高校2年生の時から数えると58年間『資本論』研究に断続的に費やしてきたことになります。大学に残って研究を続けてもマルクスを超えることはおそらくできない、民間企業で仕事してマルクスの労働観が正しいかどうかも確かめたかったのです。
 小学生になる前から、家業のビリヤード場が遊び場で、中高と6年間は毎日店番を数時間していたので、さまざまな職種の常連客とコミュニケーションに恵まれました。歯科医の先生3人、青年実業家、タクシー会社の社長、ヤクザの親分、大工さん、印刷会社の熟練工、お菓子の商店主、喫茶店のマスター、ラーメン屋さん、漁業関係者、公務員、銀行員、信金職員、魚屋さん、肉屋さん、高校の先生、男子一生の仕事と言っていた珠算塾の先生、家具職人、...、さまざまな職種の常連客がいました。
 そこからみてもどうもマルクスの労働観(労働は苦役である)は日本人の仕事観とは違っている感じがしていたのです。その違和感の正体を突き止めるために、業種の異なる民間企業5社を選んで仕事して、じっくり日本の企業をマネジメントの視点から観察しました。仕事が面白くてドツボにはまってしまい28年があっという間に過ぎましたが、そのうち3社は株式上場を果たしています。その経験を通していくつか分かったことがあります。
 マルクスに欠けていたのは労働とマネジメントの経験智でした。大英図書館と頭の中で考えていただけで、21世紀の今から見るとまるで専門家の「資本家的生産様式」の分析とは思えないような内容です。晩年にマルクスは『資本論第1巻』の体系構成方法の誤りに気がついてしまったのです。その結果、『資本論第1巻』を出版してから死ぬまでの17年間、続巻を出せずに沈黙したまま亡くなりました。
 マルクスには複式簿記の知識がありませんでした。資本主義経済の企業では複式簿記と株式会社制度は会計帳簿の記帳法と企業形態のスタンダードですが、複式簿記の専門知識がないことも致命的でした、理由は後で(稿を改め)詳しく書きますが、そのせいで生産過程で商品の価値が決まると思い込んでしまいました。商品の価値が決まるのは市場です、生産過程で決まるのは製造コストにすぎないのです。複式簿記の知識と原価計算論の知識や経験があれば間違えるはずのないことです。
 1867年という『資本論第一巻』初版出版年を考えると、経済学者に複式簿記理論の知識や実務経験のないことも、株式会社でマネジメントの仕事をした経験のないことも、学問の体系構成法に関する数学の知識のないことも、数学が不得意なマルクスには仕方のないことだったのでしょう。
 世界初の株式会社は17世紀「オランダ東インド会社(Dutch East India Company)です。

 日本初の株式会社は『資本論第一巻初版』が出版された2年後、1869年の丸善でした。英国だって株式会社形態はまだ黎明期でした。個人経営や共同出資経営が支配的な企業形態だったからこそ、「資本家対労働者」という2項対立構図があたりまえだったのです。所有と経営が分離するのは株式会社形態が普及してからのことで、1910年以降のことです。だから資本論の失敗の半分以上は、時代のせいであり、マルクスの責任ではないとわたしは思います。早すぎたのです。

 21世紀のわたしたちには、発展段階の異なる資本主義を見ています。そして努力次第でマルクスが手にできなかった複式簿記という武器を容易に手に入れられます。しかし、いまでも経済学者で複式簿記理論を熟知している人は殆どいないのが実態でしょう。だから、マルクスがどこで何を間違えたのかが理解できないでいます。とはいえ、ユークリッド『原論』とデカルト『方法序説』「科学の方法四つの規則」を読まなかったのはマルクスの責任に帰していい。流行だったヘーゲル弁証法かぶれも同じです。視野狭窄に陥っていました。

 ところで、わたしのテーマは二つに分かれています。資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインです。公理を変えて資本主義経済を演繹的に記述するのはマルクスと同じ程度の分量の原稿を書かなければならないと漠然と思っていました。もうそんなことをしている時間的余裕はないので、新しい経済社会のデザインについて研究方向を絞ろうとしていました。

 昨日から、脳を分散モードにして、A4のコピー用紙に資本主義経済の分析をメモしながら、公理を変えて演繹的に記述がどの程度の手間でできるのか整理していました。今朝になって、あらかた整理がついたので、これから作業に入るつもりです。
 どうやら『資本論』全3巻の分量の1/10以下で、コンパクトに記述できそうです。資本主義経済分析の演繹的な記述はあたらしい経済社会デザインにつながります。

 研究ノートとして書き溜めたら、整理して体系的な叙述をしてみたいと思います。研究ノートが書き終われば、そういう作業が必要かどうかがわかるでしょう。
 

#5088『資本論』の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明 Oct. 17, 2023



<余談:株式会社制度に言及した最初の経済学者>

 A. Smithは『諸国民の富』(1776年)の中で、合資会社の間接有限責任社員に言及しているようです。現在の会社法の株式会社に近いものと言えそう。
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●リスクの大きい直接無限社員ではなく、過度のリスクを背負わず、資産を増やせる可能性のある合資会社の間接有限責任社員になりたい人が多い
●そのような投資家が多数いるため、最終的に多額の資本を調達できること
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 『諸国民の富』で該当箇所を探してみましたが、見つけられませんでした。


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