林子平が1785年に製作した「三国通覧輿地路程全図」という地図がある。地図の上側が東、下側が西、左側が北、右側が南になっており、ユーラシア大陸の東辺部と日本列島を描いた地図である。北海道の形がだいぶ違っているが、朝鮮・中国・ロシア東辺縁部を土台にして日本列島を見ると、太平洋への出口を塞ぐたいへんに厄介な存在に見えてくる。
 根室印刷が2012年のカレンダーに複製しており、一葉いただいてニムオロ塾の壁にも張ってある。原図は「北地文化研究資料室蔵/根室市」となっている。

 林子平は江戸時代の人だが『海国兵談』という本を著している。地勢学上ロシアとの争いは避けられないから、それに備えて海防を固めるべきだというのである。
 海外の国から日本を守る必要を説いたので、松平定信に疎まれ、『海国兵談』『三国通覧図説』も共に寛政の改革で発禁処分となった。その際に、林子平がつくった版木も没収されるのだが、いくつか写本を作成して残してくれたのでいまに伝わっている。日本には絶対必要だと信じて、売れもしない本を出すために版木まで自分で作ってしまうのだから、林子平という人は桁外れの信念の人のようだ。

 この林子平の「三国通覧輿地路程全図」と同じ構図で佐渡市が地図をつくり市販している。
 「東アジア交流地図 1:6,000,000」 発行:佐渡市
            
 2010年3月 東京カートグラフィック製作

 昨日ある先生からこの地図をいただいた。林子平の地図に比べると北海道の形が崩れていないので見やすいし、大きいから迫力がある。227年の歳月の差がある地図を教室の壁に両方並べて張ってみると林子平の先見の明が伝わってくる

 根室市教委か千島歯舞連盟が佐渡市が市販している地図と林子平の地図、そして地図の中心を根室において半径500kmの円を地図にしたら面白そうだ。北方領土がすっぽりその円の中に入る。詳細な地図を印刷して三点セットあるいはばら売りで販売したらどうだろう。
 根室管内の小中学校へ配布して、児童・生徒たちに日本や根室および北方領土の地政学的な位置を知らしめたらいかが。
 230年前に林子平が『海国兵談』と『三国通覧図説』を書いて、ロシアの脅威を説いた理由が根室の子どもたちにもはっきりわかるだろう。
 ロシア、北朝鮮、韓国、中国にとって太平洋への出口を大きな弧を描いて覆い尽くしている日本列島はじつにウザイ存在で、それが日本列島の地政学的な位置なのである。


*林子平(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%AD%90%E5%B9%B3

*#1269 日本側に死亡者?中国漁船衝突事件映像流失:仕事は正直にやるのが一番: Nov. 5, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-05-1

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 お昼のテレビ番組に初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏が出演して、次の発言をしていた。
 ①接舷した後もみあって二人海に落ちて銛で突かれた
 ②ビデオは接舷後の後半部分がある、全面公開せよ
 彼はいい加減なことを言う人ではない。それなりに情報を確認しての発言のように思われる。
 「貧弱な「海防」まだわからぬか」というタイトルで産経ニュースに彼の主張が載っている。11月8日付けである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101108/plc1011080313002-n1.htm

≪思い起こせよ『海国兵談』≫

 尖閣沖の中国漁船衝突事件で、林子平(はやし・しへい)の『海国兵談(かいこくへいだん)』を思いだした。寛政3(1791)年に刊行された全16巻の「海防論」だ。

 列強によるアジア植民地化が進む中、鎖国政策で泰平の眠りに耽(ふけ)る幕府に、南下してくるロシアの脅威に備えて近代的な海軍と沿岸砲台の建設を強く説いた警世の書だったが、幕府はこれを発禁処分にし、林子平に閉門蟄居(ちっきょ)を命じ、失意のうちに彼は憤死する。

 だが、彼の「海防論」は尊皇攘夷(じょうい)の志士たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。やがて日本が日清・日露・第一次大戦と勝ち進み版図を広げるにつれ、「海防」は国防の基本政策となり、国境警備、沿岸警備、島嶼(とうしょ)防衛の海防思想は国民に浸透、旧海軍には海防艦という艦種も生まれた。

 それが敗戦で一変する。艦砲の射程から決まった3カイリという国家の不可侵権としての「領海」は兵器ハイテク化もあって軍事的意味を失い、12カイリプラス排他的経済水域200カイリの海底資源、漁業権という経済上の観念に変わった。

 あれだけ人口に膾炙(かいしゃ)した「海防思想」は失われ、軍事的には第七艦隊任せ、警察的には海上保安庁の任務となった。海防艦に取って代わったのは海保121隻の巡視船(他に巡視艇237隻)だ。軽武装、低速24ノットの弱体な沿岸警備隊で四方を海に囲まれた島国の全長3万5千キロの海岸線、43万平方キロの領海、447万平方キロの排他的経済水域を守ることとなった。・・・
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**#1325 「古地図2葉 三国通覧輿地路程図と全圖蝦夷改正」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02

 #1328 古地図(2) 三国通覧輿地路程図 Jan. 4, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-04-1

 #2260 東西の古地図に見る日本・北海道・千島:展示会 Apr. 10, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-10

 #2264 なぜ松前藩だけが地図をつくれなかったのか?
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15

  #1061 根高は前期中間テスト初日:久々に暖かい Jun. 7, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-06-07 

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 #660『北方領土とオホーツク人:地元考古学者(文学博士)の研究』
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20

 #205 『対談 弁天島発掘130年〈上〉』
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-17-1

 #207 『対談 弁天島発掘130年〈中〉』
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18
 
 #208 『対談 弁天島発掘130年〈下〉』
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-19



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 間宮林蔵との出遭いがおもしろい。間宮は伊能を焼き殺そうとしたが失敗する。伊能は間宮の目つきが気に入らない。十数年後にこの二人が協力して蝦夷地図を完成させるのだから、事実は物語よりも不思議だ


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