昨日(5/17)は午前8時40分に最高気温21.0度、庭の千島桜は一気に満開、北風で急激に気温が下がり、午後4時には8.7度へ急低下、9.4m/sの風、高校生数人が「先生、外寒いよ」と言ってました。

 体育系部活指導には分野横断的な指導理論がないように見える。そこで思い出したのが大谷翔平の高校時代のこと。目標を8つ揚げ、それぞれの目標の達成手段を8個、紙に書きだす。そして一つ一つの個人課題に取り組んでいく。高校1年生の時にすでに、日本でナンバーワンとなり米国大リーガにいくことが目標に挙げられていた。そのために64個の課題を一つ一つ消化していったのである。おそるべし大谷翔平、そしてそういう指導方針をとっていた当時の高校の野球部監督。

 弊ブログへときどきコメントを下さるkoderaさんは弊ブログをお読みになって3年前の6月に根室まで来てくださった。そして、啓雲中学校バドミントン部で小一時間ほど練習方法を具体的に指導してくれました。
 千葉県柏市でご自分の市民バドクラブを30年来主宰してこられた。関東第一高校に数年勤務されていたが、現校長とバド部の指導もしておられた。関東第一高校のバド部は全国レベルの強豪校で、オリンピック選手も数名輩出している。

 その小寺さんは富士通とシャープ勤務時代に仕事で文書作成法の四項目箇条書法を考案して、本を出版されている。民間企業で独自に培った文書作成方法がメインテーマの本。良い企業と悪い企業の見分け方、面接の仕方など、経験に基づく具体論満載の本です。

 『創造性の開発シリーズ① 夢こそ生きる力』
 「高校生が絵を担当 総合力アップのためのガイドブック 企業人の教えが生きカエル」
  原作:小寺次夫 編集:鈴木朗 出版:「星奈のお店」

 昔出版した本を、高校生がイラストを担当して、リライトしたものだが、ページごとに用語の注釈やイラストが入っていてとってもわかりやすいものになっている。残念だが、販売元の「星奈のお店』に在庫はもうない。ぜひ、再版してもらいたい。
 ネットで検索したらでてくる。わたしは2冊を塾生にあげたので、あと3冊ある。ひとつは自分用、もう一つはそのうちに根室高校図書室にプレゼントしたい。後輩たちが小論文を書く際に役に立つ。
 「四項目箇条書法」は小論文を書くにはとっても便利な方法である。koderaさん自身の説明、「メタ知識を叩きこむ」で文書作成以外にも応用の利く方法論であることに気がつきました。応用分野はスポーツの上達、受験勉強、システム要件整理・抽出となんでもござれ、特定の分野に限定されない方法論ということ

 文書作成技法の「四項目箇条書法」とスポーツ指導のかかわりはkoderaさんご自身の説明がわかりやすい、以下は彼のブログからの転載です。

*https://blog.goo.ne.jp/badmintonmusume/e/7834b055feafe72e0817642554bbfd63
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メタ知識を叩き込む


 ど素人の私がバドミントンクラブを30年主宰して来れたのは会員の皆さんのお蔭ですが、同時に私のバドミントン以外の色々な仕事や趣味や勉強などの多様な経験がクラブ運営に役立っているのは間違いありません

 今回リンクした昔の記事を読み返し、ジュニアクラブができなかったのは非常に残念でした。クラブの運営に私の過去の勉強や経験が生かせられるからです。多様な経験が新しい小学校のクラブの運営に役立ち、画期的に楽しいクラブにし、勉強好きの子供を増やせると思っていました。でも、参加は初回の1回だけでした。

 座って打つ横や後ろ向きランニングフットワークリレージャンプ素振りシャトル投げなどをさせました。大事な基礎の運動です。しかも英語のカウント付きで。全員笑いながらしていました。声出しで身体と頭を良く使い、脳の血流が増え、働きが良くなるはず。ここまでは計画通りでした。見ていた妻は、私は遊びの天才だと言いました。いいえ、小学校まではガキ大将、中学生から、従弟や従姉妹、甥や姪をたくさん遊んであげたからと答えました。

