ビザなし交流は12年目だろうか、コメントを寄せてくれた人は6回行ったという。いろいろ気づいたことを披露してくれている。

 今日の北海道新聞朝刊根室地域版には市内の中学生の弁論大会が載っている。大人を反映してか返還運動の現状への批判がない、いかにも根室のこどもらしい意見である。37回だから、37年間こうした意見が弁論大会で繰り返し述べられてきたのだ。大人も子供も薬にも毒にもならぬ意見ばかりでは北方領土返還運動は看板倒れとなりかねない、いやそうなっている。
 ビザなし交流の実態に係わる情報をブログへアップして、現状の過去60年間の返還運動批判の材料を提供しておきたい。物議をかもすくらいの批判や意見が堂々といえるような中学生が根室に現れることを期待したい。
(ニムオロ塾の生徒が過去、二人全国大会へ行っているが、一人は北方領土問題ではなく覚醒剤をとりあげていたが、もう一人のテーマは…)

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【根室】市内の中学生による第37回市少年弁論大会が15日、柏陵中で開かれ、北方領土問題の部は小野怜太君(柏陵中)が、自由課題の部は高杉美里さん(歯舞中3年)がそれぞれ優勝した。
しない7校から両部門にそれぞれ10人が参加し、5分の持ち時間でミスからの体験を下に主張を行った。小野君は元島民4世で、介護の仕事をしている母親が世話をする元島民から「島を離れるのがつらかった」と訴えられ経験を紹介しながら「僕たちに島を返してほしいとの気持ちがあるか」と問いかけ、感動を呼んだ。
 弁論には審査員の他、柏陵中の全校生徒が耳を傾け、2年生の土岐授樹君は「みんな中学生なのにしっかりした考えを持っていてすごいと思った」と話していた。(石川徹)
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以下、最近のコメント欄から、ビザなし交流へ参加した方のコメントとebisuのコメントを再録した。
 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14

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<ビザなし訪問の「住民対話集会」は最近では形骸化して来ているようです。小生が最後に択捉島に行ったのは2年半ほど前の夏でしたが、その時にはもう既に「日ロの子育て事情について」などとどうでも良いテーマに成っていました。最初に国後・択捉に行った時は、今から6年前の例の漁船銃撃事件の1週間後の事でした。その当時は国後でも択捉でもコースの中にやはり「住民対話集会」が位置付けられていて、結構日本側もストレートな意見を出していましたね。勿論それに対するロシア側の反応は「ここはロシアだが、皆さん仲良くしましょう!」的な当たり障りが無い内容でしたが・・・。
大体「住民対話集会」の会場は行政府の有る所の小学校が用いられます。日本側は70人前後の団員の殆どが出席、ロシア側は20~30人程度でしょうか。何回も行っていると、「住民対話集会」に出てくる”住民!?”が「あれっ、去年も見たな」(つまり常連? やらせ?)。
一度鈴木宗雄氏と同行したことが有りますが、彼が「住民対話集会」の席でかってモスクワに総理大臣(小渕?)に同行した際のロシア側との約束(いずれ島は日本に返還するつもり?)の話を声高に叫んでも「ニエット!」と相手は聞く耳を持ちません。フロアのロシア住民にとっては雲の上の話でしょうし、壇上のロシア行政府の責任者に取っては聞きたくない話なんでしょう。そんな雰囲気の中で、かって択捉島に住んでいて8月末に突然島を襲って来たロシア軍(ソ連軍)に家まで占領された元島民の方がその時の模様を冷静に語ったことが有ります。会場はしーん。その元島民は場を弁えていてロシアに対する”恨み・辛み”を一言も言いませんでした(さすが良くも悪しくも日本人)。それでもロシア側の住民は「大変なご苦労をされましたね」でチョン。後はお決まりの日ロ交流の合唱。日本側は「ふるさと」、ロシア側は「カチューシャ」(笑)。

