ふるさとに戻って塾を始めて7年、いや8年だろうか、最初の生徒が数年前に「先生、道医療大へ合格したよ、大学院まで行くからね」と元気にそう言っていた。中2で入ってきた最初の生徒だった。
 中1の最初の生徒が昨年二人看護専門学校へ進学した。夏には薬科大へ進学した生徒が顔を見せに来てくれた。そして先月またひとり推薦で道内の看護学校への進学が決まった。小さな私塾で、一クラス10人以下だから塾を巣立っていった生徒の人数はそう多くないが、医療関係への進学が数名いた。

 誰かが戻ってくるかもしれない、そのときに市立根室病院が夢をもって働ける健全な経営の病院であってほしい、「地域医療改革の烽火」はそういう願いもあってのことだ
 根室市が夕張市のようになったら、市立病院はなくなる。毎年10億円(昨年度は11.7億円、年々増え続けている)を超える赤字では経営がいつ行き詰るか不安があって当然である。就職したはいいが、数年で市立病院ではなくなり診療所になれば、職員の80%は職を失い残った人も給料は4割カットだろう。そのような経営不安定な病院で若い人が夢を抱いて働けるだろうか?
 
看護師さん集めに必至になるよりも、経営の建て直しを先にすべきなのだが、そちらの努力はさっぱりなされない。事務長も院長もそろって経営能力がないのだろう。医師はその技倆が確かなら、それだけでも十分だ。両方兼ね備えた医師なんてそうそう見つかるものではない。

 医師が集まらないことばかりが注目されているが、上述のような理由で若い看護師さんも集まらない。
 医療もサービス業の一つである。根室に限ったことではない、市立病院は釧路もあまり評判がよろしくない。「接客態度」はどうあるべきか、何かトレーニングはなされているのだろうか?閉院した釧路医師会病院のそれは優れていた。市立病院から転職してきた看護師さんはカルチャーショックを味わうことになる。A院長の経営方針が徹底していたから、釧路根室管内ではCSが一番だったかもしれない。
 医療サービスの技術と質の向上に不断に努力する中からしか、夢や希望や働き甲斐は生まれてこない若い看護師さんの採用が困難な中で、定年を迎える看護師の大量退職が近づいている。看護師さんの採用問題一つとっても根室の医療は瀬戸際に来ている

 一部の患者や付き添いの家族のマナーが悪く、医師側にも不満はあるだろうが、患者側にも提供される医療の質に関する不満をよく耳にする。
 医師がよく変るが、治療方針がまったく変り、以前の治療を否定されると、その先生の治療も次の先生が来たら・・・同じことではないかと患者は現在進行中の治療方針が不安になる。誤診はどこにでもあるが、親戚・知人に実際に起こった実例をよく耳にする。
 家族が亡くなったが、主治医が不在で他の医師が説明をしたという話も聞く。その後も主治医による説明はなかった、病院はいったいどうなっているのだろう。昔はこんなことはなかったのではないだろうか。

 医療事故に関する裁判も起きている。これも以前はなかったことだ。病院の医療事故管理はどのようになされているのだろう。そして事故の後の再発防止策はどのようにとられたのだろう、そういう疑問をもつ市民もいる
 病院はそういう情報を市民へアナウンスすることがない。情報はほとんど出てこない。いったいどのような方針で院長は病院を運営しているのだろう。疑問は次々わいてくるが、病院側からは一切説明がなされない。

 先日、北大医局関係者と思われる人からコメントがあった。小児科の夜間特別診療をやめたいが、その意向は市民へ伝わっていますかというものだった。病院からそういうことを聞いた人はいるだろうか?いたら、日時と説明者を特定してコメント欄へ書き込んで欲しい。病院側が情報公開に努力しているのなら、それはそれとして評価したいが、ないだろう。
 私は病院側が積極的に情報を公開して、患者や市民とコミュニケーションする場が必要だと思っている。院長にも事務長にも市長にもそういう姿勢がまったくみられない。嘘と偽りの「改善プラン」があるのみだ。
 それにしても、市の予算を使って飲み食い主体の活動をしている「医信伝心ネットワーク」って存在理由があるのだろうか。北大医局の要請の受け皿にはなりそうもない次元の違う活動だ。

 病院の経営状況に関しては、「広報ねむろ」では黒字だという説明がグラフと共に載っているが、その一方で根室新聞も北海道新聞も赤字だと報道している。先日も北海道新聞に2009年度11.7億円の赤字だという記事が載っていた。いったい、何が本当のことなのだろうというのが市民の実感だろう。

 医療と経営の両方のから、できるだけ具体的に語っていこうと思う。このままではジリ貧で、経営破綻を迎えることになるというのが私の結論である。なんとしてもそうした事態を防ぎたい。

 「広報ねむろ10月号」が昨日配られた。「市長就任2期目に向けて」と題して市長が所信を述べている。一部抜粋しよう。

私は今、お互いに胸襟を開いて話し合い、そして一つの目的に向かって「一丸になる」という気運が、市中でたいへんに高まってきていると感じており、まことに心強く思っています」

