「人にされて嫌なことはするな」というのはもっともなことです。『論語』には2か所で言及があります。

------------------------------------------------
原文:仲弓に仁を問う。子曰く、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承えるが如くす。己の欲せざるところは人に施すこと勿れ。邦に在りては怨み無く、家に在りても怨み無し、と。

訳文:孔子の弟子の仲弓が、仁とはどういうことかと質問した。孔子は次のように答えられた。「家の外で他人に逢うときは、その人を自分にとって何よりも大事なお客のように扱わなければならない。人民を公役に使うときには、祭りを執り行うときのように慎み深くしなければならない。自分が他人からしてもらいたくないことは、他人にもしてはならない。そうすれば国の中枢にいても人に恨まれることはなく、家庭にあっても人に恨まれることはない。

原文:子貢説いて曰く、一言にして以て終身これを行うべきもの有りや、と。子曰く、それ恕か。己の欲せざるところは人に施すこと勿れ、と。

訳文:子貢が孔子に質問した。「一言で一生実行していく徳目というものがあるでしょうか。」孔子が答えられた。「それは恕(=思いやり)ということだ。自分のしてもらいたくないことは、人にもしないことだ。」

解説:同じくが『論語』の中に二か所でてくる。ともに仁というものの本質についての問答である。仲弓に対する答えも、思考に対する答えも、仁とは人に対する敬い、慎み深さ、思いやりということである点で共通している。対人関係は、他人への共感、思いやりが基本であるという意味。
 『中国故事成語辞典』三省堂 103頁

------------------------------------------------

 一昨日のことですが、ある生徒がこんなことを言いました。

S:自分が言われたら嫌だと思うことは人には言わないようにしてきました。でも、それではいけないことがあることを初めて知りました。

 相手の身になって考えると、いま言っても反発が起きるだけ、人間関係が悪くなるだけだと思うと、そのときに言うべきことが言えなくなる。そうこうしているうちに1か月が過ぎ、あえて言わなきゃならないことがあったことに気がついた。言えば怨(うら)まれてもである。それは深い恕(=思いやり)なのだが伝わらない。
 どちらを選択しても、結果として人間関係が壊れてしまう、ただ壊れ方が違うだけ。

 人生は奥深いもので、取り返しがつかないところまで行ってから気がつくことがあなたにもありませんでしたか?
 苦い思いとともに心の襞に畳み込んでいくしかありません。



にほんブログ村