ブログ「情熱空間」が秋田県と釧路の授業の比較をしてくれています。これもそのまま根室にも当てはまります。低学力層の生徒達を見ていると、基礎・基本の繰り返しトレーニング不足が目立ちます。秋田県はそのあたりを授業にしっかり組み込んで教えています。授業を見直すための参考になります。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6921274.html
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2013年11月11日

澱んだ伏流水の中でのガラパゴス化

思うにこういったことなのでしょう。

秋田の小中学校の授業では学習塾の授業と大きく重なり、しかし北海道の小中学校の授業ではあまり重ならないものがある。それはずばり問題演習。まず、そう考えて間違いなさそうです。問題の解き方をああだこうだと子ども達に議論させる、いわゆる問題解決学習。我々に言わせたならそれは「学力破壊装置」になりますが、それを行ったとて、秋田や福井では学力の低下は認められないのでしょう。なぜなら、「それはそれ、問題演習は問題演習」との認識なのでしょうから。つまり、それ「だけ」をやる馬鹿(失礼!)などいない。問題演習の重要性を正しく認識してらっしゃる。日教組組織率(秋田・福井は極めて高い)についても同様なのでしょう。「それはそれ、学校教育のあり方・子どもの学力とはまったく別」と。

秋田の価値観。きちんと教えることは美徳。当然の価値観、当然の職業規範ですね。しかし北海道はこう。きちんと教えることは即ち、かつての詰め込み教育とイコール。それは問答無用に《悪》であって、子ども達を競争へと駆り立てる残忍な行為であって、子ども達の自主性の芽を摘む憎むべきもの。そうして、問題演習は驚くほど軽視され続けてきた。「勉強に関するしつけ」などは強要以外の何物でもなく、決してしてはいけないもの。しかし、これだけ深刻な学力低下が続いているので、「もしかしたら、何か根本からして間違っているのでは?」と思わないわけではない…。でも、それは触れてはいけない価値観。それに目を向けてしまったなら、自身が信じてき続けてきた《宗教》を捨ててしまわなければならないから。地面の下に、そうした澱んだ伏流が潜流していることを感じます。

秋田の高学力に対して、北海道の低学力。どうやら問題の核心は「授業」そのものにあり。そして、それを強烈に左右しているものは「思想」にあり「文化」にある。そういうことのようですね。一見、平面図において上から見る限りは同じ方向を向いているように思えるが、3次元のグラフにして横から見てみると、それぞれ上と下を目指して進んでいる。そう思ってしまいます。地理的にも独立した島であるので、そこでガラパゴス化が進んでしまったのだろうか。澱んだ伏流の中での悲しいガラパゴス化が…。伏流の浄化。洗脳の呪縛からの開放。しかしそれはなかなか難しい。被洗脳者には洗脳の自覚は無いわけだから。

《追記》
元教員、科学者のSさんにお寄せいただいたご意見です。

一流の教師の華やかな部分ばかり追い求めているようです。地味で地道で面倒な水面下の実践を見ようとしない。で、うまくいかないのは子どものせい、地域のせいにしている。それではいつまで経ってもよい授業、よい学級経営はできません

で、地味で地道で面倒な水面下の実践、それは授業とリンクした宿題が主なものですが、これを学校のシステムにしてしまうのがよいのです。三木さんのおっしゃるとおり、問題演習です。何度も繰り返して、しっかり定着するまでの問題演習。しっかり定着したかどうかの判別は、教師自身が採点しないと分かりません。それを強制してでもやるかどうかです。これは校長のリーダーシップの問題です。地教委で決めてしまってもよい

その部分をオーソドクスに決められたとおりにやれば、後は自由に実践してよいのです。問題解決学習もいいでしょうし、教え合い学習だっていい。基礎ができているからこそ、これらの授業は楽しくなり、華が生まれます。誰も反対なんかしませんって

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*#2509 (眼耳鼻舌身)意と仕事 Nov. 24, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-24

 #2093 教員の質向上はどうやる?⇒ "Educating educators" Sep. 25, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-25-1



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