ヤマモリパンが美味しい黒糖餅を売り出すのは12月だけ、正月用の餅である。白餅、生姜餅(薄いピンク)、蓬餅(ヨモギ色)、黒糖餅(茶色)の4種類ある。
 餅が大好きなので、正月用のほかは冷凍庫へ保存して、好きな時に解凍して食べている。弥生町のお店兼製造工場へ注文し作り立てを冷凍すると家庭用冷凍庫でも数か月は味が良い。
 餅を焼いて、さっと湯通し、そして黒豆黄な粉をまぶすとおいしい黄な粉餅のできあがり、上品なお菓子のような味わいである。

 黒豆黄な粉は宅配トドック(コープさっぽろ)で注文、以前は牛乳に入れて飲んだりしていた。
 黒糖餅は黒糖入りだから甘い、だから黒豆黄な粉のほうはお砂糖控えめでよい。黒糖餅はそのまま食べてもとってもおいしいのだが、この黒豆黄な粉をまぶすと別物に化ける。黒糖が自己主張をやめ、黄な粉と仲良しになる。目隠ししたら黒糖餅だとわからないのではないだろうか?
 乙な味*、組み合わせの妙だ。

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乙:(形容動詞)①ちょっと気がきいていて趣のあるさま。「なかなか乙な味だね」「乙なことを言う」
  ②ちょっと変わっているさま。妙だ。「乙にすましている」
  乙に搦む 変なふうにからむ。遠回しに皮肉をいう。
    …『大辞林第三版』より
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<「横笛草紙(下)」を聴く>
 日曜日朝6時からのNHK古典朗読番組『お伽草紙』を4月から録音してあったので、その中の一篇「横笛草紙」の後編を聴いた。悲恋物語である。主人公の横笛は17歳、三年間付き合った男(斎藤滝口時頼)がいたが、とつぜん男が訪れなくなる。
 横笛の容姿は次のようにつづられている。
「そのかたち、容顔美麗にしていつくしく、霞に匂ふ春の花、風に乱るる青柳の、いとたをやかに、秋の月に異ならず」
 名調子だね、声出して読んでみてください。それはともかく、あまり繁(しげ)く女の下へ通うので男は親から叱責を受け、仏門へ入り、山深い荒れたお寺で修行するが、横笛への思いをなかなか断ち切れずに悶々としている。横笛は男を探して山深い荒れ寺を見つけるのだが、男は修行中の身だからと会わない。「一目お顔なりとも…」と言えど、願いはかなわない。横笛はその帰り道に大井川の千鳥ヶ淵で入水(じゅすい)する。樵(きこり)たちがうら若い乙女が入水自殺するところをみて助けようとしたが間に合わなかった。その噂は山寺の男のもとへすぐに届く。男は胸騒ぎがして駆けに駆けて千鳥ヶ淵へと急ぐ。…
 儒教は親への孝を説く、それと恋の板挟みで、わずか17歳の乙女が川の淵へ身を投げる。横笛は14歳から男と契っていた、当時の性風俗ではそれが当たり前。
 男が恋の歌を横笛へ渡す、その初発がこれ。
「秋の田のかりそめぶしのみなりとも君が枕をみるよしもがな」
 切ない心の内を歌に詠み、何度かやり取りしてから男が女のもとへ通い始め契る(=エッチ)。そのとき横笛14歳。やりとりされた歌を味わうのも一興。
 セックスに関しては八百数十年前はじつに大胆でおおらかだが、恋をするには歌の勉強もしなかればならなかった。恋の歌が詠めなければ、相手にしてもらえないのは男も女も同じだ。教養があって心に響く歌が詠める女は少ないから男が殺到する、もてるのである。男も同じ。知的な遊びと男女の契りがセットになって恋が成就する、そういう時代だった。
 14歳から3年間通い続けてくれた男が突然訪れなくなった。横笛が20歳だったら、一時は悲しいがその成熟した身体はさっさと次の男を受け入れただろう。17歳だからこそ執着が強かった。二十歳だったら時頼への執着はそれほど強くなかっただろうと想像する。お伽草紙には14歳で契る話がほかにもあるから、当時はそれが「標準的」と考えられていたのだろう。
(ところで、根室の女子高校生の性体験率は十数年前に道新に乗っていた記事では3割前後だったと記憶するが、2割くらいに落ちているとこれも何か紙の媒体で拾った情報。何かの全国調査では30代の独身女性の3割が男性経験なし。世の中どうなっているのだろう?性に興味をなくした男子が増えているがスマホの普及と関係があるのかも。なんだか平安末期のほうがいまよりずっと健全な気がしてくる。)