その当時はこんな「住民対話集会」など訪問団のアリバイ作りの茶番のだと思っていましたが、今考えればそれでも未だ少しは意義が有ったのかも知れません。しかしその後ロシア側は次第に「ここはロシアだ。余所者の日本人にとやかく言われる筋合いは無い!」との考えが露骨に成って来たようです。確かにその頃はもうサハリンの油田が順調で、そのお裾分けが数百億円北方4島を潤い始めていましたので、「もう日本への帰属の必要性は無い」とロシア側も腹を括ったのかも知れません。

いずれにしても、今の日本は魚釣島の一件を見るまでもなく全く主体性がない(アメリカ追従)外交に終始しています。これではあの老獪なロシア政府に立ち向かえるわけが有りません。一日本人として悲しい現実ですね・・・。
by 通りすがり (2012-06-15 10:59) 


 その後、訪問団に対する現地行政府の態度(対応)が何故か急変したと聞き及んでいます。ビザなし訪問恒例の日本人のお墓参りの際にも責任者が墓標を引っこ抜き「こんな物日本に持って帰れと!」と地面に叩き付けたとか・・・。しかしその事が原因かは分かりませんが、かれはその後更迭されたと聞いています。とにかく現地(特に択捉)の行政府の責任者は結構変わります。その度に日本からのビザなし訪問団に接する態度に温度差を感じます。それは時のロシア政府の意向なのでしょうが。島のロシア住民たち個人は皆明るく親切な方ばかりですが、一旦背中に国旗を背負うと、やはり態度は厳しくなります。もう「住民対話集会」が開かれたとしても、その場で島の所有を巡っての真剣な論議などされないでしょう。それはロシア側の作戦であり、またそれを黙って受け入れ”朝貢外交”しか能が無い日本外務省の実態なのですから。
by 通りすがり (2012-06-15 11:24) 

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6年前と2年半前、そして今回サリーさんの訪問時の住民集会対話の実情、変わって行く様子が生々しく伝わってきます。

毎年市内の中学校では北方領土問題をテーマとして弁論大会が開催されていますが、こどもたちはこうしたビザなし交流の実情を知りません。

事実を知ることが大事です。何がどうなっているのか、日本の外務省は何を考え、どういう動きをしているのか。
千島歯舞居住者連盟とは何なのか、どういう役割を果たしているのか、そういうことを知らずに踊らされて、全国大会へと送り出されていく。

事実を知れば現実の返還運動批判が飛び出します。
それは「もちつもたれつ」で効果がまったくないことを承知しつつやっている振りをしている関係者にはまことに不都合なことです。

やるつもりなら本気で、やらないならくだらぬビザなし交流などやめてあきらめればいい。
本気でやるならMIRV開発の具体論があります。市議会で決議して全国に問題提起をすればいい。
by ebisu (2012-06-15 13:43) 

