昨日(5/22)に啓雲中学校が、そして今朝5時集合で柏陵中学校が修学旅行に出発した。来週火曜日には光洋中学校が修学旅行にいく。

 去年、「釧路の教育を考える会」例会が5月22日(日曜日)にあった。メンバーと遅くまでお酒に付き合って駅前のホテルに泊まって月曜日の朝のことである。ホテルの最上階で女房と食事をしていたら、光洋中学生が修学旅行で釧路駅から特急に乗り換えるところを「目撃」した。たしか海星中学校の13人も同じ特急に乗ったのではなかったか。

 ラフティングが楽しいとは大方の生徒の評価だが、今年の3年生に一人「髪がぬれるからいやだ」というのがいた。さて、どうだろうか。もどってきてから感想を聞くのが楽しみだ。
 川下りで船をひっくり返して水の中に落としてくれるらしいが、もちろん救命胴衣はつけているから命に別条はない。でも水はけっこう冷たいだろうし、プールと違って川底には岩があったり水の流れの強いところがあったりとアブナイ。少しアブナイ方が遊びは楽しいものだ。
 アブナイ遊びの中から学ぶことは多い。私たち団塊世代では流氷乗りがそれだっただろう。当時は石の突堤があったり、砂浜があって流氷で遊ぶ場所が一杯あった。いまは岸壁だらけで海に下りるところのなくなった海岸はそうした学びの場をこどもたちから奪ってしまった。港の中を全部岸壁にしてしまうというバカな政策を続けた結果である。こどもたちにとっては遊び場がなくなり面白くもなんともない町になった。自然が一杯でも人間と自然が触れ合える境界域は案外狭いものだ。いまでは流氷に乗った経験のある小中学生は一人もいない。危険な遊びをしなかったことで大人になってから危険にはまって転落する大人が増えているのだろう。地元経済界の自己改革の否定はそういう危険に対す感受性の衰えの表出であるかもしれぬ。ラフティングのような疑似体験ではだいじなものが身につかぬ。ほんとうに命がけの遊びを経験することでしか身につかぬものがあるのだ。

 どこまでが危険でどこまでが安全か、経験と勘がなければ判断できないものだ。ラフティングは疑似体験としてそういう経験をさせてくれるので中学生は無意識にそれを望んでいるともいえる。生き延びるためにはそうしたセンスがだいじだ。

 生徒たちが心配していた中山峠の道路封鎖が今日お昼に解除された。留寿都へむかう途中に中山峠を通る。中山峠は先日の集中豪雨で崩れた土砂で道路が埋まっていた。当分ダメだという話だったが、案外復旧が早かった。


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