 次にフリーの打ち合い。腕組みをして、壁際で見ていた、1組の夫婦が無言でコートイン。自分の子の練習相手。子供がミスると、母親が大声、怖い顔。子供が縮みあがり、余計にミス。そして私は翌週の2回目から、参加は頼まれませんでした。時間もお金も不要を幸運と思うしかありませんでした。水と油は混ざらない。

 それから3年近く経ち、プロの色々な練習法を見学できました。不遜にも、普通のジュニアクラブ並に、バドの強豪選手も育てられると思えます。バド馬鹿校長の素晴らしいジュニア指導を何度か見て、海外の名コーチの指導もネットで見て、バドも勉強もできるようにできると思えました。

 昔の記事にあるように大事なのは分析です。計算機の要求分析と同じです。私なら、個人ごとに命題を実現させます。そのために、個人ごとの4項目の箇条書きテーマを設定します。それらを達成するために、また下位の4項目のテーマを設定します。さらに繰り返し、全部で64項目の課題を個人ごとに考えます。そして全員で4Sです。会社の新人指導と同じです。

 個人ごとに64課題の1か2を徹底的に毎回反復練習します。市民クラブなら、およそ半年で64の課題を達成できますその次に上位の課題を明確に再定義し、その16テーマを4か月で達成させます次は4テーマだけ、1か月で済みます。こうして全テーマを1年で達成する計画を作ります。学校でも同じでしょう。多人数が居ても、指導計画は個人ごとに違います。

 上位層のテーマは4つ。ノックでなく、最強ペアにお願いし、4課題を達成するために、球出しをしてもらいます。これが卒業試験です。勝てたら、インターハイ出場レベル、しかも柔軟な試合運びができるはず。勝負は時の運です。負けても構いません。学習法のメタ知識は身に付けられたはず。勉強第一の目標に変更すれば良いだけでしょう。

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<注>
4S:整理・整頓・清潔・清掃の四項目です、これに躾を加えて「5S活動」といいます。民間企業で広く取り入れられている活動です。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/4S運動

座って打つ~シャトル投げ:指導の実際については弊ブログ#3066をご覧ください。

メタという用語:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/メタ

 5/19朝アップされたkoderaさんのこの記事も味わい深い。「歳をとり人を知る」
*https://blog.goo.ne.jp/badmintonmusume/e/542eb694b5494dad2283fb2a3fd4cd7e


<小寺さんの略歴>
 東大大学院工学部、同大学院工学科修士課程卒業、富士通でシステム開発と新規事業担当、その後シャープ電気へ移り、ワープロ専用機「書院」の開発に携わる。その後シャープをやめられて、女子大学講師と高校講師を十数年間やられた。

 koderaさんが根室に来た時の啓雲中学校バド部指導の様子を点描した記事が出てきます。バド部の皆さんに読んでもらいたい、具体的なトレーニングメニューとそのコツをコンパクトに書いてあります。濃密な50分間の指導でした、クラブメンバーの皆さん、笑顔で指示に従って汗をかいていました。

*#3066 C中学校バドミントン部:首都圏の技術指導チャンネルを開く Jun. 24, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-06-24


