6.恬淡(てんたん:物事に拘泥しない様) その一
 
 特攻の死を恬淡と受けとめる搭乗員の記事としては、当時の山梨日々新聞(昭和二十年五月十七日)
に、「遺書は要らんよ 戦艦と決めた 初志貫徹のその前夜 郷土の神鷲 小田切少尉」という見出しで記事が載っている。その最後のところを引用しておく。
 「貴様故郷へ最後の手紙を書いたか」と堀江少尉が尋ねると、「いや、まだです。書く事がない
ですよ。何と書いてよいか解らんし、それに親には私情が多いから攻撃参加の手紙を見たら戦死
確認が発表される迄は気をもむでしょうからね。書いて親に余計な心配をさせない方がいいと思
います」と答えたのは小田切少尉だった。ふと真剣な影が浮んで消えたが後は相変わらず微笑を
含んだ柔和な表情だった。夜が明けて愈々出撃の時が来た。記者が感激をこめて帽をふると若い
小田切、堀江少尉、そして更に若い村田二飛曹の右手左手がさっと上り、「行って来ますぞ」「やっ
て来ます」と決意をこめて云った。小田切機がその初志を貫き沖縄周辺の敵艦船一隻を屠り去っ
たのは十一日午前九時十八分だった。
中込一善[要務。鹿児島。高警]「小田切大尉出撃︱生々しく伝える当時の報道︱」「海軍十四期第18号17頁)
 
 他方では、酒との深いつき合いに心を休めて、全く別の感慨を持っている予備学生もいる。
 
 森丘哲四郎[東京農大。神風特別攻撃隊第五七生隊。南西諸島方面にて特攻死]

 〔昭和二十年〕三月一日(元山空での日記)
  (…)
 
 二月初め卒業した橋本二飛曹[乙飛十八期、五月一四日第八七生隊隊員として特攻戦死]が再び着任し来れり。また新任の十三期少尉が続々着任しあり。
 五分隊の宮武一家、誰に恐れを感じようか。巡検後、五分隊総員にて一杯の盃を交わすこと数
時。従兵の修正[鉄拳などによる訓戒的制裁の海軍名称]、主計科先任下士の修正、五分隊の酒
の量は何時でも出すように。元の第九分隊、今の第十分隊[予科練]総員起し、学生長[松藤大
治]の名の下に修正す。若き搭乗員の魂、礼節を注意せり。 
 毎日の如く飲酒す。酒は強くなった。
(森岡清美『若き特攻隊員と太平洋戦争』一一九〜一二〇頁)
 
 下級者を修正すると称して殴ることは、海兵の思慮のない仕方だと言わざるをえない。後に触れるが、十三期も十四期に対して、修正を繰り返した人たちがいたが、十四期には幸いに後続の後輩たちがなく、殴る行為は会報にもほとんど載っていない。ところが、思わぬところでこの海兵の殴る伝統を体現しているものがいたわけなのだ。海軍の伝統は生きてゆくということなのか。郷にいっては郷に従うということなのであろう。何か寂しい気がする。森丘哲四郎の残された日記の最後は次のようになっている。

 四月一日 
 出撃の日だ。(…)学生教程卒業。記念撮影を行なう。 
 九時発進、晴なるも黄砂極めて深く、視界五〇〇メートル。十時、飛行隊発進待て。(…)愛機に必要物品を搭載す。人形は座席前に全部吊した。多くの戦友の涙ぐましき助力を得て準備完了せるも、黄砂いまだ深く、十二時飛行隊発進中止となる。 
 一日の生命の長を、元山にて得たわけである。今の心境にては、ただ速かに皆と別れたい感じ
である。喜びも悲しみもなく、考えもない。ただ無である。無。 
 私の美しき心の表現となさんために作り来たこのノートも、四月一日の夜をもってすべてが失
われたり。即ち酒だ。酒、酒、酒。
   (『あゝ同期の桜』181〜182頁注13)
 
 一方には、遺族や友人や恋人との関わりが多く残っているものもいる。 
 旗生良景の場合を引用する。京都大経済学部にいて、南西諸島方面にて特攻死。神風特別攻撃隊八幡神忠隊。

