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#4372 神田たけ志50周年劇画展 Sep. 17, 2020 [22. 人物シリーズ]

 標記劇画展が今日から、22日まで開催されている。「根室市未来のアーティスト応援事業」として根室市教委がバックアップしている。
 場所:根室市文化会館多目的ホール
 日時:9/17~22 9時から18時まで

 10時半ころ会場に着くと、タケシは新聞社の取材に応じていた。
 会場を見渡してみる。展示されている劇画はおおよそ600枚あった。ぜひたくさんの根室市民の皆様に、劇画一筋、精緻な職人仕事をじっくりご覧いただきたい。根室にいると実物を見る機会がなかなかないから、こういう機会はありがたい。
 『ゴルゴ13』のさいとうたかおは84歳、彼のところへ弟子入りしたくて、1966年、高3の9月に根室を出て行った。よく思い切ったものだ。わたしは、タケシが一番弟子だと思っていたが、先ほど話をしていたら、7番目だったそうだ。すでに数年前からさいとうたかおの元へ弟子入りしていた若者が何人もいたということ。世の中には、師と認めたら、人生を賭ける若者がいつもいる。そういう中から、また次の巨匠が生まれるのだろう。


①これは『御用牙』の一枚だ。タケシが20代のころの作品。テレビドラマにもなった。
 ところで、この刀の繊細なソリ(曲線)はどうやって引くのだろう?雲形定規のようなものを利用するのだろうか?実際の刀はこんなに細くはないが、絵にしたときにはこういうように細く描いた方が、それらしく見える。

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②120㎝くらいのサイズだから、書くのたいへんだっただろうと思ったら、画像を何枚もパソコンに取り込んでデジタル処理して作成したという。

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②首に巻いた布切れが強い風にあおられている。雪のある時期にこんな強風下では、耳は痛くてちぎれそうになり、身体が芯まで冷えて凍えていく感じがよくわかる。

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③絵が撮ってもきれいだったので、…

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こういうレベルの原画が約600枚展示されています。会場はまだ200枚のスペースが開いていました。

 「もっともって来ればよかった
 タケシのつぶやきです。(笑)


<余談:3年G組は台風の目>
 タケシもわたしもGクラス。団塊世代のわたしたちは「丸刈り」という校則に従って、倍率2倍の入試を経てバンカラな風土の漂う根室高校へ入学した。校則があるので中3の冬休みに人生初めての丸刈り坊主頭にしたが、反骨精神は心の中でぶすぶすと音を立てながら燻(くすぶ)っていた。2年生になって修学旅行は長髪で東京へ行こうと、生徒会の副会長と会計の先輩に相談したら、「言い出しっぺのお前がやれ!」と言われて、校則改正の戦略を立て、すぐに実行した。まず保護者にアンケートをとった。趣旨は髪型は人権の一部で、丸刈り強制の校則は時代に合わないというシナリオのアンケート用紙をデザインした。学校側は保護者=PTAの意向に弱いと踏んだのだ。図星で、その結果を集計して生徒総会へ持ち込み、賛成多数で丸刈り条項は廃止となった。根室商業時代から続いていた丸刈り条項はこうしてなくなった。修学旅行3か月前だった。髪を伸ばしてドライヤー持参で修学旅行へ行った。当初スケジュール通りの仕事だった。(笑)
 もう一つ、根室商業時代から続いた伝統があった。総番制度である。同じクラスのヒロシが総番だった。ヒロシに訊いたら、代々の総番長に伝わっていた「仁義」の台詞を知らなかった。5代前の総番長は親戚のお兄さんで「まこちゃん」と呼んでいた。彼は仁義の台詞を丸暗記しており、高校1年生の時に、目の前でやって見せてくれた。「お控えなすって...」というヤクザの挨拶である。小さく折りたたんだ紙に小さい字で台詞がびっしり書かれていたあの紙をもらったはずだが、机の中にしまったまま、机とともになくした。なぜ、そんなものが伝わっていたかというと、根室商業時代には元気のいい生徒が多かったのでヤクザ屋さんともめごとがあったらしい。そういうときに学校を代表して話をつけるのは総番長の役目だった。「台詞を間違えたら、殺されたって文句は言えない」とその元総番長は言った。だから総番長には大きな権限ととっても重い責任があった。マコちゃんは野球部のキャプテンだった。彼が高校生で総番長の時に、金刀比羅神社の例大祭で見かけたことがあった。眼付きの鋭い十数人を従えて、怖い顔をして先頭を歩いてきた。声をかけられなかった。あれは祭りの日の伝統の儀式だったのだろう。総番グループを従えて、一回りする。祭りの前日には、夜店の場所割りに地元のヤクザの親分が子分数人を連れて見回っていた。ルール違反があると叩き壊していた。当時祭りが整然と行われたのは彼らの「仕切り」があったからだ。いまでは平穏に場所割りがなされている。見回り役は警察だ。
 わたしたちのときには総番制度だけが残って、総番長の権限と責任が曖昧になっていた。このままではだだのワル集団に成り下がってしまう。A野とヒロシと相談して、根室商業時代から続いた総番制度を廃止することに決めた。三人で決めただけで、実際にそれをやり切ったのはヒロシである。偉い奴だ。あいつは人望が厚い、あいつの周りには実にいろんな種類の人が集まってくる。東京の大学へ一緒に行こうと誘ったのはヒロシだった。総番長が級友に「一緒に東京の大学へ行こう」なんてぬけぬけと言ったのだ、そしてわたしはそれを当然のように聞き、オヤジに相談してヒロシと一緒に千歳空港からスカイメイトの割引を利用して東京へ向かった。高校3年生の12月までは大学進学はおろか、大学院まで行こうとは思っていなかった。あいつが同じクラスにいなければ、わたしは大学にも大学院へも進学していない、わたしにとっては恩人である。とにかく気が合った。どこか似たところがあったのかもしれぬ。
 3Gは面白い面子の揃ったクラスだった、そしてA組からG組までの中で台風の目のような存在のクラスだった。3年生の9月に学校を退学して『ゴルゴ13』の「さいとうたかお」へ弟子入りをしたタケシもその中の一人である。思いっきりの好い奴だ。3年生の9月に劇画を描きたくて中退する奴は滅多にいないだろう。その思いっきりのよさが、彼を劇画のプロにした。あいつは夏休みにバイトして東京行のお金をためて、ある夏の夜わたしの家まで相談にきた、学校をやめてプロになると。相談といいながら相談ではなく、決意表明だった。(笑)
 





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