前期中間テストが先週(6/8)終わり、学校祭イベント準備期間がスタートした。これから約4週間、クラスごとに企画を練り、出し物を決め練習に励む。どのクラスも夜7時まで準備作業やら踊りの練習に一生懸命だ。学校際が終わると続けて球技大会だったかな。
 結局、8月9・10・11日の金比羅さんのお祭りが終わるまで勉強モードに切り換えられない生徒が大半。
 前期中間テストで勉強に熱が入ったのだからそのまま夏休みが終わるまで勉強モードで走りきったら、秋にはよほど学力が上がるが、根室のこどもたちの大半は学校行事に足を引っ張られて学力を伸ばせない。

【全国一涼しい夏を勉強に生かせ】
 根室の夏は全国一涼しい、涼しいどころか寒くて夏でも夜はストーブが必要な日が多い。最低気温が13度くらいになるから夜は寒いのである。
 その日本一涼しくて勉強に適した季節の2ヶ月間を根室高校生の大半がお祭りモードで過ごしてしまう。なんともったいないことだ。

【学校行事の昔と今】
 団塊世代の私が高校生のときには学校祭にこんなに長期間かけた記憶がない。おおよそ半分だっただろう。クラス対抗でやるうちに度が過ぎてしまっているのではないか。せっかくの涼しい夏を勉強に活かしきれない根室の高校生の姿が浮かび上がる。

 小学校の運動会準備にもずいぶん授業時間を潰している、中学校の体育祭や学校祭も同様だ。小中高とそろって根室の学校はイベント準備に時間をたくさんかけて授業時間をうんと潰している。

【準備作業は短時間で効率よくとシツケよう】
 イベント準備期間は半分を目安にカットして本来の授業に重点をシフトすることはできないだろうか?短期間で準備すること事態が重要な教育だ。だらだら準備をするのは教育上よくない。時間が制限された中でどういう工夫をして期限に間に合わせるかというのは社会人となってからもだいじなことだ。短期間で準備作業を完了させるというトレーニングを、小学校の運動会で、次いで中学校の体育祭や学校祭で、そして仕上げに高校の学校祭で体験すれば、そうすることが当然となり、自然に効率的な準備をする人間に自分を鍛え上げてしまっている。

【仕事の能力差は準備作業に出る】
 仕事のできない者は、同じ準備をするにも人の2倍3倍もかかってしまうものだ。
  小中高のイベント準備作業を観察していると時間の掛け方の異常さに、仕事の能力を疑いたくなる。一事が万事で、授業にもそういう弊害がでていないか心配になる。数学や英語の授業速度が遅く、積み残しや内容のすっ飛ばしをやる先生が多いのは、仕事の自己管理能力水準の低さを現してはいないか?
 先生たち自身が仕事の進捗管理をコントロールするシツケをされていないことが気になる。民間会社なら新入社員の3年間ぐらいは上司にしっかりしつけられる。期限を守らない仕事、ナカミをすっ飛ばす仕事は、その都度お説教の対象となり、ボーナスできびしい査定の洗礼を受ける。もちろん昇格にも差し支える。三年間は仕事を覚える期間で、その間は上司の命令は"絶対"であり、そうすることで報告・連絡・相談のしかたが内容ばかりでなくタイミングも含めて身についていく。民間会社の管理システムはそういうふうにできている。これがきちんと身についていないと客先でトラブルを起こすし、社内でも仕事のトラブルメーカーとなってしまう。
 学校にそうした人事管理システムのないことが一番問題である。これではスケジュールをきちんと守って仕事のできる先生たちがなかなか育つはずがない。新卒教員を手をかけてシツケずに放置し、そしていつか「ベテラン?」教員となる、学校は世間と隔絶した不思議な空間にみえる。
 そうして考えてみると、フリー授業参観というのは一般社会・地域社会に学校を開くことになるので、そこから新鮮な風がはいる可能性がある。学校の先生たちは孤立していないで、地域社会と対話する機会をもつべきだ。一般社会がどのようなルールで動いているのか知れば授業はかわるだろうし、放課後補習の重要性(=仕事に対する責任のまっとう)も素直に理解できるはずだ。

【非常識な点に気づき改めよう】
 根室市内の学校は学校行事に時間をかけすぎで、転勤族の目から見たら"異常"にみえている。根室高校を卒業して35年間東京暮らしをして10年前にもどったわたしも"異常"だと感じる。
 ねむろっ子は異邦人の目でいろんなことを見る必要があるのではないか?根室の常識が全国的に見ると非常識である場合があるのだということを認めよう。14支庁管内最低レベルにある根室市内のこどもたちの学力向上のタネはこういうところにもある。


にほんブログ村