<更新情報>
 11/10 0時40分 <余談>追記
 11/10 10時半 追記:昭和天皇・吉岡先生、現在の天皇・小林先生、皇太子・町田正さん、

  2005年の11月に入塾した長身の中学3年生(柏陵)の女生徒OMがいた。171cm、視力が2.0だった。学力の伸び代が大きいように感じたので、高校へ入学したら、パイロット目指して猛勉強してみないかと話した。戦闘機の女性パイロットが3名いることを何かの雑誌で見て知っていたので、防衛大学進学を薦めたのである。難関だが、チャレンジしてみる価値はあると思った。
 即答だった。
「先生、わたし高校へ入学したらバレーやりたいんです」
 進学のつもりは無いとはっきり。
 だが、3年間部員が3名のままで卒業した。彼女たちがつないでくれたから今がある。そのあとに光洋中学のバレー部の生徒が2008年に高校へ入学して部員5-6名で続けた。回転レシーブであざになったとよく言っていた。「先生、わたしシックスパックだよ、百回やれる」、光洋中で腹筋ナンバーワンの「腹筋女」だと自慢する面白い生徒だった。
 昨日の北海道新聞根室地域版を見てびっくり、12年ぶりに根室地区予選を勝ち抜き全道大会出場が決まったというのである。写真には11人写っているが、このうちの5人は知った顔だ。
 (知っているうちの)4人は啓雲中出身の生徒で。小学校3年生から中学卒業までの7年間を高校と大学でバレーボールの選手だったN村先生に鍛え抜かれた。指導スキルが高いので強くなった。
 一度バドミントンの指導で東京からいらした小寺さんに同行して啓雲中学校体育館に行ったことがあるが、運よく体育館の半分を仕切ってバレー部が使っていたので練習を見ることができた。なかなか合理的な練習をしていた。週に一度は理論研究もしているといっていた。
 写真の中の2年生のある生徒が2ヶ月ほど前にぼやいていた。指導のしかたに不満があったようだ、自分に辛く当たると感じていた様子。
 おそらく指導している先生はこう考えている。高校2年生だから、君たちが1年生の面倒を見なければいけない、いままでのように先生の指導どおりにやっていたのではダメで、自分たちが各人に合う効率的な練習メニューを考えて1年生を指導する立場だから、立場をわきまえて変わってもらいたいと思っているはず、意識を変えろと伝えた。

 道教委が大谷翔平を起用した文武両道と大書きしたポスターを全道の中学校に配布したのは、2014年3月のことだった。いまの高校2年生が中2の3月である。
 啓雲中学校の校長S藤先生は、その前から学校通信で文武両道を自分の経験(根室市立光洋中学校野球部での)を引いて具体的に解説していた。ポスターが配られたら早速廊下に張られていた。バレー部のN村先生もサッカー部の先生も野球部の先生も文武両道を盛んに口にするようになったからこの学年は学力が高かった。全国学力テストでほぼ全国平均値をクリアしていた。
 高校進学時に啓雲中バレー部から4名が旭川や帯広の強豪校に進学した。残ったメンバーたちは根室地区大会を勝ち抜いて、全道大会で元のメンバーに会えると歓んでいる。
 おめでとう!

11月8日北海道新聞より
=========================
根室高女子バレーボール部
 守り鍛え12年ぶり全道へ

【根室】根室高校女子バレー部が第69回全日本高校選手権大会の根室地区予選会を制し、12年ぶりに全道大会に出場する。他の大会を含め、同部の地区予選優勝は根室バレーボール協会が把握する45年間で初めて。守備力を鍛えて競り勝った。選手たちは「全道大会でまずは1勝したい」と練習に励んでいる。

