朝からしずかに雪が舞い降りてくる、根室にはめずらしく風がない。冷え込んでいるので雪はさらさらふんわりしてやさしい。ところどころ凍っている上に「ふんわり乾いた雪」が乗っているから、小幅で歩こう。
 センター試験を受ける生徒が11時の汽車で受験会場のある釧路へ行くと言っていた。

 昨日、センター試験前の授業を終わった。一昨日(おとつい)は苦手の英語をやっていたが、昨日は得意科目の数学、最初の2時間は質問なし、よく集中していた。この3週間でやりきったセンターレベルの問題集2冊から難しかったものだけをピックアップ、5時間弱で5題質問があった。説明したら理解が前回までと違ってとっても速い、成長を感じた。わずか一月でも生徒の力は大きく伸びるものだ。こういうたしかな「手応え」がたまらない。
 この一月だけはやるだけのことをやった。一年前からこの努力ができたらと悔しい思いをしている高校三年生はすくなくないだろう。でも、大学へ入学してから、その分一生懸命に勉強すれば、それなりの収穫が得られることはebisuが請合おう。

 この生徒と、もう一人センター試験を受験する生徒がいる。半年前からセンターレベルの難易度の問題は独力で解けた。センターレベルよりも難易度が高くても独力で勉強できるように成長したので、3ヶ月ほど前に退塾した。これがニムオロ塾の理想型。中2の終わりに入塾した生徒だ。総合ABCでは170~190の間だったが、都立入試問題をやらせたらニムオロ塾で初めて数学90点台をたたき出した。入試の時には240点を超えていた。数学と物理がよくできる生徒で、英字新聞も乱暴ではあるが、本筋はだいたい読めていた。物理の定期テストは一度を除き1番だったのではないか。
 学習スタイルも性格もそれぞれ違う生徒を数年間預かる、今年も一年間いい仕事をしたい。

 高校生になったら予習中心の勉強に切り替える。予習中心ということは、習っていないところを自分で本を読み理解して、問題集を解くということ。これができるようになれば、大学生になっても社会人になっても、必要な専門科目についての勉強は独力でできる。

 生徒によって性格も、飲み込み速度も、勉強スタイルも異なるから、それぞれに応じた対応や教え方がある。しかし、目標とする最終型はこうだとはっきり伝えることにしている。塾の力を借りず、先生の力をも借りない、独力で学べる人間になるということ。育つ過程では学校も塾も頼りにしてよいが、目指すべき最終型を忘れてはならない。それができるようになれば、上場企業の学歴エリート(東大・一橋大)に学力の点で引けをとることはない。大学へ入学し、社会人となって十年かけて大きく成長すればいい。
 東京の子供たちは、小学校4年生から予習中心の勉強に切り替えて、1年先取りして勉強している者が少なくない。根室で成績がトップクラスの生徒たちは、都会のそうしたこともたちと大学入試で戦うことになる。社会人になってからも、都会で育った者たちと競争だ。負けるな根室っ子。

 それぞれの塾が、自分の信じる方針で塾を経営している。この根室に色が異なる塾がいくつかあることが理想だ。

<余談>
 「一昨日」はどう読むだろう?わたしの感覚では、根室では「おとつい」が多い気がする。「おととい」とも読むが、『大辞林』を引いたら、「おとつい」は西日本で使われているようだ。地方によって両方の読みの混在割合が違うだろう。コメント欄に書き込んでもらえたらうれしい。



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