 昭和二十年四月十六日(串良基地にて日記) 
 今日はまだ生きております。昨日父さんにも母さんにも、兄、姉にも見送って頂き、全く安らかな気持で出発できました。T子にもお逢いになった由、本日川村少尉より依託の手紙で知りました。皆何と感じられたか知りませんが、心から愛した、たった一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部だと思って、いつまでも交際して下さい。葬儀には、ぜひ呼んで下さい。
(…)
  ここは故郷の南端の地、春はようやく更けて、初夏の迫るを覚えさせられます。陽の光和やかに、緑濃き美しき故郷を敵機に蹂躙される無念、やる方なし。この地、父母の在す故郷を、死をもって護らんと、いよいよ決意を固くしております。 
 お父さま、お母さま、本当に優しく、心から私を可愛がって頂きましたこと、有難くお礼申します。この短い文の中に、私のすべての気持を汲んで下さい。これ以上のことを言うのは、水臭く、妙な感じがすると思います。私は一足先に死んで行きますが、私が、あの弱かった私が、国家のために死んで行けることを、喜んで下さると思います。長い間お世話になって、何一つ父さん、母さんに喜んで頂くようなことも致しませず、誠に相済まぬと思っております。私の死は、せめてもの御恩返しだと思って下さい。 
 兄さん。長い間有難うございました。優しく和やかに、私を育てて下さいましたこと、感謝します。後のこと、よろしく願います。私は心安らかに好機を待つだけです。 
 嫂さん。兄さんと仲良くして下さい。兄さんが応召にでもなったら、また一骨でしょうが、国家のため旗生家のため、奮闘して下さい。 
 良和ちゃん。詳しいことは、兄さんやお父さん、お母さんから聞いたことと思う。体を第一、次に勉強だ。立派な日本人になって、兄さんの後を継いでくれ。国家を救う者、これからの日本を背負う者は、良和ちゃんたちだよ。敵が、九州の南まで来ていることを思って、毎日々々、一生懸命やることだ。日本の宝だよ、良和ちゃんは。兄さんの最後の言葉を、無にしないようにしてくれ。最後の瞬間まで戦える、強健な身体と精神の養成に努めよ。お父さん、お母さんに、あまり心配かけるな。 
 和子ちゃん。日本人らしい女になれ。強く優しい女性となれよ。良い母親となり、良い子を生んで日本の宝となせ。兄さんの代りに、お父さん、お母さんに、孝行してくれ。 
 おばあさん。小さい時から大変お世話になりました。這い回っていた私も、こんなに大きく、弱かった私もこんなに強くなり、お国のために死んで行きます。おばあさんより先に死のうとは、思いもしませんでしたよ。あまりやかましく言わず、のんびり生き長らえて下さい。いろいろ有難うございました。
 