 15日初戦 「まずは1勝」
 管内4校の総当りで行う地区予選は10月15日に市青少年センターで行われた。これまでは競合の中標津高や別海高になかなか勝てず、3位か4位の年が多かった。だが、今年は粘り強く戦い、いずれの試合も接戦の末に勝利した。
 部員が集まらず毎年苦労してきた。3年生が退部した昨夏は選手は1年生4人だけ。書道部など文科系の部から助っ人を出してもらい、各大会にどうにか出場した。小柄な選手が多く、現在の部員の2年生6人、1年生5人の平均身長は157cm。「他校と比べると10cm近く低い」(顧問の桑谷伸一教諭)という。
 そんな不利を克服しようと、力を入れたのが守備の強化。選手たちは「ボールを両手で触る」「ルーズボールを落とさない」など「七つのおきて」を決め、1日1時間半程度の短い練習ながら守りの基礎固めを徹底してきた。地区予選で見事成果が発揮され、無駄な失点を抑えて競り勝った。
 桑谷教諭は「」部員も少ない中、夢のような結果を残してくれた」と選手たちをたたえる。部長の松宮莉乃さん(2年)は「勝てたことで自信につながる。部員のメンタルも強くなった。全道大会でも勝ち進みたい」と意気込む。
 北海道代表決定戦は14日から札幌市などで開かれる。根室高は15日、釧路江南高と稚内大谷高の勝者と当たる。
=========================

 啓雲中学出身者は中学校の全道大会でいいところまで行ったのではなかったかな。優勝校に負けたと聞いたような気がする。
 現在は部員の数がこの十年間で一番多く、中学バレーボールで全道大会経験者が5人いることがこの結果を生んだのだろう。それにしてもN村先生の指導を離れて、しっかり自分たちで効率的なメニューの研究を重ねたことは立派だ。

< 余談-1 >
 中学時代のことだが、毎日厳しいトレーニングに明け暮れていた彼女たちに、短時間で同じ効果を発揮できるトレーニング方が必ずあるはず、あると思わなきゃ見つからない。効率重視でルーチンを見直すことは社会人になったときに武器になる。N村先生の言うとおりにだけ動いていたら指示待ち人間になる。理論研究はやっているかと問うと、毎週1日試合のビデオを見たりして研究しているとの返事だった。見上げたものだ。

 彼女たちは中学校を卒業して進路が別ればらばらになった。残った者たちは7年間みっちり指導してくれたN村先生なしでやらなくてはならなかった。そしてそれをちゃんとやり遂げた。
 工夫して効率的なトレーニングを考え出し、まだまだ強くなるだろう。N村先生が3年生のときに盛んに言っていた文武両道も忘れないでもらいたい。


< 余談-2:ビリヤード国体があれば・・・ >
 ビリヤードに国体があれば、部員が10名いたら、わたしは2年間で彼ら・彼女たちを全国大会出場させるくらいの指導技術がある。すぐれた指導技術は上達をそれほど加速することができる。もちろん自分で編み出したものではなく、プロが教えてくれたり、プロに質問して書き溜めたものだ。
 筋のよさを見込まれてアーティスティックビリヤードで世界銀メダルの町田正さんを育てた、彼のお父さんに少しの間教えていただいた。初めて八王子のビリヤード場をたずねたときに、キューとタップをみて、「タップを削らせて欲しい」と言ったので、どういう削り方をするのか興味があったので、「どうぞ」と応じた。「このキューは新宿の○○名人の作だ、そしてこのタップはもうお目にかかることのできない幻の名品だ」、そういいながらうれしそうな顔で、半球状に削った。そんな削り方は初めて見たので、なぜそういう風にまるでボールの上部1/3くらいに削るのか訊いた。理屈よりもドロー・ショットをしてすぐに了解できた。ボールの最下端を撞いても、ミスショットが少ない。いままでよりももっと下を撞ける、といっても1-2mmのことなのだが、軽いショットで切れのよい「引き」ができる。短クッションで「的球」をリターンするときにコントロールが自在になった。最下端を撞くときにタップの半球状の頂点よりも上に当たる。的球の中心Oと半球状のタップの中心O'が、接点で直線状になるので鋭いショットをしてもミスが減るようだ。町田先生はこう言った。
「わたしはプロだからレッスン料をいただいて教えている。ebisuさん毎日おいで、あなたにはただで教えてあげる。」
 仕事が忙しいので時間がとれない、八王子まで週に1度、3ヶ月くらい通って教えていただいた。

