オリンピックで"申し訳ないという気持ちで一杯です"という言葉をよく耳にする。なかなかいい言葉だ。応援してくれた皆さんの期待に応えることができず申し訳ないということ。標題は平泳ぎ100m5位に終わった北島康介の弁であるが、同様の言葉を数人の選手が言っている。

 本番になるとがちがちになって普段の実力を出せなくなる者、あるいは萩野公介(高3、17歳)のように本番で自己記録を大幅に塗り替えてしまう者がいる。

 柔道の福見友子は気の毒だった。金メダルの期待に押しつぶされてしまった。ツイッターに書いた彼女の弁。
「応援して下さった皆さん、一緒に戦ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。 この気持ちなんだろう。とってもからっぽです。力、尽くしたんだな。 ありがとう、ありがとう、ありがとう」
「これがオリンピックだと思います」

 金メダルを期待され初戦で敗退した選手もいた。銀に終わった者も。
 韓国選手に一度は上げた旗を十秒ほどの協議で日本選手に上げなおした主審もいた。判定自体がおかしいとは思ったが、簡単に覆るのもいかがなものかと思う。主審がミジュクだということ。それ以上にルールに問題ありなのだろう。"国際化"を感じたのは、勝った選手が飛び上がってVサインをしたときだった。敗者に対する思いやりの心をもつのが日本武道に共通した精神である。憐憫の情とか惻隠の情という。そういう日本本来の精神が忘れられて技のみの競技と化したスポーツ柔道はつまらない。
 一番つまらない顔をしていたのは、競技を見守る役員団。過去に金メダルをとった者たちが居並んで現役選手にプレッシャーをかける姿はみったくない。もうすこし優しい顔をして試合を見守ることはできぬのか、敗者へのいたわりの精神が本家の日本役員団にみえないのが残念だ。
 極論を言うと、勝ち負けなんぞはどうでもいい、日本柔道は競技スポーツではないことを試合を通じて堂々と示せ。


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