 さて、横笛は黒糖餅に黒豆黄な粉をまぶして食べたことがあっただろうか?

 斎藤滝口時頼に懸想されるまでは、「黒糖餅にはやっぱり黒豆黄な粉が一番合うわね」ところころ笑い転げながら無邪気に食べる少女だったかも。蛹(さなぎ)が蝶々になるように、少女が大人の女になり、惚れる男ができるのはいかんともしかたがない。美人に生まれたのが幸か不幸かわからぬ。
 美人の皆さんにはイケメンが殺到するだろうから、恋に身を焦がして横笛よろしく、命をはかなくすることや身を持ち崩すことがあるかもしれない。それも人生。
(顔やスタイルはたしかに大事、looksというのは「見てくれ」のことで人間は中身と合わさって総合評価ができる。見てくれは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のうちの眼の作用。だから見てくれがそれほど良くなくても、残りの5つによさがあれば、やはり男にもてる。
 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識とどれも強い影響力がある。懐かしい人と同じ香水をつけた女性が通り過ぎると思わず振りむいてしまった、同じ整髪料をつけている男と都会の雑踏ですれ違い、どこにいるのと通り過ぎた人を振り返ってしまったという話を聞いたことがある。匂いや触覚には相性がある。

(右上の黄な粉餅はこれだけ形が崩れて小さいでしょ、一口食べたら余りのおいしさに、ブログへアップしようと撮ってみたからです。食べる前に写せばよかった。一口食べて”うまい”とつぶやいたところも想像してください。手前側にebisuがいてコンデジを構えている。撮り終わったとたんに、ぱくつくところもね。お茶は煎茶です。)





<余談:ケーキ>
 女房殿はケーキをつくるのが趣味だった。50種類くらいはつくれるだろう。わたしはタルトが大好きで、ケーキ教室に日はタルトのホールケーキだったらいいなと楽しみにしていた。通っていたケーキ教室はプロが対象の技術レベルの高いクラス。カステラも美味しかった。これは、焼く人が数人決まっていて、材料費をメンバーで出し合い、焼きあがったカステラを持ち帰る。業務用の大きなオーブンだから焼ける。実にきれいな焼き上がりと、文明堂のそれとは少し違った食感がある。もってみるとずっしりと重いのだ。
 手造りすると材料を厳選できるところがよい、もちろん自分の家族に食べさせるだから添加物は一切なし。
 根室の家にはオーブンがないので作り方を忘れなければいいが…

 ああ、思い出した。学生時代に渋谷の進学教室で3年間教えていた時、講師のOさんから「オヤジがケーキつくり教えてあげるって言ってるから来たら?」と誘われたことがあった。Oさんのお父さんは帝国ホテルのフランス菓子の責任者だった。かの有名な村上総料理長の時代である。恐れ多くて女房殿、腰が引けて行かずじまい。家が近くて歩いて10分くらいのところだったので、お誘いいただいた、あれから41年になるかな。
 東京って面白いところでしょ、若き根室っ子諸君、数年間東京暮らしをして戻ってきたらいかが?



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御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)



  • 作者: 市古貞次

  • 出版社/メーカー: 岩波書店

  • 発売日: 1985/10/16

  • メディア: 文庫





 「横笛草紙」は(下巻)にあります。