病院建て替えに関する問題を6年にわたってフォローして気がついたことがある。病院建設特別委の議事録を読んでなるほどと思った。

 一部に教育熱心な親はなお健在である。だが、全国学力テストの結果や騒がしくて先生の声すら聞こえない授業のクラスが中学校で増えていること、家庭学習習慣のない子供たちの割合が近年急増していることなどを総合的に考えると、子供を躾けれらない親が増えているのは事実だろう。
 小学校低学年で自分の子供に家庭学習習慣を躾けられない親が根室で増えているのである。学力が低下するはずだ。そして就学前の躾もその後の成長に重要性をもっている。たとえば他人の家に行ったらその家の両親に元気に挨拶をする、帰るときにも挨拶する。昔は畳だったからきちんと手をついて「こんにちは」「おじゃましました」、「さようなら」と挨拶させたし、そういう礼儀正しい子供が2割はいた。大人もそういう子供をほめた。きちんと挨拶すると気持ちの好いものである。
 ニムオロ塾では入退出のときはしっかり挨拶することになっている。黙って入ってきて黙って出て行く生徒はいない。しつけは「押し付け」である。理屈も何もない、やるべきことだからやれ、人として当たり前のことだ。
 学力低下の原因は家庭の躾にだけあるのではない。学習指導要領偏重の授業や行事が多すぎ、補習をしない学校教育にも問題がある、それもたしかなことだ。

 病院建設特別委の議事録を読んでわかったことは、ひとつは議論をリードしていたのは一番数の多いはずの保守系議員ではなく、勉強熱心にみえる党派の古い議員だった。病院建設地の候補に成央小学校を挙げた途端に、教育委員会の所管だと議論を封じている。先入見なしに議論すべき委員会で議論自体を封じ込める、それに対して何もいわない他の議員・・・
 仕事には責任が伴う。肝心なことを議論しないならそれは委員会ではなくて座談会である。道庁からの出向組みが根室の将来を考えて発言しているのに、根室で生まれ育った市議たちが根室の将来を考えているようには見えない。つい、きつい言葉で発言してしまったのを咎められて、出向組みはこう言っている。「病院に命を懸けているものですから…」、悲痛な叫びと言うしかない。
 老人医療の砦である療養病床について議論が封じられてしまった経緯についてはまだ最後まで議事録を読んでいない。H15年から病院建設準備室長が資料で提案していた。

  もっとありていに言うと、やるべき課題や仕事に対して持ち合わせている能力が足りない。だから、6年間かけて議論しても病院建て替えのポイントすらわからない。ましてや、根室市の老人医療がどうあるべきかなんてビジョンはもてるはずがない。何年議論して夢無駄だ。建て替えのポイントすらつかめやしない。
 議論は既存の機能のまま、ただ建て替えることに終始した。6年間あれば相当頭が悪くても努力次第で必要な専門知識は得られるし、ビジョンだって知っている人に聞きながら、自分なりの考えを膨らますことができるだろう。しかしそれすらできなかった。
 特別委のメンバーだけが能力がないわけではない。かれらは普通の根室の市議だ。
 今回の選挙で初当選した市議たちは大丈夫だろうか。確かな見識をもっているだろうか?怪しい雲行きになってきた。市議会は新市議を含めて一人の反対もなく「全会一致」で2度目の基本設計2900万円の補正予算を通してしまった。

 こうしてみてくると小中学生の学力低下の問題だけが孤立して存在いるのではない。市議をはじめとする私たち大人の知的レベルが下がっている。根室の将来ビジョンを描こうにも必要な知識もビジョンも議論できないほどに劣化している。もちろん、そうではない市民も多くいるだろう、しかしそういう人々は冷めてみているし、市議にも立候補はしない。あきらめている。

 もう一度整理してみよう。子供たちの学力低下は、学校入学前に子供を甘やかして育て、学校入学後も家庭学習習慣を躾けられない親が増えていることに原因の一端がある。繰り返すが、分数や小数の計算ができない子供たちが半数近くもいるのに学校が補習をしないことも原因の一つに数えられる。
 しかし、議事録を読んで頭に浮かんだのは、市議会議員ばかりでなく、根室の大人たちが劣化しているのではないかという疑問だ。小中学生の学力低下が著しい(全国一斉学力テストによれば、全道14市長管内で最低)のは、根室の大人たちが劣化していることの反映ではないのか?

 根室の子供たちは大人に囲まれて育っている。わたしたちがしっかりしなければ、根室の子供たちの学力を上げることはできない。

 そういう意味では、病院問題もおろそかにはできない。どこかで根室の子供たちの学力低下につながっている。

 子供の躾は厳しくしよう。とくに幼児期と学校入学後の3年間がすべてを決めているように見える。
 学力は高校を卒業して根室を離れた子供たちが都会で戦っていくための武器の一つである。
 大卒の学歴がないと大企業のほとんどが入社試験さえ受けさせてくれない現実がある。門前払いの現実がある。
 地方から都会へ出て働く子供たちは最初からハンデがある。自宅から通勤できないからだ。住むところも、食費も自前だ。そのうえ学歴で大きな差ができては辛すぎる。
 親から子へ、そしてさらにその子供へと格差が固定化してしまう。

 躾に厳しい、教育熱心な親たちをもっともっと増やそう。私たち大人がもっともっとしっかりしようではないか。
 具体的なやりようはいくらでもある。根室で生まれ根室で育ったわたしたちがその責任を果たそうではないか。