小・中・高と続けて塾生を見ることの多い私塾の教師が中学校の授業やブカツからギャップを感ずることの一つは、どういう社会人に育てあげるのかという視点の欠如です。
 中学校の先生たちは生徒が高校へ入学すればそれで自分たちの責任はおしまいと思っていませんか?
 生徒の生活時間の中で学校の授業とブカツの占める時間が圧倒的に大きい。そこできちんとシツケできたら、ほうっておいてもしっかりした社会人になります。自分たちの授業のやり方やブカツ指導のやり方がどういう社会人を創ることになるのかという視点から一度考えてみてほしいと思います。
 実に危ういことをやっていることに気がついていないようにわたしにはみえます。ブログ「情熱空間」のZAPPERさんが要点をまとめてくれていますから、お読みください。根室の中学校で教えているたくさんの先生たちにぜひ読んでもらいたいと願っています。
 根室の子どもたちの学力を上げると同時に、社会人になったときに必要なスキルを磨かせる配慮を、授業やブカツで指導していただきたい。欲張りなお願いであることは承知しています、それはそれだけあなたたちの仕事が生徒の人生に深く関わっているということを意味しています。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/
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2014年07月23日

それが「なぜいけない」のかを考えよう

あーあーあ、そんなことをやっていたら、学力を下げるばかりじゃなくって、子どもの生活習慣やものの考え方もまた、よからぬ方向へ強い強い力で誘導しちゃうよ。つまりは破壊だよ!というわけで、それが「なぜいけない」のかのプチ考察です。

「宿題は、好きなことを家でやりましょう」とする教師。
好きなことをやっておけば、嫌いなこと、苦手なことには触れなくてもいい。子ども達は、そう思っちゃうんですよ。苦手克服という体験から、どんどんどんどん遠ざかっちゃうって寸法です。まさしく、食べ物の好き嫌いを助長しているのと瓜二つなのに、こともあろうにそれを、積極的に助長しているってこと。それのどこが、教育的指導なんでしょうかね?加えて、その宿題とやらを提出させないとなると、子ども達は、宿題ってのはその程度の軽~いものって認識しちゃうんですよ。そしてそのことが、約束を守る、時間を守るという姿勢、それすらも破壊してしまっているってことなんですよ。

教科書を使わない、黒板を使わない、プリントで授業を進める教師。
子ども達はやがて確実に、教科書を軽視するようになります。教科書ばかりか、高い確率で参考書や問題集すらも使えなくなっちゃいますね。食べ物を運んでくる親鳥を見て、ピーピー鳴きながら口を開けて待つひな鳥の状態から、いつまで経っても脱することができない、つまりは依存姿勢を積極的に養成してしまっているということです。きっと、子ども達にとっては、「教科書とは、さほどの価値もないもの」と思えてくることでしょうね。「勉強とは、与えられたプリントを消化する行為のこと」との認識になり、いわゆる自立学習とか自学自習とか。それに、思いっきり逆行しているってことですよ。「調べなさい」などと言いながら教科書を取り上げるなどとは、それほどまでの愚考というものです。

黒板を使わない。ノートも取らせない。子ども達は、「書かないこと」が常識になってしまいます。必然的に「手を動かしながら考える」ことから、大きく大きく乖離してしまうことになり、学年が進み、メモを取ったり条件を書き込んだりして「まず、設問自体を的確に捉えること」ができなくなってしまうわけなんですね。どれほど大きな罪を撒き散らしてしまっていることなんですよ。そうした悪しき教育的指導が、一体どうやったなら《生きる力》とやらに結びつくのでしょうかね?

問題解決学習に傾倒する教師。
賢い子、塾などへ通っている子にとっては、鼻歌交じりでお茶の子さいさい。でも、学力的に劣る子には強烈なまでに劣等感を植えつけられるという、まさしく拷問、いや、いじめさながらの授業。しかも、教科書を使わない、黒板を使わない、とセット。前者の子には優越感を、後者の子には劣等感を与え続け、しかも肝心の問題演習は行わないって、「知識や技能が定着しなくとも、授業というものはその程度のもの」と子ども達が、これまた強烈に受け止めてしまうわけなんですね。

で、多かれ少なかれこうなるし、事実なっているわけです。「当てずっぽうでもいいから、発言をすればそれでいい」「本当はまるで考えちゃいないけれど、考えたふりをして当てずっぽうで答えればいいんだ」と、とてつもないほどの大矛盾!《自ら考える子》を育てますとしながら、考えない、場当たり的に当てずっぽうで答えればよしとすることを、これまた積極的に推奨しているわけですね。恐ろしいことに、問題解決学習に打ち込めば打ち込むほど、確実に子ども達の学力を、そして問題解決の思考プロセスもまた、思いっきり破壊しているってことです。