<余談>
 ebisuはキャロム系ビリヤードが趣味、というか家業のビリヤード店を小学生の時から手伝っていたので、門前の小僧習わぬ経を読むのたとえ通り、腕前はセミプロクラスです。下手でも30年続ければこれくらいなら誰でもなれます。根室ではわたしよりもずっと才能のある方をお二人知っています。当時青年実業家だったN井さんと、元ハイヤー会社の社長だったS藤さんのお二人。N井さんの当時のキューを構えた写真をみると、腕前のほどがひしひしと伝わってきます。小林先生の常連会には四つ玉元全日本チャンピオンのK柴さんがいましたが、彼よりも上であることが、写真に残っている「構え」からわかります。
 そういうわけで基本トレーニングメニューなど、50枚ほど書き溜めた資料があります。半数くらいは町田正さんのお父さん(プロ、ビリヤードコーチ)から教わったものです。十数枚は図面を書いていって小林先生に質問して教わったものです。ビリヤードに国体があれば、5人の高校生がいれば、わたし程度でも三年間で優勝を争えるチームが育てられます。だから、koderaさんの指導方法の凄さが理解できます。

 話が前後しますが、スリークッション世界チャンピオンの小林先生の新大久保のお店にあった常連会のメンバーでもありました。アーティステックビリヤード部門で世界N0.2となったことのある町田正さんのお父さんに、十回ほどコーチしていただきました。八王子のあのお店は息子の正さんが継がれているようです。数日前にひょんなことからテレビで見ましたが、だいぶお太りになりました。小林先生、町田先生のお二人とも霞会館で皇族たちのビリヤードコーチをなさっていました。家業でお付き合いのあった、札幌の吉岡先生は昭和天皇のビリヤードコーチでした。高校を卒業した年の夏に、札幌駅前通りを二人で歩いていたら、「トシボー」と声がかかったので、誰だろうと振り向くと、ライオンズクラブの催しでメンバーの先生は献血のお手伝いをしていました。「トシボー、献血していけ」「はい」、否やはありません。品のとってもよい白髪のおじいさんでした。ビリヤードの「ラシャ」(=クロス)交換に年に1度来ていましたが、旅館に泊まらずに、ボロ家の我が家に泊まってくれていました。小6のときに「プロになりたい」そう吉岡先生に告げると、「勉強したほうがいい」と諭されました。才能がないのだとがっかりでした。あとで考えると、あの当時はプロで飯が食える人はいませんでした。町田先生(お父さん)が「長男のほうが腕がよかった、しかし当時はプロでは飯が食えなかったので諦めさせた、次男の正の時は状況が変わっていた」そう言われて気がつきました。30年もたってから、吉岡先生の言われたことの真意が理解できたのです。釧路に親せきが多いのでよくオヤジについて釧路に行きました。小学生の時に釧路の老舗のビリヤード店で大人数人相手に次々ゲームをして10連勝したことがあります、「ビリヤードの上手な少年がいる」と評判になったのです、だからちょっと自惚れていました。(笑)
 町田正さんには八王子駅前にあった彼のお店「シルクハット」でボークライン・ゲームを所望、3回相手していただきました。もちろんコテンパンに負けました。キュー切れのよさにうっとり見とれていました、美しいのです。お父さんのお店には鋼鉄製のキューがありました。それを使って練習させたそうです。だからキューの切れが今まで見たこともないくらいにいい。シルクハットはマッセという垂直にキューを構えて叩きつけるように打突し最大の回転を与える撞き方ですが、あの技は世界で町田正さんしかできません。鋼鉄製のキューを見せられた時に漫画『巨人の星』のお父さんを思い出しました。鋼鉄製のスプリングがたくさんついた「大リーガー養成ギブス」が頭に浮かんだのです。ここまでやるかと思いました。ビリヤードのプロにならなくて本当によかった。かないっこありません。駿台予備校の著名な数学の先生である荒木さんも常連会のメンバーのお一人、彼がボスでした、とっても腕がよかった。夏は休んで五種目チャンピオンのディリスのサマースクール(2週間)に通うくらいのビリヤード好き、この人にもかないませんよ。
 霞会館で皇族のビリヤードコーチをした経験のある三人の方に教えてもらったビリヤード愛好者は、日本で私一人だけ、幸せ者です。これだけは自慢できます。わたしは先生に恵まれる星の下に生まれたようです。

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