サイクリング3 根室半島横断

 小雨がぱらついたあと、曇りへ戻ったので、午前中に走ってきた。コースは、太平洋を右に見ながら納沙布線を友尻まで(7㌔)行き、牧の内へ左折し草原の海の根室半島を横断(7㌔)しオホーツク海へ抜け、海岸通りを走って戻る。
 根室高校前の坂を下ると友尻までは6キロの直線道である。左は昔の水源地ナンブトウが広がる、右は太平洋だがところどころ海岸線が浮き上がるが霧でほとんど見えない。原野側には牧場が一軒廃屋となって朽ちかけており、海側の草むらではしきりに「ジッチ」が鳴いている。
 ときどき右側を車が通過するが、広めの路肩を走っているので危険はない。ダンプが100㌔近いスピードで通過するとさすがに風圧で身体が引っ張られる。
 友尻の集落近くに来た。右折すれば旧道に入る。その先の友尻港はコンクリートで護岸工事がなされて立派になっており、昔の面影はない。港へは行かずにバイパス新道の長い坂を登る。
 友尻の坂は昔は坂下のところで直角に折れ曲がっていた。いまも旧道として残っているが、歯舞や納沙布へ行く車は新道を通り、旧道は通らない。その見通しの悪い旧道の坂下で高校の同級生がお盆の初日にバイクに乗って事故に遭い、わずか3日で逝った。
 あれは高校を卒業した年だった。小柄で笑顔を絶やさないいい奴だった。「悪友の同級生」数人であいつの住むアパートの2階の部屋で朝まで飲んだときに、したたかに酔った彼は一升瓶を抱えて、「あとは俺が飲む、残しておけ」と言い張り瓶を離さなかった。楽しい酒飲みだった。三ヵ月半の社会人生活を楽しんで逝ってしまった。皆に「ひろぼー」と呼ばれていた。
 いまは広い新道ができて緩やかで長い下りカーブになっている。この道ができてからはあんな悲しい死亡事故はあるまいと、昔日を思い出しながら1㌔ほどの緩やかな上り坂を登りつめる。
  坂の上から見ると太平洋は霧の彼方にあり、反対側は見渡す限り草地が広がる。ここからはオホーツク海まで牧場が続く。坂を上がったところに日本最東端のゴルフ場がある。
 景色を眺めながら、ゴルフ発祥の地セントアンドリュースも似たような気候だろうかと想像する。スコットランドだから緯度はだいぶ北のはずだが、暖流の影響で気候は似たようなものだろう。一度誘われたことがあった。スコットランド製の染色体画像解析装置を買ったあと、ある会社に商談持ち込めば確実に1億円の取引がまとまるだろうと教えてやったことがある。別途決定的な条件も付け加え、必ず買うから値引きはするなと言い添えた。ほどなく商談が成立し、営業マンは私をセントアンドリュースに招待するという。ゴルフの好きな人だったから、わたしが大喜びすると思ったのだろう。あいにく私にはゴルフに興味がなくお断りした。千葉テツヤのゴルフ漫画にセントアンドリュースが紹介されていたことがあったので、興味のないわたしもセントアンドリュースがゴルフ発祥の地であることを知っていた。そのセントアンドリュースニに一番環境が似ているだろうこのゴルフ場の芝は初夏で刈られて青々としている。

 ゴルフ場近くに立派な家が建っていた。家に入る道路に背の高い草が生えていたので、空き家だろう。もったいない。この家が東京にあったら2億円を超える豪邸だろうななどと、低俗な計算が頭をかすめた。震度7の地震でもびくともしないような造りに見える。
 さらに走ると、左手に牛が300頭以上放し飼いにされていた。道路近くにいる牛だけ数えてみたが50頭を超えている。
 牧の内を通り過ぎてしばらくいくと、オホーツク海に出た。霧はまったくないが、風が強い。向かい風だ。20年ほど前に太平洋側を回り納沙布岬を通過した途端に強いアゲインストの風、下り坂でもペダルとこがないと前に進まない、オホーツク海側の向かい風に閉口した経験がある。秋だったので冷たい風で身体は冷えるし、疲れるし参ったことがある。太平洋側の道路と距離は同じくらいなのに、3倍にも感じた。あのときは硬い皮のサドルのロードレーサーだったので尻が痛かった。
 アゲインストの風だが距離は6キロほどしかないので無理をせずに速度を20キロ程度に落としてゆっくり走り、オホーツク海を右手に眺めて海岸通りに入る。花咲小学校(創立132年)前の坂を登りながら根室港を振り返るが、国後は霞んで見えない。

 22㌔、1時間15分、サイクリングの旅でのんびりした風景を楽しんだ。気温16度、これで今週101㎞走ったことになる。
 原野の中を全力疾走すると登りの緩斜面でも速度は時速50㌔を超え、汗ばんだ身体を風が通り抜けていく。根室の夏は日本一だ。この爽快感は多摩川のサイクリング道路では味わえない。

  2,008年8月2日   ebisu-blog#240 
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