NHK朝のラジオ番組(健康ライフ)で日大医学部教授の早川智氏が、標記の説を解説していました。光秀は近視だったために信長の表情が読み取れず、不興を買うことが度々あったと。明智光秀は聡明な人で、よく本を読んでいましたから、そういうことはあったかなと思わせる合理的な仮説です。肖像画には目が細く描かれています。秀吉は遠視の人でした。信長の表情の変化をよく観察した対応できたのでしょう。

 光秀の「敵は本能寺にあり」と叫んで、軍団を本能寺へ向かわせ、信長を打ち取った背景にはこんな近視という事実があったのだとしたら、光秀は信長とのコミュニケーションに深刻に悩み続けていたのでしょう。我慢して我慢して、その果てに、もうやっていられぬと決断したこころの苦渋がわかります。表情が見えないのですからどうしようもありません。

 早川智氏は他に、石田三成、織田信長、徳川家康などの病気についても解説しています。こちらのサイトにリストがありますので、ご覧ください。
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