「家に帰って、家の人と一緒に練習しなさい」という教師。
自らの仕事、その価値を積極的に貶めているということに、なぜどうして気づかないのでしょうか?きっと子どもはこう思うことでしょう。「学校は、説明を受ける場で、勉強とは親と一緒にするべきもの」「先生とは、勉強を教えてくれる存在ではない」「私の勉強のことなんて、本当はどうでもいいって思っているんだ、先生は」と。そして、こうも思うことでしょうね。「家でやる子はやるし、やらない子はやらない」「それなのに、先生はどうしてそんな軽いことを言ってしまうのだろうか?」「もしかして、今習っている勉強の内容って、その程度の軽いものなの?」

「A君の家では、お母さんが一緒になって勉強を見てくれるけれど、Bさんの家は色々と複雑な問題があるらしくて、誰もBさんの勉強なんか見てくれないし、どうでもいいって思っているのに…」子ども達って、そうした部分にものすごく敏感だよ。家に丸投げって、それって、厳しい家庭環境下に置かれている子どもが不利なこと、重々知っていながらやっているんだよね?それの、どこが教育的な指導なわけなんですか?よく言われるところの《自己肯定感》にプラスに作用するなどとお思いなのか?

行動には、指示には、一つ一つ意味があるものであって、それはまた原因に対する結果であって、やがては良くも悪くもそれ相応の結果が出るということですよ。その指示は、何を意味していてどういった結果へと結びつくものなのか?その行為は、何を意味していてどういった結果へと結びつくものなのか?学校現場というものは、およそ《型》というものを軽視して小ばかにする傾向があるみたいですけれど、先人達が築いて下さった《型》の意味を、よくよく吟味していただきたいものだって思いますね。
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< ebisuの補足 >
  市街化地域のある中学校はプリント主体の授業をしているようです。生徒が数学と英語の分厚いプリントファイルをもっています。プリント1枚1枚は悪くないかもしれません。あの厚さを見るとプリント主体の授業であることはまぎれもありません。
 教えるほうには便利がよいのですが、あまり行き過ぎると、ノートをとるとか自分でまとめてサブノートをつくったりできない人間になってしまいます。先生が黒板に書いたことをノートに写して、要点を追加書き込みすることは有能な社会人となるための大事なトレーニングなのです。いやいや、社会人にならなくても、根室高校はプリント主体の授業はしていませんよ。先生たちは黒板にいっぱい説明を書きます。生徒たちはノートに写すのがたいへんです。板書されたことだけでなく、自分の理解用のコメントも補足しておかなければ役に立ちません。ノートをとることはけっこう頭を使っているのです。そして他人のノートはその人自身のためにコメントが書かれているので他の人には役に立たない場合もあります。
 今日も自分でノートをとれなかった高校生が、きれいに書かれた友人のノートを写していました。昨年数学と英語用の分厚いファイルを使って勉強していた中学校の生徒です。
 ノートをとるスキルで生徒を三つの累計に分類して見ます。
①一番問題なのは授業中に自分でノートをとることは無理と思い込んでいる生徒が一定の割合でいることです。3年間繰り返したことはしっかり習慣になっています。書くスピードが遅くて授業中に板書をノートに写すことができない生徒が2割くらい居るでしょう。筆書の速度を上げるトレーニングを小学校でたっぷりしておかないといけませんね。小学校で家庭学習習慣のなかった生徒のなかに筆書速度の極端に遅い生徒が多いことは事実です。トレーニングしていないのですから、できないのです。
②二番目に問題な生徒は、ノートをとっていたら授業を聴いていることができない生徒です。当然ことですが、板書を写すだけで授業内容は理解できません。話の文脈を追いながらノートをとる技術はけっこう高度なスキルがなければなしえません。話の文脈を追いかけることができずに、ひたすら板書を写すだけの生徒。
③三番目の類型の生徒はプリント主体の授業にも関わらず、先生の説明の文脈を追いながら適確なコメントをつけて板書を写すことのできる生徒です。このタイプの生徒は高校生になっても板書をきちんとノートに写しながら適確なコメントを付しています。もちろん授業内容もしっかり理解しています。

 プリント主体の授業を受け続けたら三番目のタイプの生徒がどれだけ居ると思いますか?1~2割ですよ。結果はこういうことになっているんですよ、中学校の先生たち、基本に忠実な授業を心がけることの大切さがわかりませんか?