 昭和天皇のビリヤード・コーチだった吉岡先生(故人・札幌「白馬ビリヤード」)のタップの削り方はクラッシックな方法だった。半球状には削らない。ボールの上部1/5くらいを切り取ったような形状に調整していた。吉岡先生はコントロールが利くからそれで十分なのである。先生の時代は、ビリヤードのボールは象牙製だった。重くて大きいのでコントロールがじつに難しい。そういうボールで慣れてしまうと、キューの扱いがまるで違う。合成樹脂のボールに切り替わったのは1960年頃だ。象牙の中心部分のいいところを使うので、1本から1個しかとれないと聞いたことがある。だれが言ったかは覚えていない。吉岡先生は、ebisuが小学生の頃に年に一度、ラシャの張替え作業に来てくれていた。かわいがってくれた。高校を卒業した翌年に、彼女と駅前通を歩いていたら、突然「トシボウ」と声がするので、振り向いたらライオンズクラブで献血の呼びかけをしていた。笑って挨拶して、彼女とい一緒に献血した。実に品のよい白髪のお爺さんだった。4年くらいお会いしていなかったので、よく見分けがついたと思った。
 スリークッション世界チャンピオンの小林先生にも、常連会のメンバーだったので、わからない部分を図面に描いてもっていき、質問して何度か教えていただいた。それらが理論研究ノートになっている。ビリヤードの場合は、セミプロレベルの技は本ではわからない、師に面授してもらうことで受け継げる。小林先生はNHK出版から『ビリヤード入門』という本を出している。これはNHK教育テレビでシリーズで番組を担当したときにテキストとして著したものだ。あるとき先生に「セミプロクラスの技術指導書を書いていただけたらありがたいのですが、ご予定はありませんか?」とお尋ねしたら、「本を読み、その通りにやってみたが、できないという人が必ず出る」だから、書くつもりがないとおっしゃった。一知半解で、自分の知識や技術が及ばないことを考慮せずにクレームをつける人がいると説明されて、納得した。キューの切れは人によって差が大きい、だから、そこらへんも見て、指導のしかたが違ってくる。技術レベルが高くなれば、面授しかないのである。プロの技を注意深く観察してもわかることはある。
 吉岡先生は昭和天皇、小林先生は現在の天皇、町田正さんは皇太子のビリヤードコーチである。わたしは、町田正さんに3回ボークラインゲームの相手をしていただいたことがある。まるで、相手にならなかったことは当然。彼はボークラインゲームの日本チャンピオンである。これら3人に、ビリヤードを教えてもらう幸運に恵まれたのは、日本でただ一人だけだろう。ビリヤードも素振りが大事だ。八王子のビリヤードには鉄製のキューが置いてあった。お父さんの説明だと、そのキューで息子二人に素振りをやらせたんだそうだ。『巨人の星』のお父さんのような人だ。懐かしい。(笑)

 ついでに書いておくと、図面で研究する方法は駿台予備校の数学の先生である荒木さんから教えていただいた。かれは五種目チャンピオンのディリスのサマースクールに参加するためにヨーロッパに出かけるほどビリヤードが好きだ。腕はわたしよりもだいぶ上。プロ試験に合格できるほどのレベルである。数学が好きな人はビリヤードも好きになれるだろう。
 言いたかったことは、指導技術の高い指導者に教えてもらえば短期間で大きな効果をあげることができるということ。指導者がいなくても、強豪チームやオリンピックチームのビデオを見たり、強豪チームの練習メニュー情報を収集したり、自分たちで工夫することで、カバーできるということ。そういう工夫を日々重ねたチームメンバーは社会人になってからいい仕事ができる。



*#2615 「文武両道」 大谷翔平からのメッセージ:北海道教育委員会制作ポスター Mar. 13, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-13














      70%       20%