 病院建て替えでは一度も市民説明会を開くことのなかった市長の言とは思えない。市議3名から市民説明会開催要求が出るなどとは、この原稿を書いた時点では予想だにしなかったのだろう。折悪しくこのような所信を表明してしまっては、市民説明会を開かざるをえまい。自分の首を絞めた。
 高まりはじめたのは病院建て替え事業の乱暴な進め方に対する市民や市議からの批判だ、あなたと「一つの目的に向かって一丸になる」(?)誰がだ、勘違いしてもらっては困る
 病院建て替え市民整備委員会への説明で市民への説明が済んだ、「これ以上説明するつもりはない」と市議会で市長が答弁したのは今年のことだ
 「胸襟を開いて」だって、絵に描いたような白々しさが広がっていく。自己中心で、反対意見に耳を傾ける度量もなく、バランス感覚も大局感もない。こんな低劣な市長に信頼を寄せる市民が何人いるのだろう?寄ってくる者は、私的利害で結びつくか、お互いにそれぞれの団体運営を恣意的にやって行こうという者がほとんどではないのか。

 なぜ、こういう昂揚した所信を書いたのか分析してみるのも一興である。「根室まちとくらしネットワークフォーラム*」の座長が挨拶に行ったからかもしれない。地元の若手経済人を主体とする強力な翼賛機関ができたとほくそ笑んだのだろう。お互いに旨味のある連携だ。
 とにかく、そういう喜びと自信がこういう所信表明となったのだとしたら、よほどおめでたい人だ。2度の無投票当選を果たした上に、またひとつ支援団体が立ち上がったのだから、うれしくてうれしくて舞い上がってしまったのだろう。
 ピークをすぎれば後は下り坂、いろんなことが不都合な方へと転び始める。市民の信任のない市長にはいろんなことが弱り目に祟り目となりそうな気配が漂ってきた。
 普通の神経なら市民の信任を受けていないことを憂えるはずだが、この人はそういうバランス感覚や大局観をもち合わせていない。戦略なき、行き当たりばったり人。事務長も院長も同じ種族では地域医療がもたない。

 このシリーズは思いつくままに書き連ねるつもりである。まとまりのないものになれば、あとでしっかりまとめることになる。今回は総論のみ、個別具体論は追々展開されるのだろう。まあ、じっくりお付き合いいただきたい。ゆるゆると書くことになるだろうから。


*「根室まちとくらしネットワークフォーラム」
 お誘いを受けたメンバーはわけが分からないだろうが、十分な理由があって、座長が市政批判をするわけがないのである。私益をあれこれ考え、妙案だと勘違いしてNMKNFは市政翼賛機関として立ち上げられたのだろう。生き残り戦略のつもりだったのかもしれない。もちつもたれつ、典型的な根室の旧弊がここにもある
 やることが幼すぎ、その余りに単純な構図に私は笑ってしまった。意図が見え過ぎで恥ずかしい。こういう手合いが根室の町を衰退させてきたと断言してよい。根室の言葉では「こすっからいやつ」という。「みったくなし」とも云うぞ。
 以前このフォーラムに言及したときに、根拠を書けとお二人の方からお叱りのコメントをいただいたが、いずれ新聞公表事実を書く時が来るのかな、とここまで書けば賢明なメンバーは気がついただろう。
 問題は事実を知った後にどのように動くかだ。それぞれ商売上のつながりは多少なりともあるだろうが、根室市民として公益を優先して考え、まっとうな意見表明に努力してもらいたい。
 私なんかよりも地元経済人こそ、その発言に勇気が要る。まかり間違えば商売上の嫌がらせがある。いい役人もいるが、役所とは基本的にそういうところだ。たてつくものには嫌がらせをする。嫌がらせのためならいろんな屁理屈を動員する。そうした実例を最近耳にした。いやごく最近目でも見た。どの部署の、だれがとはいわないが、下から上まで同じである。
 多少の不利益を覚悟で、自分の子供に恥じない行動をし、勇気をもって正論を貫く。オヤジは背中で語らねばならない。
 座長はやっていることの幼さから見てとても大人には見えないから、そういうことをも考えながらメンバー選びをしたのではあるまい。そこまで人が悪いとは思っていないよ。
 根室人は何をしていても付き合ってみると存外人がいいものだ。市民説明会開催要求に対してしっかりした意見表明をすれば、その勇気には敬意を払おうではないか。
 ピンチはチャンスとも云うだろう。臨機応変に対応できなきゃ生き残れないぞ。チャンスだ!思い切って舵を切れ、さあ、考え直して覚悟を決めて一緒に戦おうぜ。

 根室の町が財政破綻したら一番困るのは誰だろう?市職員だけではないぞ、取引業者もダメージを受ける。なんらかの契約関係にあり、市からお金が出ていれば、それらはほとんどが切り捨てになる。
 市長のいうことに何でもイエスと云っていれば旨味があった時代はとっくに過ぎ去った。頭を切り換えろ、バランス感覚、大局観、臨機応変、どれも経営には大事なものだ。どれを欠いても企業の存続は危うい。幼い社長のままでは社員が企業の将来に不安をもつ。
 大人の企業人へ成長するチャンスだ。「共育」が君らのモットーではなかったのか?云うだけでなく実践して、幼児性を払拭してみせろ。見事にできたらebisuが褒めてやろう。



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