(同書166〜169頁注14
 
 姉弟や友人への書簡が、人柄を偲ばせる文章を残している隊員たちもいる。
 重信隆丸は、龍谷大文学部哲学科。沖縄中城湾特攻死注15 。神風特別攻撃隊琴平水心隊。

 昭和二十年五月二十七日(託間航空隊から書簡) 
 全く意地悪ばかりして申訳けない兄だったね。許してくれ。が、いよいよ明日は晴れの肉弾行だ。意地悪してむくれられたのは、今から思えばみんな懐かしい思い出だ。お前も楽しかった思い出として笑ってくれ。兄さんが晴れの体当りをしたと聞いても、何もしんみりするんじゃないよ。兄さんは笑って征くんだ。 
 およそ人生とはだね、エッヘン! 
 大きなあるものによって動かされているのだ。小さな私たちの考えも及ばない大きな力を持つあるものなのだ。それは他でもない、お前の朝夕礼拝するみ仏様なのだ。死ぬということはつらいというが、「何でもない。み仏様のなされることだ」と思えば、何も問題でなくなるのだ。欲しいと思うものが自分のものにならなかったり、別れたくないもの、例えば兄さんに別れたくなくったって、明日は兄さんはお前なんかまるで忘れでもしたかのように、平気であっという間に散ってゆくのだ。そしてちょうどお前のような境遇の人は、今の日本はもちろん、世界中のどこにでも一杯なのだ。 
 また兄さんは、特攻隊に入ってしばらく訓練したが、兄さんの周囲では特攻隊と関係のない長命すべきように思える人が、ぽつりぽつりと椿の花のおちるように死んで行った。大体分るだろう。この世は「思うがままにゆかないのが本当の姿なのだ」ということが。簡単に言えばちょっとまずいが、無常が常道の人生とも言えよう。ともかく、何も心配することなんかこの世にはないのだ。明るく朗らかに紡績に励み、勉強し、立派な人間になってくれ。それがとりも直さずお国への最も本当の御奉公なのだ。兄さんは、それのみを祈りつつ征く。 
 難しそうなことをいろいろ書いたが、兄さんもいろいろこれまで考えた挙句、つい最近以上書いたような心境になったのだ。お前もなかなか本当の意味は分り難いと思うが、折にふれてこんなことを考えていたら、いつか分ることだ。朝夕お礼をすることを忘れないように。しみじみ有難く思う時が必ずくる。お父さんはじめお母さんも相当年をとられたことだから、よくお手伝いをしてあげてくれ。姉さん、昭を頼む。元気に朗らかにやるんだよ! 
 仏様のことを時々考えろと言ったって、仏様とはしんみりしたものとは全く関係のないものだよ。以下取急ぎ断片的に書く。
  一、運動は必ずやるべきだ。精神爽快となる。
  一、守神(マスコット)を頼んではあったが、手に入らなくても、何の心残りも無し。雨降れ
ば天気も悪しだ、ワッハッハハ……。 
  一、よく読書すべし。
 
 幾ら書いても際限なし、ではさようなら。お元気で。  
  妙子殿
(同書146〜147頁注16
 
 父母のこと、国のことをいつも念頭に置いていた搭乗員は数多い。父母と国のことを考えながら、
覚悟し精進している姿が痛ましい。

 
 諸井国弘の文章をあげておく。彼は、国学院大文学部史学科。南西諸島方面にて特攻死。神風特別
攻撃隊第五筑波隊。

 昭和二十年三月十四日(筑波航空隊にて日記) 
 今日は、ふと日記を書く気持になった。外はしとしとと、小雨が降っている。バスに行く時、小雨に煙る外を見た時、何ともいえない淡い淋しい想い出が、ぼーっと頭に浮んできた。死という最も厳粛な事実が日一日と迫って来る今日、何を言い、何を考えよう。ともすればデカダンにならんとするわが心を制し、強く正しく
導いて行くものは、この俺の心の奥の奥にある神である。しかしまた、ある一面においては自分の心は、良いデカダンにならんことを欲している。それはこの自分の赤裸々な姿を、心を、表わして見たい。若い人生の最後において。しかし今は、何だかまだそれが恐ろしいような気もする。だがこの一日々々の貴重な時、自分の心の中のある二つのものが相争うようなことは、考えて見れば実にもったいないことである。しかし最後まで、これで良いのかも知れない。 
 今日母上より葉書を頂く。忘れよう忘れようとして、なかなか忘れられない家のこと。このなつかしいわが家も、国家あってのわが家。国家なくして何のわが家ぞ。今正に国家危急存亡の秋、この祖国を護るのは誰か、我をおいて他に誰があろう。この頃は以前のように、過去に対する憧憬なんてものは、なくなってしまった。と言って未来は、目の先にちらついているもの以外には、何もない。 
 静かな諦念か。夢、夢……夢の一語につきるような気がする。
   (同書184頁注17

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注 12 :2003年版では139頁。

注 13 :2003年版では206頁。
注 14 :2003三年版では188〜191頁。
注 15 : 『あゝ同期の桜』2003年版164頁および『学徒特攻その生と死』448頁では「南西諸 島方面」となっている。
注 16 :2003年版では164〜166頁。
注 17 :2003年版では209〜210頁。

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