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#2489 道教委のデータ分析:北海道では授業モドキが行われている Nov. 11, 2013 [69.H25全国学力テスト・データ分析]

 土曜日は中3の授業日だが、B中学校の生徒達は分厚い数学のプリントファイルをもっている。厚さ2cmを超えていそうだ。収めきれずに折りたたんで入っているのもある。
 古いものは外してA4サイズの袋にでも入れておけばいいのにと思う。授業はプリントばかりだから、低学力層の生徒達に訊いてみても教科書のどこをやっているのか説明できない。根室だけかと思っていたが、偏差値からは根室管内と兄弟のような釧路も同じ状態らしい。ブログ「情熱空間」が上手にまとめてレポートしてくれたので、そのまま転載したい。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6920949.html
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2013年11月11日

道教委のデータ分析(北海道では授業モドキが行われている)

授業モドキ。先のデータ、道教委の全国学力・学習状況調査結果(管内別)を見て驚きましたが、どうやら我が北海道には「授業」ではなくて「授業モドキ」が広く蔓延しているようです。

子ども達に、学校の授業ノートを見せてくれるように言うと、カバンの底からごっそりとグチャグチャになった大量のプリントが出てくる。私塾での日常風景ですね。それでいてノート検査なるものがあるらしく、そのご大層なプリントとやらを切った張ったしているかのチェックもあるとか。プリントの切り貼り、それがノート作りとでも言いたいのか?それは何の授業ですか?図画工作の授業なのでしょうか?

もう一点。今、学校で教科書の何ページを学習しているのかと尋ねると、驚くほど多くの子が答えられない。理由。教科書を用いて授業を進めていないから。中には、机の上に教科書を出すようにとの指示すらないとか。信じられない話ですが、現在では中学校のみならず小学校ですら、顕著にそうした様相を呈してきているようです。おまけに、宿題とやらの多くもまたプリント。それ自体は否定はしません。きちんと出した本人が回収し、責任を持って丸つけや添削指導をした上で返却するのならば。

そして、先日アップした意識調査。以上から総合判断して言えることを。


北海道の小中学校では、教科書を用いない形での、板書をしない形でのプリント学習が広く蔓延してしまっている。
宿題とは、教師個々人の匙加減で出されるものであって、丸つけもせよと家庭に丸投げの「学習指導への責任転嫁のツール」として悪用される場合が多い。
つまり北海道の小中学校現場においては行われているものは、「授業」ではなく「授業モドキ」、「宿題」ではなくて「宿題モドキ」であって、既にそれが広く普及してしまっている。
悪いことに、現場はそうしたことに無自覚のままでいる。
さらに数値から逃げる価値観が、触媒の役割を担う。
え、一体それの、何がどういけないんですか…?

説明























前年度までに、授業の冒頭で目標(めあて・ねらい)を生徒に示す活動を計画的に行った。
前年度までに、授業の最後学習したことを振り返る活動を計画的に行った。

行われているものが「授業」ではなく「授業モドキ」ならば、この意識の落差にも納得がいくというものです。

これまた蔓延する、積み残しとすっ飛ばしの問題。教科書を用いない、ノートも取らせない授業ならさもありなん。見事に符合しますね。なるほど、そういったことか…。問題の核心が見えてきました。教科書を用いない。だから教科書を使えない。簡単な内容ばかりにムダに時間を費やしては、プリントで端折ってごまかそうとする。やがてそれが普通のこととして定着してしまう。だからいつまで経っても授業が下手なまま。必然的に積み残しとすっ飛ばしが横行する。その延長線上に問題解決学習があって、だから最低最悪の学習指導に何らの疑問も抱かない。

一方、子ども達はこう。書かない。書くように訓練されていないから。手を動かさない。そうしないように仕向けられているから。結果、覚えないしできない。結果、書く習慣すら身につかない。手を動かしながら考える。それができない子の大量生産を続けている。そして現場は、「何が分からないのかが分からない」状態に陥ってしまっている。

道教委が次に示さなければならないのは「授業」でしょうか。現在、広く行われているところの「授業モドキ」の是正を図らなければならないものでしょう。しかし、一体いつからこうなってしまったのでしょうか。文科省(文部省)の言うことには、道教委の言うことには、問答無用で絶対反対。聞く耳をまったく持たず、自らを省みは絶対にしない連中。かつてその連中が北海道の教育界を牛耳っていたこと。そうした連中がある種の文化を築いてしまったこと。この点もまさしく符合しますね。

教科書を用い、それに沿って黒板で授業をし、子ども達にノートを取らせる。

それができない者は教師にあらず。私はそう思いますけれど。一日も早く、「授業」が広く行われることを切望します。秋田で行われているものは「授業」なのでしょうから。

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*#2509 (眼耳鼻舌身)意と仕事 Nov. 24, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-24

 #2093 教員の質向上はどうやる?⇒ "Educating educators" Sep. 25, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-25-1

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コメント 2

ZAPPER

引用、ありがとうございます。
授業モドキ、宿題モドキに加え、これまた失礼ながら「子ども達の学習内容の定着の具合の把握」もまたモドキなのだろうと思われます。

まず、プリントを用いた学習指導を小中学校から一掃すべきだと考えます。(計算・漢字演習は除く)授業において楽をしよう。その考えが根底にあって、だからドツボにはまっているのだろうと思います。

まともな学習指導とは、実に愚直で目立たずそして手間もかかるものです。でも、それが王道であって最短のルートなんです。柔道で喩えるなら、まずは受身から。いきなり巴投げをやろうとしても、そりゃ押さえ込まれて終わりですってば。^^
by ZAPPER (2013-11-12 16:46) 

ebisu

ZAPPERさん、ほんとうに夜kにていますね、釧路と根室。

まさか、あの分厚いプリント・ファイルが釧路と根室共通だったなんて、思っても見ませんでした。
ダメな授業をやっているからますます学力低下が進むのでしょう。謙虚に反省し、授業のやり方の改善を坦々と進めればいい。
教育は手間と暇を惜しんではダメ、効率なんかどうでもよろしい、愚直にやるのみ、それがいい。

by ebisu (2013-11-12 23:04) 

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