 社会人になったら、上司に何か指示されたらメモをとるとか、会議に出席したら議論された内容をポイントを絞って書いておくとか、上司に何か教えてもらったらメモに落としておいて、あとでノートに詳しく説明をつけて書いてみるとか、こういうことが言われなくても自然にできなければならないのです。
 プリントばかりやらせて、板書が少なく、ノートをとるスキルを磨けなかった生徒は確実にダメ社会人になってしまいます。中学校の授業のやりかたは社会人となったときに大きな影響が出ているのですが、先生たちは彼ら彼女たちが社会人となったときの働く姿をみることがありません。だからどういう社会人になるのか想像してください。そういう姿を想像しながら、生徒が社会人となるはるか手前で自分の授業やブカツ指導がどうあるべきかをチェックしてみてください。反省すべき点がいくつも見つかるはずです。
 プリント全部がダメだとまではいいませんが、教科書主体で授業をし、黒板を使って説明して生徒にノートをとらせましょう。
 生徒に「教科書何ページをやっているの?」と訊ねるときょとんとして「???」「えーと、どこかな?」なんていうことがあります。「だって、教科書使ってないんだから・・・」これはC中学校の生徒です。市街化地域の3校がどこも似たようなものだったら、根室の中学校で勉強した生徒たちは社会人になる前に、根室高校普通科の授業でつまづきます。実際にそうなっているのですが、気がついている先生が中学校に何人おられますか?

 長時間のブカツが最悪の結果をもたらすことを書いておきます。工夫や座学(理論研究)のすくないブカツが多いようですが、中学3年間繰り返すと、習慣になってしまいます。社会人になってもスタイルは変わらず、工夫をせずに言われたことだけだらだらはじめてだらだら終わるというスタイルの仕事をします。仕事は短い時間で要領よくやるものです。昨年と同じ実務をやっているのはダメ社員ですよ。有能な者は実務のやり方を工夫して、昨年10時間かかった仕事を、2時間でずっと楽にできるような工夫をします。絶えず工夫をするわけです。そういう社員の居る会社は発展します。だらだら仕事する社員が多いと、その会社は業績が悪くなり、じきにつぶれてなくなります。
 週に1日は座学(理論研究)を取り入れましょう。それだけでもずっと違ってきます。昨年とまったく同じメニューでやっていたら、要注意です。やりかたに進歩がないということです。生徒がどんな社会人になるのかをイメージしながら、どのように指導すればいいのかつねに考えましょう。

 好きなブカツはやるが、本来一番大事なはずの勉強をしない。きらいな科目の勉強をやらない、こういう習慣のついた生徒は、社会人として不適格です。仕事は好き嫌いでするものではありません。好き嫌いに関わらずやるべきことはやらなければならないものです。つらいことでも我慢してやらなければならない。文武両道を心がけずに、好きなブカツだけをやっている生徒諸君は社会人になってからうんと苦労をしますよ。そういう人間をたくさん雇うような会社はすぐにつぶれるので、経営者はそういう人を雇いません。文武両道を貫いてこなかった人を正社員に雇うお人よしの中小企業主はほとんどいません。苦労して大きくした自分の会社がつぶれてしまいますからね。嫌いなことでも必要なことは嫌な顔をせずチャレンジする人材がほしいのです。ブカツ指導を通じてそういう人材を育てていますか?

<余談>
 C中学校の校長先生が「学校通信」でブカツをしている生徒たちに文武両道の道をなんどか具体的に説いているし、市街化地域のそれぞれの学校で、そうした努力をしはじめた先生が数人いることをebisuは承知しています。共通の生徒がいますから手応えを感じています、がんばり続けてください。
 また、A中学校では今年の春に中標津へ異動なさった教頭先生が教科担当教員と協同して授業の進捗管理に目覚しい成果を上げてくれました。主要五科目全部を1月末までに教科書を終了しています。根室市内では初めてのことです。C中学校がそれに続いています。根室の学校教育は学校の先生たちの努力で少しずつ変わりつつあります。保護者の皆さんはがんばっている先生たちに「ありがとう」と一声をかけてあげてください。一生懸命にやっても公務員ですからボーナスで報いられることはないのです。生徒や保護者からの感謝の一言がきっと励みになります。

 北海道教育委員会が3月に大谷翔平を起用したポスターを全道の中学校に配布しています。バットを構えた大谷翔平の背中に帯状に「文武両道」の四文字が大書きされています。

 大谷翔平君のポスターに言及した弊ブログ記事
*#2621 中3学力下位層の読み書き能力:大谷翔平「文武両道」 Mar. 18, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-18

ポスターの写真を道教委のホームページから転載した記事
 #2629 文武両道:日本一短い練習で甲子園目指す小山台高校 mar.23, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-23


*#749 フィールズ賞受賞数学者小平邦彦と藤原正彦の教育論  Oct. 4, 2009 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

*#2746 どんな社会人をつくるのかという視点はあるか? July 23, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-23

 #2756 偏差値55以上の大学受験生対象の塾はビジネスとして成立たぬ現実(根室)  Aug. 1, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-01-1

#2757 学力テスト階層別データ分析:偏差値や基本統計量が公表されない学力テストのバカバカしさ Aug. 3, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-03

 #2758 根室から現役東大合格は過去二人:その勉強スタイルに学べ Aug. 4, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-04



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