和人は思考の仕方がいまのわれわれとはまったく違っていたのでしょうね。
和語の世界に漢字が導入されたことで、日本の文化が多様性を獲得しましたが、それは反面、ユニークな文化の破壊でもあったようです。
斉藤隆が最近出した本で、そういうことを指摘していました。
慧眼です。「漢字と大和言葉の不幸な結婚」30ページにあります。
『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社、平成28年3月10日発行)
ところで、例の山本七兵の本、『私の中の日本軍』はいま読み掛けです。
人生は先が見えてきたようなのに、読みたい本の量は一向に減ってくれません。(笑)
by ebisu (2016-07-02 09:01)