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 このブログを読んでいて、今ふと気が付いた事が有ります。計7回も国後や択捉に行っていた時には考えもしなかった事です。島を訪問してその夜島に泊まる場合に幾つかの方法が有ります。国後島の場合は「日ロ友好の家」(日本での俗称:ムネオハウス)に泊まれます。この建物はどちらかと言うと日本からの訪問者用に造られているようで、ビザなし訪問団以外にも日本からの文化交流の団員なども利用しています。またロシア側に拿捕された日本人漁船員なども一時的に収容されているようです。例の銃撃事件の湾中のS船長たちも小生たちが行く直前まで居たそうです。また何回目かの訪問の時に部屋に先客が居てバッティング。彼は拿捕された羅臼の船長でした。島に泊まらない場合は湾内に停泊しているロサルゴサでの船中泊です。一方択捉島の場合は1軒だけ小さなホテルが有りそこに泊まることは出来ますが、70人全員は無理な話ですので、一部は島の家庭に泊めて頂く事に成ります。その場合、大体が島の中流かそれ以上のクラスの家庭にステイすることに成ります。その多くは日本に呼ばれて旅行していたり日本の病院で治療を受けていたりする、つまり日本と少なからず縁があるような家庭のようです。その場合、小生の経験から言うと最悪なのが”言葉の壁”です。こちらは99.9%ロシア語が分かりません。一方の向こうは日本語は勿論英語も殆どの人間が分かりません。これは例えば幾ら英語が出来ない日本人でも白=white、黒=black、行く=go、来る=come、良い=good、悪い=badは何とか分かるのとは次元が違います。ロシア人の英語も日本人のロシア語もお互いに名詞、形容詞、動詞の殆どが分かりません。つまり全く会話にならないわけです。一応団員と相手方にはビザなし訪問団用に編集されたロシア語会話の小冊子が手渡されますが、あんなもの現場では殆ど役に立ちません。
えーっと「この料理は大変美味しいです」は? ページを捲り、「有った有った。オーチン・フクスナーだ」。すると相手も本を覗き込み「ドウイタシマシテ」(笑)。これではまともな会話に成りません。そこで訪問団に随行している日本人のロシア語通訳殿の出番に成ります。しかし通訳たちも手分けして各家庭を廻らなくてはならないので、1軒の家庭には精々30分位しか居られません。その通訳が居る時に聞きたいことや話したいことを貯めておいて”交流?”するわけですが、通訳の手前もあって「ここは元々日本だから返せ!」などとは言えませんよね。そして通訳が引き揚げた後にはお互いの間に気まずい沈黙がずっしりと圧し掛かります。そうなると万国共通の間の取り方は「では健康を祝して乾杯!」の連続。かくして慣れないウオッカをがぶ飲みしてダウン・・・これではロシア人の家庭に日本人を泊まらせても政府に都合が悪い話など出る筈も有りません。ロシア側がロシア人家庭への日本人のホームステイを認める訳です。
しかし、日中の訪問団の行動は”送り迎え”と言う名の下に島民が提供する車に分乗しての団体行動を強制され、実は監視されているようです。
さすが”ロシア”ですね(笑)。

お互いがこんな調子ですので、ロシア側も

by 通りすがり (2012-06-15 15:43) 

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 ステイしてもこちらがロシア語がわからないでは、領土問題など話しようもないというのはあたりまえすぎますね。
おっしゃるように、ホテルが足りなくてステイさせてもらっているのに、相手を不愉快にさせるような話しはロシア語ができても礼儀上言わないのが日本人の感覚です。

そこでウォッカで乾杯の繰り返しですか。

本題とは関係のない住民対話集会の最後を日本人が「ふるさと」を歌い、ロシア人が「カチューシャ」を歌って締めくくる。
同行した1割の引揚者、あるいはその子・孫・配偶者がどういう気持ちで「ふるさと」を歌ったのか。

そんなに惨めな思いをしても、ふるさとの地を踏みたい心が哀れです。
by ebisu (2012-06-16 01:31) 
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 ebisuは想像してみる。団塊世代が中学生のとき、この根室にソ連軍の第2次侵攻があったとしたら、思春期なら生き延びるつもりがなかっただろうな、数人の友人を誘ってゲリラ線に身を投じただろう。
 万やむを得ず脱出して生き延び還暦を迎えたとしたら、やはり根室の地を踏みたいと思うのだろう。ふるさとがそこで生まれ育った人をひきつける力は強い。


*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組み立て・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07

 #465「"Japan sent uranium to U.S. in secret"は北方領土返還運動の好機か?」
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  #1401「ロシアがフランスから新型軍艦を購入し北方領土へ配備、対抗措置はあるか」
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-1

 #1892 映画「マーガレット・サッチャー」と北方領土 Apr. 6, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-04-06

 #1965 ビザなし交流=通過型観光旅行? June 8, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08

 #1969 北方領土問題コメント(欄)対話(1): ビザなし交流の虚実  June 11, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-11

 #1973 ビザなし交流in択捉島 住民交流会:もちつもたれつ  June 14, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14



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